松井秀喜さん(右)らと記念写真に納まるロイ・ホワイトさん(中央)=21日、米ニューヨーク(共同)

懐かしい顔があった。1980年から3年間、巨人に在籍していたロイ・ホワイトさんである。23日付のサンケイスポーツに巨人、ヤンキースなどで活躍した松井秀喜さんとともに納まった写真が載った。来年7月から米国野球殿堂博物館で開催される「野球とベースボール、太平洋を越えた日米の野球交流」という企画展の記者会見である。

来日時、35歳だったホワイトさんも80歳。老いてもその風貌は以前と変わらなかった。巨人時代の81年、日本ハムとの日本シリーズ第2戦、逆転2ランを放つなど打率3割5分と暴れて、8年ぶりのチーム日本一に貢献するなど勝負強い打撃で活躍したが、日米の懸け橋としての〝すごさ〟があった。離日した82年オフに残した言葉が象徴している。

「私の誇りは、ミッキー・マントルとサダハル・オーという日米を代表するスーパースターとクリーンアップを打てたこと…」

王貞治さんは868本塁打を放った世界のキング。マントルは、50年代から60年代にかけてヤンキース一筋、スイッチヒッターとして史上最多の536本塁打を放ったスーパースターである。同じ左右打ちのホワイトさんは65年にメジャー昇格、68年シーズン後半に4番に抜擢され、現役最終年のマントルと3、4番が実現したという。巨人時代にその模様を聞いた(通訳を介してだが…)。

「68年は私にとって忘れることができない。あの年はストライクゾーンが広がって、どの打者も迷っていた。私は17本塁打し、マントルの18本に次いでチーム2番目(ゾーン拡大は不評で翌年、元通りになる)。尊敬するマントルとの時間は宝物、あれで自信がついた」と笑顔を見せた。

そのオフ、背番号が6番に変わった。「ジョー・ディマジオの5番、マントルの7番の挟まれた番号なんて最高だよ」。ちょっと興奮気味な姿を覚えている。76年リーグ制覇し、77、78年のワールドシリーズ制覇では〝ミスター・オクトーバー〟レジー・ジャクソンと共演、ヤンキース黄金時代の一角を築いた。

こんなシーンがあった。81年4月、米ロックミュージック界の大スター、ビリー・ジョエルさんが日本公演の合間、後楽園球場にホワイトさんを訪ねた。「ずっとあなたのファン。ニューヨークの英雄にお会いできて光栄です」とサインをねだった。松井さんと共演したホワイトさんも〝NYの大スター〟である。(清水満)

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