石川県津幡町出身の大の里が初優勝を果たした大相撲夏場所。
県内でも子どもからお年寄りまでが大盛り上がりでした!
今回はそんな相撲にまつわる疑問です。
疑問を寄せてくれたのは4歳のひよりちゃんと3歳のさとかちゃん姉妹です。
その疑問は…。「どうしてお相撲さんは裸なの?」。
大相撲は毎場所欠かさず見ているという2人。
お客さんは服を来ているのに取り組みをするお相撲さんだけが裸なことに気づき不思議に思ったそうです。
やってきたのは津幡町少年相撲教室。
50年以上の歴史がありかつてはあの大の里も通っていた場所です。
ここに通う子どもたちに聞いてみました。
「わからん」「う~ん…なんでやろ」「汗が出るからです。汗が服についたら相撲がやりにくい」。
裸が恥ずかしいと思ったことはないのか?
「ありません!暑いからです、おれは1年中半袖半ズボン」「強そうに見える」「今もそうだけどたまに女の子とか家族が来ることがあって乳頭を見られるのがヤダ」
子どもたちの答えは果たしてあっているのか!?確かめるために向かったのは…。
石川県野々市市にある「相撲茶屋 繁」。
絶品ちゃんこ鍋が自慢のこのお店を切り盛りしている高木立太さんは元お相撲さん。
「高立」の四股名でおよそ7年にわたって土俵に立ち続けていました。
高木さんは裸で相撲をとることにギモンはなかったのでしょうか?
「小中高大学と相撲をやってきましたけど今思い返してみれば皆さんほぼほぼ裸だったかなと思いますね。周りが裸だったいうのにつられて裸になったと思いますね。一人だけだったら恥ずかしかったのかなと思いますけど、みんな裸だしこんな感じかなって思ってやっていましたね」
裸の理由、教えてください!
「正々堂々と戦いますよっていう意味で裸なんだよっていう風に教えてもらいました」
なぜ、裸だと「正々堂々戦う」ことになるのでしょうか?
それにはお相撲さんが取り組みの前に拍手をして腕を大きく開き手のひらを相手に見せる「塵手水」という動作も関係しているんです。
「何も武器を持っていないっていう意味と不正なく裸一貫で戦うっていう意味で裸だったりそういう儀式をやる」。
裸でいると武器を隠し持つことができないことから不正をしていない証になっていたのです。
そもそも相撲はどのようにして始まったのでしょうか。
相撲に詳しい岡山大学の大久保範子准教授に話を聞きました。
「日本書紀に書かれているんですけど出雲の国の野見宿禰と當麻蹴早っていう力士が対戦したのが、相撲の史実上の始まりと言われています」。
日本書紀によると紀元前23年に野見宿禰と當麻蹴早という2人の力自慢が天皇の前でどちらが強いかを決めるために勝負をしたことが相撲の始まりだというのです。
そこから1800年以上にわたって相撲は栄えていきますが明治時代に入ると裸であることでピンチを迎えます。
大久保准教授は「裸でふんどしひとつで戦う、それは明治時代に明治政府が頑張って行おうとしていた欧化政策の対極に当たるものなんですよね。西洋では裸ではなく洋服を着る髷も結わない」と話す。
髪形をざん切り頭に変えて洋服を着るなど日本がヨーロッパの国に追いつこうとする中でちょんまげに裸のお相撲さんは古い時代のものとして厳しい目を向けられるようになってしまいました。
そこでお相撲さんたちは相撲の地位向上のためにある行動にでます。
「火消しのボランティアをする団体を力士が組織して東京の中で消防活動をボランティアのように従事して相撲廃止論を和らげるために頑張った」。
お相撲さんたちの努力の甲斐あって相撲は人気を取り戻し、国技として続いているのです。
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