陸上競技女子走幅跳の秦澄美鈴(28、住友電工)が6月30日の日本選手権に6m56で優勝し、パリ五輪代表内定を決めた。昨年7月に6m97の日本記録をマークし、早い段階でパリ五輪参加標準記録の6m86を突破していたことで、ケガへの対処や新たな挑戦ができている。特にスパイクは、日本記録を跳んだときよりも底の厚いものに変更した。まだ完全に使いこなせていないが、世界と戦うための挑戦を秦は躊躇わない。
パリ五輪内定も「よっしゃとなれない」状況
秦の優勝記録は6m56で自身の日本記録の6m97とは41cmの開きがあった。だが2位に20㎝差を付けて4連勝を果たしたことを考えれば、国内での強さは頭ひとつ抜きん出ている。雨天ということも間違いなく記録に影響した。だが本人は、納得していない。
「雨でも記録を出さないといけない競技です。助走が本当に走れていなくて、後半の3本でようやく走れてきました」前半3回は6m17、6m37、6m41だったのに対し、後半3回は6m32、6m44、6m56だった。
「前半は助走の中盤が走れていませんでした。結果的に踏み切りが遠かった(踏切板にしっかり乗らず、手前で踏み切った)のですが、前半の3本で6m70台後半を跳んでおかないと、パリ五輪で決勝に進むことができません」
どんな大会でも決勝は、3回目終了時点の上位8選手が後半3回、計6回の試技をする。それに対して予選は、全員が3回の試技しか行うことができない。3回以内に良い記録を残すことが陸上競技のフィールド種目では求められる。
国際大会本番で6m70台後半を跳ばないといけないことは、昨年の世界陸上ブダペスト(6m41、予選23番目)以降意識してきたが、今回の日本選手権は優勝すれば代表に内定する。直前になるまで目標をきちっと決められなかったという。
「木南記念(5月12日、6m72で優勝)後に、ケガではありませんが、ちょっと痛いところが色々出てしまい、練習が100%積めた状況ではありませんでした」日本選手権1か月前から「しっかりした練習」ができるようになり、前半の試技で6m70台後半を跳ぶ目標を立てられた。だが目標には届かなかった。
「パリ五輪への出場が決まったのは嬉しいのですが、よっしゃ、と思い切れないのが正直な気持ちです」しかし後述するように、今回の日本選手権は調整をそれほどしないで出場した。五輪前最終戦の実業団・学生対抗(7月20日)でもう少し仕上げてからパリに乗り込む。
底の厚いスパイクに変更したことで助走にも変化
秦は今年、日本記録を跳んだときとは違う底の厚いスパイクを履いている。当然感覚が変わり、以前と同じ動きをすることが難しくなる。坂井裕司コーチが、感覚が変わったことに対処する難しさを話してくれた。
「底の厚いスパイクでは助走最後の準備局面(4歩)で上に跳ねる動きが強くなります。上に弾む力を抑えつけるようなイメージで踏み切りに入っていったのですが上手く行きませんでした」室内競技会は2月のベルリンが6m40、3月のグラスゴー(世界室内)が6m43。「スパイクの特性をつかみ切れていませんでした」と秦は言う。
屋外初戦、4月の兵庫リレーカーニバルも6m39に終わったが、その大会でデータを計測できた。「助走スピードが試合中は“遅いな”と思っていましたが、体感よりも速度が出ていたことがわかりました」。助走スピード自体が上がったわけではないが速度の感じ方が変わったという。
5月の木南記念では6m72を跳ぶことができた。自己2番目の6m75とほぼ同じ記録で、自己記録の更新が期待できるレベルになった。坂井コーチによれば「兵庫までは踏み切り準備動作を昨年までと同じ4歩でやっていましたが、木南からは2歩に変更して、踏み切り直前の走り込む動きを強くしました」という違いがあったと説明する。
データとしては、昨年のほうが速い数値が出ていたが、踏切へ向けての減速は小さくなっていた。しかし踏み切り近くまで走り込み、以前より少ない歩数、短い所要時間で踏み切り準備を行うのは簡単ではない。業界用語でいう“潰れる”踏み切りになってしまい、多くの選手が実行できないのが現実だ。何人ものトップ選手を指導してきた坂井コーチも、今回の秦の変更を「大変なんですよ」と言うほどだ。
5月下旬に出場したスロヴァキアの競技会は6m52。「新しいことをしているので、これまでとは違うところに張りや疲労が出て、助走スピードを出せませんでした」(坂井コーチ)6月2日の台北での試合も6m37とさらに記録が下がった。だが最後の6回目で良い跳躍ができたという。「日本選手権よりひどい土砂降りで、最後の6回目に1cmくらいのファウルで6m70~80の距離が出ていました」(同)
パリ五輪本番までに必要なトレーニングの流れを考えて、台北から帰国後は、試合に向けて調整はしていない。秦が日本選手権の目標設定をなかなかできなかったのは、それが理由の1つだった。それでも日本選手権では、試合用の動きも少しだけできるようになった。
「秦と一緒に考えて前に進んでいます。動きをこうしよう、速くしよう、と1本1本確認して、(選手の感覚と指導者の目を)すり合わせながら跳んでいます。(変更した助走と踏み切りが)もう少しで合いそうです。合えばオリンピックにもしっかりチャレンジできます」
日本選手権の6m56という結果に秦は不安も感じていたが、坂井コーチは「予定通りです」と手応えを持っている。
「何かを変えることへの抵抗はほとんどありません」
秦自身はスパイクや助走スピード、感覚が変わってきたことへの対応を、どのように感じながら行っているのだろうか。
「踏み切り準備を4歩から2歩にしたのは、その前の助走は動きが大きくなりすぎて、踏み切り準備でさばく(ストライドを狭めてピッチを速く走る)ことができず、ファウルを連発していたからです。スパイクを変えて若干違ってきていた感覚に合わせるためと、ファウルを減らす意味も含めて、最後の最後まで走り込むイメージでやった方が上手く行くと思いました」
そのために練習内容など、取り組み自体を大きく変えたわけではない。「普段の練習から最後の2歩までは走りきる、最後の2歩でさばくところを意識しています。イメージを変えて対応しました」
秦自身は劇的な変更をしているつもりはない。だが坂井コーチが言っているように、客観的に見れば大きな変更をしている。五輪イヤーにそこまで大きな変更にチャレンジできるのは、秦のメンタリティーがあるからだろう。
大学時代の秦は、走高跳で日本のトップレベルだった選手。学生の間にも走幅跳に出場していたが、卒業後に世界を狙うためにメイン種目を走幅跳に変更した。「私は何かを変えることへの抵抗がほとんどありません。スパイクもそうですし、走り方やリズムの取り方もそうです。合わなかったらやめよう、ですむ話ですから、まずはやってみる。変えた先にまだ何かがあるんじゃないか、とポジティブに考えるタイプです」
日本選手権の試合直後は「大丈夫かな」と感じる部分もあった。「7mと言えるところまで来ていない」と感じたが、前述のように木南記念では6m72と、セカンド記録と同レベルまで達している。代表選手に不安がつきまとうのは仕方がないこと。秦も「不安になっている時間はないので、これからできることをしっかりやっていきます」と本来のポジティブ思考に切り換えた。
「以前の助走ではその日の6本の中の1本は記録を出せても、風に左右されたりして安定感に欠ける部分がありました。今の助走は速度さえ出れば安定すると思います。ちょっと苦しい時期が続いていますが、パリ五輪に向けてしっかり調整を進めます」
昨年の世界陸上は2~6位が6m80~90台という混戦だった。五輪や世界陸上本番で7mに迫れば入賞が期待できる。新しいスパイクの特徴を生かした助走と、それに合わせた踏み切りができれば走幅跳選手にとって大きな勲章である7mも期待できる。
だが秦は「7mは頭の片隅において、まずは自分の跳躍に集中します。その先に7mという結果が付いてきたらいい」と記録を意識しすぎないようにしている。新しいことに挑戦する秦の競技スタンスこそが、パリを戦う上で重要になる。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)
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