ゲーマーにしてライターのしげるさんが,頭を悩ませつつも楽しんで子育てに向き合う過程をエッセイにする企画「しげるのゲーミング子育て日誌」。不定期でお子さんの成長とともに起こる悲喜こもごもを連載していきます。
第2回は,SNSの投稿などでよく見かける「夫婦の認識のズレ」について。家事分担に偏りのある家庭で起きがちなすれ違いは,実は子育ての構造が家庭内で共有されていないからではないか,としげるさんは仮説を立てました。「子育てはFPSだけじゃない,戦略ゲーでもある」って……いったいどういうこと?
休日,夫に子供の世話を任せたところ,オモチャは買い与えるわ,お菓子は自由に食べさせるわで,子供の好き勝手にさせて放置し,おまけに「子育て,簡単じゃん」みたいなことまでドヤ顔で言われて,ブチギレそうになりました……みたいな投稿,SNSをやって長い人なら何度か見たことがあるのではないだろうか。
前提には「普段夫が外で仕事をして家計を支え,妻は育休をとったり時短勤務で働いたり,あるいは仕事を辞めて,子供の面倒を見るなど家事労働を担当している」という家庭状況が多くなる傾向があり,それはそれで多くの問題を含んでいるのだが,ひとまずこういった投稿自体はそれなりによく見るものだと思う。
ここまでいかなくても,子育てに参加した夫に対して妻側が相当厳しいことを書いているところはちょいちょい見かける。おむつを替えた程度でやってる感を出すな。たまの気まぐれで子供の相手をしただけのくせに偉そうにするな。一日子供と外で遊んだだけでわかったような顔をするな。何がイクメン(この単語も昨今あんまり聞かなくなりましたね)じゃ,このボケ! こういった怨嗟の声を目にするたび,子育て中の夫としては正直少しばかり恐怖を覚える。うちもこう思われてたらどうしようかな……。
しかし,なぜこういった怒りが発生するのだろうか。夫婦間の認識のズレやすり合わせ不足はひとつの原因だろうが,しかし何をすり合わせたら問題解決に向かうかがわからなければ,話し合ったところでグチの投げつけ合いからケンカに発展してしまう可能性がある。それはイヤだな……と思いながら子供のおむつを替えていたところ,あることに気がついた。子供用の各種アイテムを入れているワゴンに,おむつが補充されている。自分が補充した記憶はないから,妻がやってくれたわけである。
しげるさん宅のおむつ台 |
これか……ここに夫婦間で認識がズレてXに愚痴を書かれる原因があるのかもしれない……と,この時ちょっと閃いたので,今回はその話を書きたいと思う。人によっては「気づくのが遅いんじゃこのタコ!」と思うかもしれないが,まあ,鈍い奴はノーヒントだとこんなもんであるという,ひとつのサンプルとして読んでいただけると幸いだ。
さて,補充されているおむつを見て何に気がついたかというと,「育児は兵站(へいたん)のゲームかもしれない!」という点である。兵站とは,辞書(新選国語辞典 第七版,小学館)では「戦場の後方にあって,糧食・軍需品の供給・輸送などをとりあつかうところ」と説明されている。これも間違いではないが,平たく「兵站」といった場合には軍隊における補給・輸送・管理のロジスティックス全般を指す動名詞的な用例が多い。
「育児」と言われて,頭に浮かぶのはどのような作業だろうか。自分で実際にやってみる前は,おむつを替えたり食事を食べさせたり一緒に遊んだり絵本を読んであげたりして,子供の面倒を見つつ成長を見守ったり補助したりする作業なのかな……とボンヤリ思っていた。それはそれで正しい。しかし,これは育児という作業のうち半分しか見えていない。
ではもう半分は何なのかというと,絶え間ない物資の補給とその管理である。赤ちゃん〜幼児期の子供は,物質的にも手間・時間的にも膨大なリソースを消費する。排泄しようにもトイレに行けないからおむつが必要になるし,食事をするにも大人と同じものは食べられないから,離乳食などを別で用意しなければならない。すぐに体が大きくなるから衣服に関してもサイズアウトが前提となり,1シーズンごとに買い替える服とまだ着られる服とを選別しつつ用意することになる。
保育園や幼稚園に通うとなったらさらに別系統のアイテムを用意しなくてはならない。園内でお昼寝をするならば布団やパジャマを持っていかねばならないし,園で指定している帽子や運動着があればそれも用意する必要がある。
それらを一定のサイクルで園から引き取って洗濯して乾かし,次の登園時にはまた持っていき,合間に自宅で使用する各種資材の在庫を管理し,必要ならば注文するなり買いに行くなりして一通り揃え,それを整備,補充する。これが兵站業務でなくてなんだろうか。いざ子供のおむつを替えようとした時,手元に充分な量が補充されていること。それ自体が,妻による不断の兵站業務の結果であるということに,遅まきながら気がついたわけだ。
さらに言えば,兵站をデザインするためには戦略レベルでの方針決定が必要となる。「赤ちゃんの肌を大事にしたいから,ちょっと高くても高品質なおむつを使いたい」とか,「おやつには特にこだわりがないから,たまにはスナック菓子もあげちゃおう」とか,「基本的には低価格の衣服を活用しつつ,たまにはちょっと高級なよそいきも購入しよう」とか,生活にまつわる諸々の方針を決定しなければ,それに応じた物資を補給し,管理し,消費することはできない。
しげるさん宅に備蓄された物資 |
つまり「親である自分たちがどうやって子供に対応し,どのような方針で衣食住の面倒を見ていくか」という根本的な部分を決定せずには,適切な兵站は実現できないのだ。「あんまり深く考えず,親の負担にならないようその場のノリで適当にやる」みたいな雑な方針でも,方針は方針。子育てをやる以上,具体的な方針の策定からは逃げられない。
ゲームに例えれば,実際に子供のおむつを替えたり食事を食べさせたり……という作業は,FPSやアクションゲーム的な,プレイヤーが最前線でドンパチやるタイプのゲームに該当するだろう。派手でわかりやすく,見た目がゲームっぽいので詳しくない人でもイメージしやすい。実際に子育てをプレイする前の自分が想像していたのも,こういったイメージしやすい作業だった。
しかし,派手でわかりやすい子育て作業の背後には,長大で果てがなく地道な,戦略シミュレーションゲーム的なレイヤーが存在している。しかも子育ては勝利条件もプレイ時間も明確でなく,それでいて毎日のチェックと実作業が必要となる。子供と外で遊んだり絵本を読んでやったりするのに比べると,圧倒的に面白くない。
話はこのコラムの冒頭に戻るが,「ダンナに一日子守りを任せたら,普段は禁止しているお菓子を食べさせたり勝手にオモチャを買ってやったりしてて,しかも余裕こいて『簡単じゃん』とか言われて,死ぬほどムカついた」みたいな話は,夫側が子育てというゲームの構造をいまいち理解していないところから発生したトラブルなのではないだろうか。
夫が子供と出かけるためには,下手をすれば前日の夜からおむつ,食事の道具,おやつ,持っていくオモチャなどの準備という,子育ての戦略に基づいた兵站業務が必要になる。しかしいざ夫が帰ってきてみれば,戦略にまったく沿わない行動をとりまくった挙句,日々の兵站業務のダルさも知らずに調子こいて「簡単じゃ〜ん」とか抜かしてやがる……! そりゃまあ,Xに愚痴も書くわな,という話である。
夫からすれば,派手でわかりやすい作業こそが「育児」に見えていたのだろうし,説明されない以上わからないこともあるだろう。しかし,日々の兵站業務に忙殺されている側からすれば,「なんかずっと準備してるけど,何をやってるの?」みたいな質問自体にイラつく可能性も充分ある。
そもそも夫側だって仕事があって忙しく,気を配れないこともあるはず。そして,これらの要因によって兵站業務担当者の不満は積もりに積もり,いつの間にか危険極まる火薬庫のような状態になっていくのである。想像するだに恐ろしい。
こういった意識のすれ違いを解決する方法として,ひとつには完全に家庭の中の一人に育児に関する業務を集中させてしまうというやり方がある。スポーツでいう監督と選手の役割を一人の人間に同時に負わせてしまえば,作戦遂行のプロセスはずっと単純になるはずだ。
ゲームで例えれば,一人のプレイヤーが「大戦略」と「Call of Duty」を同じマップで同時にプレイするようなものだろう。思ったようにコマを動かして兵站を管理する戦略シミュレーションモードと,実際にアクションを起こしてタスクを解決するFPSモードが,同じ家庭内で同時進行しているようなイメージである。
実際,このパターンで日常を乗り切っている育児中の家庭は多いだろうし,そこにたまに夫(ふだん家事労働をしない側)が入り込んできて無神経なことをするから,このコラムの冒頭に書いたような悲劇が起きるわけである。
しかし,今の世の中は夫も妻も子育てにコミットするのが当たり前。家の中に監督とプレイヤーが二人ずついたら,混乱は不可避だろう。となれば,不要なすれ違いによる揉めごとを避けるための解決策は,まず子育てに関する作業にはFPS的実戦レイヤーとシミュレーションゲーム的戦略策定・兵站業務レイヤーが存在することを確認し,関係者全員が目標や戦略を共有したうえで,今自分がどちらのレイヤーに属する作業を行なっているのか把握することではないか。要は「まあ,コミュニケーションをとったほうがいいよね」という,ずいぶんありきたりな結論が出ただけな気もするが……。
しかし,子育てにおける兵站業務については,担当していないプレイヤーはその過酷さやめんどくささに案外気がつかないものである。子育てでは種類が異なるふたつのゲームを戦う必要があり,どちらか片方をプレイしただけでは本質を理解したことにならないという点を意識するだけで,結果はだいぶ違ってくるのではないだろうか。
さらに言えば,家事労働全般に兵站業務はついてまわる。切れたトイレットペーパーを補充する,なくなったシャンプーを買いに行く,「料理」以前に一週間分の献立を考えながらスーパーに向かう……などの,いわゆる「名もなき家事」の多くは,兵站・補給に関する雑務だ。実際にアクションを行う動的なゲームよりも,戦略シミュレーション的な静的なゲームのほうが,家庭内の家事労働においては相当なウエイトを占めているのではないだろうか。
自分でやってみてようやくわかったが,子育て,そして家事労働全般には,プレイヤーにしか見えていないゲームが無数に存在している。外で労働していればそれらを観測することは難しいし,育児というゲームをプレイしている側も,忙しかったり疲れていたりで「今はこういうゲームをやっているよ!」「こうなったら勝ちだよ!」とパートナーにいちいち説明しているヒマはないだろう。
でも,「育児にはレイヤーや種類が異なるふたつのゲームが入り組んでおり,片方だけをプレイしても全体を理解するのは難しい」という点を飲み込んでおくだけでも,多少は家庭内の人間関係がマシになるのではないだろうか。とりあえず自分はその点だけでも忘れないようにしよう……と,改めて思うのであった。
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