岩手県盛岡市紺屋町は盛岡の中心を流れる中津川沿いの地域で、昔ながらの街並みが残り観光客にも人気の町だ。

長年にわたり県内各地の地名について調査し、著書も手掛けている奥州市出身の宍戸敦さんと盛岡市紺屋町の由来を探る。

宍戸敦さんによると、「紺屋は染物屋という意味で、元々染物屋さんは色々あったが特に紺色系が主力を占めていたので紺屋という名前で伝わった」という。

一般的には紺屋というと染物という意味で、現在紺屋町には染物店が2店舗ある。そのうちのひとつが「草紫堂」だ。

草紫堂が手掛ける染物は植物の根からとった染料を使用した「紫根染」や「茜染」。
特に「紫根染」は藩政時代に盛岡藩でも手厚く保護・生産されていたが、明治時代に途絶えたといわれている。

大正時代、紫根染を復興させるため設けられた研究所に赴任したのが、京都で染色の修行中だった藤田謙さん。
藤田さんが昭和8年に構えた店が、この「草紫堂」で三代続く老舗だ。

草紫堂 三代目堂主 藤田繁樹さん
「紫根染研究所で“紫根染”を復活させた後、この場所に初代(藤田謙さん)が草紫堂を建てたのが最初になる」

一度染物店が途絶えた紺屋町で、“南部紫根染・茜染”とともに染物店を復活させたという。
伝統の色と文様、草紫堂は紺屋町の名を象徴する染物店のひとつだ。

草紫堂 三代目堂主 藤田繁樹さん
「着物を興味持ってくれた人に、やっぱりいいものはいいと思ってもらえるような仕事をこれからも続けていかなきゃいけないと思う」

染物店以外にも紺屋町を象徴するようなスポットがある。
消防団の屯所として2005年まで使われていた「紺屋町番屋」は現在、交流体験施設としてその面影を残している。

「紺屋町番屋」は、元々江戸時代の町火消し『よ組』の消防屯所として建てられた建物で、戦中・戦後を経て現在、消防団第五分団の屯所として2005年まで使われていたという。

紺屋町番屋 岩渕公二さん
「消防団や地域の方々の“番屋を残したい、後世に受け継ぎたい”という熱い思いがある。私たちも日々一生懸命それを維持できるように頑張っている」

番屋を出ると目の前に中津川が流れている。中津川にかかる「与の字橋」は「よ組」とかかわりがあるという。

宍戸敦さん
「この『与の字橋』は昔は現在の場所にはなかった。少し下流のほうに銀行橋という小さな橋があったが、中津川の洪水で流されてしまった。そのときに『よ組』の頭領や地元の人たちの力によって新たに立派な橋、今の『与の字橋』ができた」

「よ組」の人たちが建てたから『与の字橋』という名前が付いたという。
紺屋町は地域の歴史・伝統を深く感じられる場所だ。

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