パリオリンピック前最後の国際大会であるバレーボール・ネーションズリーグを戦っている男子日本代表(7日現在、5勝2敗)。人気、実力共に史上最強と言われるチームを正確なトスでけん引するのが、セッターの関田誠大(30)だ。
今や日本代表の絶対的な司令塔とも言える関田。その関田が代表に呼ばれ始めた頃から、共にセッターとして招集されていたのが、2023年3月に亡くなった藤井直伸さんだ。安定性を求める関田に対し、クイックを多用する攻撃的なスタイルの藤井さんは「お互いを成長させ合う仲間」だったという。「2018年ぐらいから藤井さんと一緒に代表で切磋琢磨しながら戦ってきたので、居て当たり前の存在でした。当時は負けたくないっていうか、藤井さんに勝ちたいっていう思いが強かった」と関田は振り返る。
2021年の東京五輪では関田がレギュラーとして出場したが、予選ラウンドのベネズエラ戦(7月24日)では藤井さんが途中出場し、勝利を収めている。関田は藤井さんとの関係性について「プライベートでもたまにお酒とか飲んでワイワイしたりして楽しんでたんですけど、結局はバレーで、例えば試合でどっちかが苦しいときに代わって、そこで試合に勝つとかそういう場面も結構あったので。お互いを支え合うというかそういう思いの方が強いです」と話す。
互いに切磋琢磨しあうライバルだった藤井さんの“胃がん・ステージ4”という病状が伝えられた際は「信じられない」と愕然とした。「藤井さんなら必ず戻ってくる」と願っていたが、藤井さんは31歳という若さで帰らぬ人となった。
昨年10月に行われたパリ五輪予選/ワールドカップ。五輪出場を決めたスロベニア戦後、亡き藤井さんを思い、あふれ出す涙をこらえる関田の姿があった。「藤井さんが居たかった場所に自分も立って、精一杯やれて結果が出た」と言葉をふり絞った関田。背番号3、代表時代の藤井さんのユニフォームを着てのインタビューだった。
関田は今でも「藤井さんのプレーはこうだったな、とか考える時もあります。藤井さんだったらもっとポジティブにしてるだろうなとか。すごく明るい人なので」と思いを馳せる。それでも、代表での試合は「藤井さんの想いも含めて戦いたいという気持ちはあるんですけど、やるのは自分なので。僕がそこまで余裕を持てればいいんですけど」と冷静に臨んでいる。「まずは自分のプレー、パフォーマンスを最大限出すことが重要かなと思っているので、それに向かってただやるだけかなと思ってます」。
ネーションズリーグは五輪前最後の国際大会。関田は「パリ五輪でパフォーマンスを出すために必要な大会。昨年はファイナルに行って3位になったので、同様の結果を残したい」と話し、メダルを目指す。身長175cmとバレー選手としては小柄だが、「高さがないので技術でカバーしていくしかない。アタックを打ちやすいトスを常に追求したい」と他にはない自身の持ち味を出していくつもりだ。
普段は「あんまり自分のことをさらけ出すのが得意じゃない」と話す関田だが、プライベートでは意外な一面も。自他共に認める古着好きで、古着を語る時は饒舌になる。「好きなものを着てるって感じ。掘り出すっていうか、たまになんかレアなものとかあるのを見るのが好きなんですよ」と話し、行きつけの古着屋なら30分以上滞在することもあるという。古着は「年代やタグも大事」。趣味に没頭する姿も、技術を追求して常にプレーする姿と同じなのかもしれない。
■関田 誠大(せきた・まさひろ)
1993年11月20日生まれ。東京都出身。身長175cm。東洋高校(東京)時代(当時1年)ひとつ上の柳田将洋(当時2年)とともに全国優勝。中央大学では3、4年次に全日本インカレで2連覇。全日本ユース・ジュニアの各年代の代表に選出されている。2016年に日本代表初選出。2021年東京五輪では全試合スタメン出場。東京五輪後、クプルム・ルビン(ポーランド)に移籍。2022年6月にVリーグ・ジェイテクトSTINGSへ加入し、現在に至る。
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