Jリーグが始まった1993年から30年が過ぎ、当時10だったクラブはいまや60を数えるまでに成長した。2022年、Jリーガーから初めてJリーグ6代目チェアマンに就任した野々村芳和さん。7年間、選手として活躍し184試合に出場した。そんな野々村チェアマンは「フットボールサイドとビジネスサイドのバランスが大事だ」と話す。2026年のシーズンから開幕時期を移行させることを決め、海外展開を推し進める野々村チェアマンに、Jリーグの魅力、抱える課題、そしてなにより思い描く未来を聞いた。

サッカーが盛んな静岡・清水市出身 小学3年生で選抜チームに

―――野々村さんがサッカーを始められたのはいつ?
 小学1年生の冬くらいから始めたんじゃないかな。静岡県清水市にはたくさんの小学校がありますが、「清水FC」という選抜チームがあって、選抜テストが毎年行われていました。合格した子が30人から50人くらい、清水の選抜みたいになるんです。私は小学3年生から選抜チームに入るんですけど、そのチームで初めてキャプテンをやったんじゃないかな?

―――1995年にプロになってプレーをするのはアマチュア時代と違いましたか?
 Jリーグが出来たのが1993年なので、本当にできたばっかりの頃にプロになりました。でもJリーグでプレーしているほとんどの選手が「プロってどんなんだろう」とわかったような、わからないような時代だったと思うんですね。だから「学生の頃と何が違ったか?」と問われれば、そんなに大きな差はなかったけれど、「自分たちはプロなんだ」という意識は結構強く持っていたような気がします。

―――サッカーから学んだことはたくさんありますか?
 学んだことはいっぱいあると思います。というか、ほぼサッカーから学んでいる気はします。気持ちの部分、精神的な部分もそうだし、戦略的な部分もそうだし、強い相手であっても勝つ方法とか、難しい局面であっても勝てる空気感とか、その空気感をつくるってどういうことなんだとかをサッカーが色々と教えてくれました。

「お前がやれ」と大スポンサーに言われて就任したクラブの社長

―――サッカーから学んだことはチェアマンの仕事にも生きていますか?
 間違いなく。間違いなくというか、私はサッカーしかないくらいの感じだと思うので。「引退する前、28歳の頃にどんな選手になりたいか?」って質問されて、「自分が1回もボールに触らなくてもチームを勝たせることができるような選手になりたい」と答えたんですよ。いまも全く同じですね。特に何ができるわけではないので「みんなでやろうよ」というようなスタンスですね。仲間が多ければ多いほど大きいことが成し遂げられると思うので。そんなスタンスはサッカーから学んだかなと。サッカーに限らず、でしょうけど、スポーツだけじゃなくて、1つのことを一生懸命すると「学ぶもの」はきっと多いはずですよ。

―――2013年にコンサドーレ札幌(当時)の社長になられました。「経営の道に」と思われたのは?
 ちょうどクラブが大変な状況だった時で、「白い恋人」という有名なお菓子を製造販売する会社の当時社長だった石水勲さんがメインスポンサーだったんです、コンサドーレ札幌の。それで、周りの人から、石水さんに「もう一度、コンサドーレの立て直しをお願いしてほしい」と頼まれたんですね、私が。私は引退した後も石水さんとお付き合いがあったので、「お願いしますよ」と。「みんな望んでいるし、チームの立て直しをお願いします」という話をしたんです。

―――石水さんの反応はいかがでしたか?
 「わかった」って石水さんは言ってくれたので、よかったなと思っていたら、1週間くらいして石水さんに呼び出されて「やっぱり、お前がやれよ」と言われたんです。私は全然クラブの社長をやるとか思ってもいなかったし、社長就任を言われるまで考えたこともなかったので、「たまたま社長になっちゃった」という感じです。

「ビジネスサイドの意見が強くなりつつある時期」にチェアマン就任を決意

―――そして、次はJリーグのチェアマンにという声がかかるわけですよね。その時はどう思われましたか?
 チェアマンは、やりたいとかでなれるとか、立候補してなれるというような仕組みになっていないんです。選考する人たちが決めるんですが、きっと何人かの候補者とか、可能性のある人に「選ばれたらチェアマンをやりますか?」と打診するのが最初じゃないですかね。何年か前に打診があったときには、「結構です」と断りました。

―――2度目の要請を受けることにした理由は?
 フットボールサイドの意見とビジネスサイドの意見は相反するところが絶対あるんですね。2度目の要請があったときは、ビジネスサイドの意見がちょっと強くなりつつあった時期でした。フットボールサイドから育ってきた私からすると、「ちょっとバランスを変えないと」とか「変えた方がいいな」と思ったタイミングだったんです。ですから「選ばれるなら、私はやります」と答えました。

―――就任されてからは、フットボールサイドの意見は通るようになりましたか?
 フットボールサイドの意見が全部通らないとならないというわけではないんです。例えば、年間50試合ぐらいまでのほうが選手の体にとって良いのでは、というフットボールサイドの意見があったとして、でもビジネスサイドとしては60試合をやることで売り上げが伸びるというやりとりは絶対あるわけです。両サイドの事情もわかりますが、フットボールファーストで「譲れないことは、譲らない」くらいじゃないとだめなんじゃないかなと思っています。

「日本でサッカーをやりたい、関わりたい」と思う人を増やしたい

―――Jリーグは世界の中で今、どのような立ち位置なのでしょうか?
 プロの世界なので、一番大事なのは、例えばクラブの売り上げですかね。それでいうと、日本のクラブの規模はまだまだです。ヨーロッパのトップのクラブの4分の1とか、5分の1とかでしかなくて。でもおそらく売り上げだけではない日本のサッカーの魅力ってあると思っています。「あの国に行ってサッカーを見るのは安心だし、安全だ」と。そこに関しては日本が一番だと思っています。近頃は「日本に観光に行きたい」と考える外国人も多いわけじゃないですか。日本の魅力による観光需要に、サッカーを含めて日本に来るということが実現できると、おもしろいのかも知れないなと。

―――日本に観光に来る外国人の目的の1つにJリーグ?
 今でこそヨーロッパがすごくて、日本はまだ足りないところではあるけど、ヨーロッパが今のままとも限らないし、30年後には全く違うグローバルのサッカーシーンになっているだろうし、そうなったらいいなと思っています。その時に日本は、アジアの中で最も魅力的で世界から見ても「日本でサッカーをやりたい、関わりたい」という人が増えているような状態になるのではないかなと思っていますし、そうなるように取り組まなければならないと思っています。

―――Jリーグの魅力はなんでしょう?
 地元にクラブがあって、そのクラブに関わることでクラブが成長するということを体感できるのが、一番の魅力かなと思っています。選手をやっていると、サポーターや地元の人たちのスタジアムで作ってくれた空気感で勝てたと感じる試合は、絶対あるんですよ。一緒に大きくなった、昇格した、タイトルをとったと感じられるのは、すごく魅力的なことです。リアルに多くの人が1つになって「何かの目標を達成する」ことができるのは、そんなに多くないと思うので。サッカーは、そうなり得るスポーツかなと。

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