異色経歴だが競技レベル的にも楽しみな2選手が、クイーンズ駅伝に登場する。
女子駅伝日本一を決めるクイーンズ駅伝が11月24日、宮城県松島町をスタートし、仙台市にフィニッシュする6区間42.195kmのコースに24チームが参加して行われる。
大塚製薬入社1年目の小林香菜(23)は早大時代はサークルで活動しながら、今年1月の大阪国際女子マラソンで学生歴代3位をマークした。スターツに今春入社した伊澤菜々花(33)は、高校・大学では世代トップ選手で2年間のブランクを経て現役復帰した。2人はすでに、クイーンズ駅伝予選会のプリンセス駅伝(10月20日)で快走を見せている。小林はエース区間の3区(10.7km)を任され、区間賞の矢田みくに(25、エディオン)と5秒差の区間2位。伊澤は1区(7.0km)で区間賞を獲得した。2人とも故障などがない限り、クイーンズ駅伝でも前半の1、3区のどちらかに出場するだろう。2人の特徴とここまでの足跡を紹介する。

プリンセス駅伝では最初から突っ込む“駅伝の走り”を見せた小林

小林香菜のプリンセス駅伝の課題は、“最初から飛ばす走りができるかどうか”だった。小林が早大時代に所属していたのは「早稲田ホノルルマラソン完走会」。陸上競技部の選手とサークル、同好会選手の一番の違いはスピードである。サークル、同好会の長距離選手は市民マラソン的なレースに出場するのが大半で、スピード練習はあまり必要としない。小林がマラソンで学生歴代3位を出したといっても、2時間29分44秒ならそこまでスピードがなくとも出すことはできる。

駅伝で前を追う展開になったとき、速い入り方ができるかどうかは未知数で、大塚製薬の河野匡監督もプリンセス駅伝前日に次のように話していた。

「小林は(他の選手を見て走るのでなく)自分の走りに集中するタイプ。タスキをかけて前を追う走りをするイメージが私にも、今のところありません。どういう走りをするか、期待というよりも興味があります」

そう言った一方で、「失敗するイメージはゼロです」とも話した。「全日本実業団陸上10000mで競り合った矢田選手や兼友良夏選手(23、三井住友海上)と一緒に行けたらいいですね。それだけの練習はできているので、絶対に失敗はしません」。

河野監督は“期待”という表現にはしなかったが、小林は初実業団駅伝の走りは“期待”以上だった。トップを行く矢田とは離れた位置だったが、12位でタスキを受け取り2位にまで進出した。区間2位の成績に「悔しいです」と小林。「区間賞の自信はありませんでしたが、“取りたい”とは思っていましたから」。

前を追う駅伝の走りができていたのだろうか? 最初の1kmは「3分5秒」で入ったという。全日本実業団陸上で出した10000mの自己記録は32分22秒98。1000m平均は3分14秒30で、最初の1000mは3分15秒で入っていた。そのときより10秒も速いペースで前を追ったのだ。

「1、2区の先輩が良い位置でタスキをつないでくれたからです。前に目標にできる選手たちが良い間隔で走っていたので、楽しく、気持ち良く走ることができました」

小林が練習と試合で、ペースが大きく変わるタイプであることも、この走りを可能にしている。

「試合になるとテンションが上がるタイプで、練習からは想定できないペースで走ることができます。怖さもありますが、レースになると自然と行けてしまいますね。自分でも不思議です。マラソンの学生歴代3位もそうでした」

クイーンズ駅伝でも、1区や5区の可能性もあるが、プリンセス駅伝と同じ3区の可能性が最も高い。「クイーンズになるとプリンセスより強い選手がたくさん出場するので、目標はまだ考えられません。マラソンを大事にしたいので、マラソンにつながる走りがしたいです」。

区間3位以内は難しいかもしれないが、タスキをもらう位置によっては再び、何人もの選手を抜くゴボウ抜きの走りが見られるかもしれない。

「今は苦しい練習でも楽しい」と伊澤

伊澤菜々花のプリンセス駅伝1区(7.0km)は、強さが感じられた。先頭集団で落ち着いた走りから、5.7km付近で一気にスパート。2位の肥後銀行・南雲栞理(29)に5秒差をつけて2区に中継した。「区間賞は狙っていたので、狙い通りに取れて嬉しいです」と伊澤。一度現役を引退後に復帰した選手は、強い覚悟を持って競技を行っている。伊澤もその例に漏れないが、順大大学院に通いながらコーチをしていた2年間を経験したことで、精神的な余裕も生じている。

「(前実業団チームでの競技生活を)やり切って終わったわけではなかったので、このまま辞めていいのかな、という気持ちが心のどこかにありました。その後コーチという立場で学生たちの練習している姿を見ていたら、自分ももっと走りたいと思うようになりました。以前は結果を出さなければ、という気持ちが先行していましたが、今は走ることが楽しく感じられています。練習はキツいときもありますが、苦しい練習も楽しいと思えます」

楽しむ気持ちで競技に取り組めている選手は強い。それは間違いないが、伊澤はスターツに入社後、プリンセス駅伝前は2レースにしか出場していなかった。初レースは7月の3000mで9分26秒6。好記録とはいえないタイムだが、弘山勉監督は7月末には「1区は伊澤で」とほぼ決めていた。

「狙った試合から逆算して今がどういう時期で、どの程度できていればいいかを判断します。伊澤はどちらかというと、バネを利かせてダイナミックに走るタイプです。バネを使えるような練習の組み立てにしないと、良い練習はできません。私の練習が元から、(負荷の大きい)ポイント練習の頻度は多いのですが、そこまで速いペースで追い込むことはしません。伊澤の練習も確実に走ることを主眼にしていて、彼女が上げすぎたときは『スピード違反切符を切るよ』と言って抑えるようにアドバイスしています」

伊澤は前所属チーム時代、駅伝メンバーに入ることにも苦労していたが「弘山監督との出会い」をプリンセス駅伝快走の一因に挙げていた。

2人に共通する強くなることへの強固な意思

伊澤は高校・大学では世代トップの選手だった。豊川高で全国高校駅伝2連勝、1年時は3区、2年時には2区で区間賞を獲得し、3年時には最長区間の1区で区間賞。インターハイ3000m優勝と合わせ、高校女子長距離の頂点に立った。順大でも1年時から関東インカレ5000mに優勝したり、4年時には全日本大学女子駅伝最長区間の5区で区間賞を取ったりするなど、学生トップ選手として活躍した。日本代表になることも期待されていたが、実業団では低迷した。かなりハードなメニューにチャレンジしたが、故障も多く対応できなかった。

前述したように伊澤自身の心の成長や、選手の状態も考慮した弘山監督のアドバイスで短期間で復活。11月9日には5000mで15分25秒90と大学3年時以来、12年ぶりの自己新をマークした。クイーンズ駅伝に向けての強化合宿終了後、中2日でピーキングなしで出場したという。

「今日を迎えるのに12年かかりました。諦めずに挑み続けてよかったなと感じています。まだまだ進化していきたいです」、などと自社ホームページに綴った。プリンセス駅伝の際には「もう1回日本代表になりたいと思って復帰しました。そのくらいの覚悟はもって、代表を目指して競技をします」と決意を口にした。

小林からはまだ、代表を狙うというコメントは出ていない。だが実業団入りは“勧誘を受けたからやってみよう”という受け身の姿勢ではなかった。ツテを頼るなどして実業団チームの練習に参加し、大塚製薬が自分に合っていると判断。自らの意思で実業団長距離の世界に飛び込んだ。

河野監督は、女子マラソンの名伯楽だった小出義雄氏(故人)のもとに押しかける形で弟子入りした有森裕子さん(92年バルセロナ五輪銀メダル、96年アトランタ五輪銅メダル)や、高橋尚子さん(00年シドニー五輪金メダル)と似た行動だと指摘する。

小林は来年1月か3月に、マラソンの世界陸上選考レースに出場する。東京世界陸上参加標準記録は2時間23分30秒。自己記録との差がまだ大きいこともあり、小林は「明確にこのタイムという目標はないのですが、1年の成長を示せるレースをしたい」と言う。

全日本実業団陸上10000mでは日本人3位となり、プリンセス駅伝エース区間では区間2位。11月10日の東日本女子駅伝でもアンカーの9区(10km)で、区間2位を39秒も引き離す区間賞で6人を抜いた。10kmの距離の“1年の成長”を見れば、マラソンの先頭集団で走る力は付いているのではないか。

サークル出身の新人選手と、2年間のブランクを経て復帰したかつてのエリート選手。異色経歴の選手が活躍できるのは、多くの選手が参加する駅伝があるからだ。多くのファンが駅伝を盛り上げることで、日本の長距離は強くなる。

(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)
※写真は前回大会のもの

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