広島カープ 野村祐輔 投手(5日 引退セレモニー)
「大好きなカープのユニフォームを着て野球人生を終えることができて、本当に幸せです。13年間、本当にありがとうございました」

石田充 アナウンサー
広島カープで13年間、活躍された 野村祐輔 投手にスタジオへお越しいただきました。

青山高治 キャスター 
ようこそ。

田村友里 キャスター
13年間、ありがとうございました。お疲れさまです。

野村祐輔 投手(35)
本当にみなさんに支えられてがんばってこれたっていう思いでいます。

石田充 アナウンサー
天谷さんはいっしょにユニフォームを着ていた仲ですから…

RCC野球解説者 天谷宗一郎 さん
何回見てもちょっとこみ上げるものがあるから、あんまり…、平常心でいるように心がけています。

田村友里 キャスター
ずっと泣いているんですよ。

石田充 アナウンサー
感動的だったのが、5日の最後の登板でした。あらためて振り返りたいと思います。13年目のラストゲームですが、そろいの “野村祐輔Tシャツ” 。チームメイトのサプライズだったんですね。

野村祐輔 投手
「はい」

石田充 アナウンサー
そして、マウンドに上がるときはどんな気持ちでしたか?

野村祐輔 投手
そうですね。本当に初めて楽しもうと思った試合です。はい。

連続先発211回(日本記録) 打者5226 奪三振758 勝利80

石田充 アナウンサー
ブルペンの調整とかはいつもといっしょだったんですか?

野村祐輔 投手
いつもといっしょです。石原(慶幸)コーチが受けてくださって。すごく、そこでもまずぐっときて…(笑)

石田充 アナウンサー
1イニングをゼロで抑えて、最後のセレモニー、言いたいことは全て言えましたか?

野村祐輔 投手
はい、言えました。思ったよりしゃべれたので…

天谷宗一郎 さん
けっこう落ち着いてしゃべっていたよ。

野村祐輔 投手
いや、でも緊張しました。

石田充 アナウンサー
最後、チームメイトが「マウンドに行っておいで」というふうに促されたんですね、これ?

野村祐輔 投手
そうですね。言ってくれたので、菊池(涼介)が。言ってくれたので行かせてもらいました。

石田充 アナウンサー
ずっと先発できれいなマウンドに立ち続けたマツダスタジアムのマウンドですが、
最後、どんな思いでおじぎをされましたか?

野村祐輔 投手
本当に13年間、ありがとうございましたっていう気持ちで礼をしました。

田村友里 キャスター
マウンドを “初めて楽しむ” ってことは、これまでは楽しむよりもプレッシャーとかいろんな思いの方が強かった…?

野村祐輔 投手
そうですね。プレッシャーだったり不安であったり、勝負だったので、そういう気持ちが主に出てきて、あんまり楽しもうと思ったことは一度もなかったです。

天谷宗一郎 さん
ちょっと待って。まじで…(泣)

青山高治 キャスター
急に天谷さん…

石田充 アナウンサー
プロに入る前から注目をされ続けたキャリアで広島県民からすると印象深かったのが、広陵高校時代。甲子園準優勝ということもありました。当時のメンバーが4人、プロに入ったんですね。当時のキャプテン(土生翔平・現カープスコアラー)ですね…

天谷宗一郎 さん
心強かったんじゃないですかね、土生スコアラーがいて…

野村祐輔 投手
そうですね。はい。 

石田充 アナウンサー
バッテリーを組んでいたのが、ジャイアンツの 小林誠司 選手でもありました。そして、ショートを守っていたのが一つ後輩の 上本崇司 選手。上本選手は明治大学でも後輩でした。忘れられないのが、この試合(2007年・夏の甲子園決勝 佐賀北戦)。何度も見ていると思いますが、このシーン(ボールと判定)、いかがですか?

野村祐輔 投手
みなさんが思ってくださるとおりだと思います。

田村友里 キャスター
その逆転満塁ホームランっていうのは、一つ大きなきっかけにはなったかなと思うんですけど、今はどういう受け止めなんですか?

野村祐輔 投手
そうですね。あの甲子園が自分の人生を変えてくれたっていう、その場だったと思います。

石田充 アナウンサー
わたし、入社1年目で忘れられないんですけど。2007年、アルプススタンドにいたんですが、もうここの横の人が会話できないぐらい、佐賀北の応援がすごくて、マウンドも雰囲気、また違ったものがあったんだと思うんです。

野村祐輔 投手
そうですね。本当に初めてああいう歓声を聞いて…。本当にマツダスタジアムのような…。マツダスタジアムのビジター選手はそう感じるんじゃないかなと思います。

青山高治 キャスター
視聴者からです。「野村さんは覚えていないと思いますが、2007年センバツ高校野球から甲子園選手のバスの運転手として帯同させてもらいました。みなさんと宿舎でいっしょに食事をしたりと本当にいい思い出です。その後、カープを支える大投手になるなんて」と今でもよく覚えていらっしゃいます。

野村祐輔 投手
ありがとうございます。

石田充 アナウンサー
いろんなことに支えられていると思うんですけれども、その後、明治大学に進んで、当時、10人もやっていなかった300奪三振。

天谷宗一郎 さん
すごいですね。

石田充 アナウンサー
三振もすごく取るタイプだったんですよね。

野村祐輔 投手
だったんです(笑)

石田充 アナウンサー
プロに入って、解説の方によく、野村投手は打たせて取るのが真骨頂みたいなことを振っていたんですけど、キャリアを見ると “ドクターK” だったわけなんですね。

野村祐輔
広陵高校 3年夏 甲子園準優勝
明治大学 30勝 300K
広島カープ 先発一筋13年

石田充 アナウンサー
そして注目され続けてドラフト1位でカープに入ったということなんですけれども、そこからのキャリアがすごかった。いろんな数字ありますけど、まずすごいのがデビューから211試合、ずっと先発だった。これは日本記録なんです。あと、1年目の防御率1点台。

天谷宗一郎 さん
これはぼく、今でも鮮明に覚えています。すごい選手が入ってきたなっていう。守っていても、めちゃくちゃ守りやすいピッチャーだったんですよ。(キャッチャーミットを)構えたところに(ボールが)行くから打球がイメージしやすいんですよ。それぐらい完成された、できあがった選手でした。

石田充 アナウンサー
自分の年表を振り返ってみて、印象深い年はいつになります?

野村祐輔 投手
印象深いのはやっぱり優勝。最初の優勝をした2016年ですね。

石田充 アナウンサー
そのときはタイトルを取って16勝をマーク。

天谷宗一郎 さん
すごい。1人で貯金を13作っていますから。

田村友里 キャスター
逆に一番しんどかった時期っていうのはあるんですか?

野村祐輔 投手
一番ですか? 一番は2021年からですかね。2021年が初めて一度も勝てなかった年で、もうそこからちょっと「そろそろなのかな」っていうのもちらつくようになってきた…。

天谷宗一郎 さん
ここから何か自分を奮い立たせたものっていうのは何なのかな?

野村祐輔 投手
やっぱり一緒にやっているみんなのがんばりだったり、そういうものに、特に同級生ががんばっている姿を見ると、やっぱり自分も負けられないなっていう思いでした。

石田充 アナウンサー
同期入団は 菊池涼介 選手だったと。何度も後ろでいいプレーを見せてくれました。(続く)

(RCC「イマナマ!」カーチカチ!テレビより)

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