2004年4月28日。ビジュアルアーツのゲームブランド“Key”が,恋愛アドベンチャー「CLANNAD(クラナド)」を発売した。中身を知らない人でも「CLANNADは人生」なんてワードに聞き覚えはあるだろう。
2024年4月に入ってからのこと。梅雨を先取りした雨風に嫌気が差していたころ。私は“CLANNADが20周年”を迎えることに気付いた。語れる話はたくさんあったから,急いで文章をしたためた。でも。
5年に1回くらい思い出す過去に邪魔されて。
ふと,自語りしたくなり,すべて消した。
中学の生をTVアニメ「シスタープリンセス」で破壊され,Keyの恋愛ADV「Kanon」で再構築し,「AIR」で再始動した10代前半。とあるヤツのせいでネット上の人付き合いに深刻な障害を抱えていた時分。
当時のネットコミュニティは「2ちゃんねる」(現:5ちゃんねる)が圧倒的な支持を得ていたが,Yahoo!JAPANもまた「Yahoo!掲示板」という名のBBS(電子掲示板。死語)を奥ゆかしく運営していた。
そして,あのとき,あの場所には,確かに。
CLANNADを愛する人がいた。
出会い
事のはじまりは2002年。いや,2003年だったか。
まあいい。まずは「Yahoo!掲示板」の話からだ。
Yahoo!掲示板は一般的なBBS……と言うには概念ごと絶滅しかけている現代なので,若い人はピンとこないかもだが。
5ちゃんのように「板」(カテゴリ)があり,板ごとに「トピック」(スレッド)を立て,そこでワイワイ投稿し合うものだった。
なお,同サービスは2013年に大部分が閉鎖された。2019年には市況(株式やFXなど)機能だけをYahoo!ファイナンスに移行し,歴史も潰えた。厳密には細かな変遷があるが,この話には不要だ。
それと単純な話,当時のYahoo!関連サービスは検索エンジンなどで存在感を高めていたが,現代の「Yahoo!ニュース」のようにキュレーション機能は時代的に弱かった。なので掲示板にしろ,今で言う“ヤフコメ”のような盛り上がりなどない。利用者は母数的に少数派だった。
私も住み家は2ちゃんだった。けれど,なにかの拍子にYahoo!掲示板にやってきた。おそらく,不夜城の大衆居酒屋に飽いて,場末でひっそりと営業されているローカルな飲み屋に行きたかったのだろう。
初めて訪れた未知の場所。ふらりと進んだのは大カテゴリ「ゲーム」,のなかの中カテゴリ「ゲームソフト」,のなかの小カテゴリ「アドベンチャー」だったか「その他」だったか。もう忘れたな。
なにせ,Yahoo!掲示板は影も形も残っちゃいない。
大看板のゲーム板ですら,地方4番手のにぎわいすらなかったそこは,奥に進めば進むほど人もいなくなる構造だった。細分化に努めたこのBBSがなぜ消えていったのかは,今じゃなくてもよく分かる。
たどり着いた先は,地方駅の外れにある,路地裏の飲み屋街のように映った。10店舗のうち1店は地元民でにぎわっているが,残り9店舗には客がいない。トピを立てた店主は人と人とのささやかな交流のため,限りなく清水に近い濃さの水割りのようなコメントを残すが。
当人すらも反応を求める前に夜逃げ。その後の人生で振り返られもしなかっただろう。Yahoo!掲示板の奥地はそういう場所だった。
私も強い意志で訪れたわけではない。なので,そのままとんぼ返りしようとした。けれど,そのうち1店舗だけ目についた。
トピの名称はあやふやだが,「Key作品が好きな人集まれー」だったか「CLANNAD発売待ちの人集まれー」だったか。
いずれにせよ,これらに近しいメッセージ性のトピ名だ。
Keyにヤラれ中だった私は,軽い気持ちでのれんをくぐった。
トピ主の名は「CLANNAD愛してる」。
厳密には,ハンドルネームをいくつも持てて,気分次第でコロコロと変えられる仕組みで,また英数字のみしか使えない仕様だったが。
便宜上,その人の名は「愛」と呼ぼう。
愛はトピの顔になる最初の投稿で,とくにユーモラスでもない,至ってクソ真面目なあいさつに,ほんのすこしだけ口語のアクセントを加えたような,要するに普通のコメントを載せていた。
客からのレスも3件くらいあったはずだが,どれも会話の流れは成立していない。今でもよくある,悲惨に寂れた光景だ。
パッと見で分かった。この店は失敗だと。
ハンドルネームからして,クッソ痛いし。
しかし当時の私は,現在の私が「頼む。二度と思い出さぬよう記憶の底で死んでくれ」と思うくらい,若気の至りの最先端にいた。
そのため,2ちゃんノリで語尾に「www」(ダブリューダブリューダブリュー。草と呼称されるのは先の時代)を生やし,空気をいっさい読まず,荒らし相当のイキリっぷりでちょっかいの一言をぶつけた。なんて言ったのかは覚えていない。できれば思い出させないでほしい。
そんな凄惨なレスに対して,愛は。
「うはwww おkwww っうぇっうぇwww」
的な返しをしてきた。完全に,荒らしに構わないスタンスだ。
でも,反応があったことがうれしかったのだろう。私は直後にスンッと澄ました口調で,出会いのことはクールな感じでなかったことにして,「CLANNADいつ発売されるんですかねー」的な当たり障りのない返事をした。それにも愛が食いつき,私たちの会話ははじまった。
Keyの最新作「CLANNAD」は当初,2002年発売の予定だった。だが延期が重なり,愛と出会ったころは直近の未来も不明だった。
そんな状況での話題は,Key作品のこと。一様(※)言っておくが,中学生の私はKanonもAIRもドリームキャスト版で遊んだため,「えっちなのはいけないと思います」と言われる筋合いはない。
むしろ,このころは美少女ゲーム界隈の知識が皆無だった。Key作品が人気なことも,原作が18禁だったことも知らないくらいには。
★これから随時,18禁ゲームの名称が出てくるが,それらはすべて「18歳以降に遊んだ」と信じてほしい。まったく益体もない
最初はきっと作品の感想でも語り合っていたのだろう。しばらくすると「どのキャラが好き?」な話題に移り,2人の傾向が見えてきた。
私はKanonであれば,月宮あゆ,川澄 舞のような幻想系を。愛は美坂 栞のような地に足がついている現実系を好んだ。もちろん,Key作品の“色”についてはどちらも満場一致で賛である。
その間,私はよくけんか腰で相手の好きをなじった。「美坂姉妹のどっちがイイか」では香里を持ち上げ,栞をけなしまくった。本当にドン引きのクソガキだったが,愛はそのたびに栞のセリフを引用し。
「そんなこと言う人、嫌いです!」
と言った。方向性は違うがイタさは同レベルだ。
愛が「CIRCUSのDC 〜ダ・カーポ〜って知ってる?」と聞いてきたら,「全クリした」と返した。知ったかぶりだ。その後に急いで買って遊んで感想を合わせた。ほんと泣けてくるが,後出しのプロだった。
DCの傾向にしても,私は芳乃さくら,朝倉音夢などの魔法系が好きだった。愛は水越眞子,白河ことりなどの現実系を好んだ。
天枷美春ルートについては,2人とも好きだった気がする。
私たちの毎日はそんなふうに続いた。
だいたい夜に,互いに1〜3レスずつ返すのがお決まりになった。
そのころリアルで遊んでいた地元友達は,夜中にアスファルトを(原付の)タイヤで切りつけながら威嚇し合い,今になって「あのころ若かったよな〜」とやっすい居酒屋で武勇伝を語り合うようなヤツらだった。水は合ったが,ゲームの話は64スマブラが関の山であった。
多くのオタクが,踏み絵を前に身を潜めた時代。
愛のように個人として話せるオタクは希少だった。
社会生活の都合上,ときには愛が返信しなかった日もあった。こちらが返信しない日だってあった。ただ,隠れ家的な交流はとても心地よくて,愛の返事がないと「ざけんな返信しろ!」と怒っていた。
そう感じるくらいの愛着をすぐに持った。
当時は匿名性が美徳とされていたネット時代。2人とも現実のプロフィールには触れようとしなかったが,愛もエロゲをやるからには18歳以上である,という匂いを醸してくる。だが,会話の節々から受け取れる情報を見るに,私と愛の年齢誤差は1歳前後。というより,完全に同年齢の高校生世代かもと思うほどのライフスタイルが透けて見えた。
まあ,私のほうは「勉強なんざなんの役にも立たねえ」などと。思春期の命題を道連れに社会のレールからダイブし,数年経ってまたよじ登ることにしたという,純然たる純正の落ちこぼれだったが。まだNEETという単語もなかったころは,無職引きこもりと呼ばれてたっけか。
ただ,そういう誇れることがなにもない遠い回り道をしなければ,今この仕事をしていなかったと断言できる。だが,マジで,本気で。この世にタイムマシンが生み出されたなら,私は頭が壊死したこのクソガキをぶん殴るためだけに老後の資金を投じかねない。
閑話休題。ともかく同年代特有の感覚で,愛の年齢感はだいたい見えていた。もちろん,最初から分かっていたわけではない。
これから長くなる付き合いで,あとあとになって勘づいたことだ。
ちなみに,愛にチラ見せしていたパーソナル面は100%ウソで塗り固めた。頭の頭痛が痛いので書くのもツラいが,記憶の限りでは。
・20代半ば。姉と2人暮らししてる(姉は1人暮らし)
・家に幼なじみを連れ込んでるらしい(貴様殺すぞ)
・前髪で目を隠すカッコいい主人公系(やめてくれ)
・なんか,すごくカッコよく成功中(死んでくれ)
それもこれも,すべてはとあるヤツのせいだが。
心から願う。誰かこのクソガキを処させてくれ。
デジタルおじさん
CLANNADの続報がないまま,愛との交流は半年をすぎた。
私は2ちゃんを離れたし,愛は2ちゃんが嫌いだった。
路地裏の飲み屋街は相変わらず活気がない。一番人気の総合雑談所的なトピは,会話というより情報共有,あるいは日記的な色が強かった。そのため,レス数だけなら二番人気になった「Key作品が好きな人集まれー」には,会話目的でチラホラと迷い込んでくる人が出てきた。
が,そこを自分ん家とばかりにイキリにイキッたクズがいる。私だ。客が来ても愛にするのと変わらぬデカい態度で応対した。
その点,愛はあくまで中庸的な姿勢で,礼節を持って迎え入れようとしていた。ただし,積極的に受け入れていたのかは分からない。
その姿は,交流の輪を広げようとする優等生にも見えた。胸襟を開こうとしない閉鎖的なヤツにも見えた。少なくとも,私たちの様子はギャルゲーの鉄板ネタ「主人公(愛)と悪友(私)」のようであった。
そこは愛も気に入っていたことだろう。まあ,こちらがなじると返事は相変わらず「そんなこと言う人、嫌いです」だなんて。
目に入れなくてもイタい,栞気取りだったが。
結果的に,交友のぬくもりを求めにきた客の多くは,地元の親友同士が共通言語で仲良しこよししているような閉鎖環境であることにすぐさま気付き,全員,数日も経たぬうちに退店していった。
トピ名に「Key作品が好きな人集まれー」と書いておいて,その実。私たちの居場所はパブリックな世界に開かれていながら,どろり濃厚に煮詰まったクローズドな友達ん家にしか見えなかった。
といっても,私はそれを誇らしく思っていたし,愛もまた楽しんでいただろう。だから,2人にとっては関係のないことだ。
ある日,1人の大人が現れた。彼の名は正確に覚えていないが,デジタルおじさん。ここでは「デジおじ」と呼ばせてもらおう。
デジおじのペルソナ(ネット上の人格)は,20代後半〜30代前半くらいの男性。言葉や態度は丁寧で,崩したノリにも乗ってくるが,どこぞのクソガキのようにボーダーラインを見誤ることはない。
エロゲ関連は90年代の知識がとても豊富。そのうえで本領はPCやネット関連,サウンド関連での技術屋の香りがするところ。Webのアングラ面にも精通しており,明らかに引き出しの多い人物だった。
それこそ,4Gamerに1人はいそうな感じである。
デジおじは,すぐに去っていった礼儀優先の客たちとは違い,初手から柔和な小悪魔(おじさん)といった口調で加わってきた。
顔も毎日は出さない。不定期にチラッと輪に入っては酔いも残さぬうちに帰宅する。それまでの一見とは異なり,ゆっくりと穏やかなペースで,ふたりぶんの青空しかなかった閉所にヌルリとはさまった。
彼はいろんなことをわきまえていた。「当時の私から見れば」だったかもしれないが,ネットでの交流が上手だった。それでもだ。
正直,遊び場に異物が混入したみたいで,かんに障った。
直感で判断した。こいつは悪いやつだと。
デジおじはその知識をもって,ほとんどの会話に含蓄をもって返してきた。ゲームの開発スタッフのことも詳しかった。
それが嫌みったらしかったのなら口撃していただろうが,彼のニュートラルな姿勢にはツバの吐きかけようがなかった。
愛のほうもテキスト,イラスト,サウンドへの造詣が深かった。小難しい三国志の本を読んでいたり,七尾奈留氏やみつみ美里氏の描く美少女が大好きだったりした。Liaさんやriyaさん,片霧烈火さんといったアーティストも好きで,音楽の感想もしっかりと書いていた。
当時の私には「ゲームは会社が作ってる」くらいの思考力しかない。実際に作る人の存在など意識の外だった。だが,彼らと同等の力量を備えているかのように見せつけるべく,知ったかぶってから調べた。
それが通じなさそうなときは,「しってる」「やった」とうそぶいてから流す。ハリウッド映画のように小粋な返答で茶化して流す。分からないから攻撃する。それが最も知識いらずで返せる手段だから。私のテキストコミュニケーションは知ったか用途に先鋭化していった。
そして愛はお決まりのように「そんなこと言う人、嫌いです!」と返してくる。ほほえましい。実にほほえましい光景だ。
実に痛々しいヤツらである。
こちとらゲームはやりまくっていたが,それだけだ。モノやコトに対する感想など,真正面からでは「よかったです」しか思い浮かばない。無知でイキるだけのクソガキの言語力や感性は,小中学校の5段階評価で2〜3レベルなのだ。今でも覚えている。愛に指摘されたことを。
「“一様”じゃなくて,一応だよ」(誤字の指摘)
その日は恥ずかしくて顔真っ赤だった。
それに,デジおじも問題だった。人は他者の文章から,すべてとは言わないが人格をのぞき見ることができる。私の言葉はおそらく,理知的な彼に見透かされていた。そうと気付くことが何度かあった。
架空の人格を看破されていたならまだいい。今となると,彼の一世代下を自称するわりに幼稚だと思われていたほうがツラい。
けれども。デジおじは私に対して一度たりとも手痛いことを言わなかった。彼はまっとうに大人で,たわやかで,優しかった。
私と愛とデジおじの3人部屋になり,しばらくしたころ。誰が約束したわけでもなしに,午後21時〜24時の間のレス数が爆増した。
私たちは毎日それくらいの時間帯に,1時間か2時間か。5分や10分に1回くらいのペースで高速投稿し合うようになっていた。
それはもはやチャットであった。Yahoo!掲示板を知る古代人なら,あそこの仕組みではそれがいかに向いていないか思い出せるだろう。
Yahoo!掲示板は,2ちゃんのように投稿文が一画面に連なって表示される形式ではなく,各投稿の閲覧にページ遷移が求められた。
言ってみれば,4GamerのTOPページのようなもの。Web構造としては今でも普遍的だが,ハイペースな会話には絶対に向かない。
向かない,はずなのだが。やたらと過熱した。自分が投稿したあと,数分間隔でページを更新し,愛とデジおじが発言したら,両者宛てに即座に返す。とにかく速さを求めた。それでいて生返事にならないよう,返答には所感と疑問をしっかりと文章にして,次の話につなげていった。
それをするにはあまりに不便な作りが,逆に私たちは燃えさせたのだろう。「Yahoo!掲示板という寂れた場で,2ちゃんの人気板みたいなレスポンスで話し合っている」という状況に酔っていた。
毎日のピークタイム時は,総計レスが20前後にもなった。路地裏の飲み屋街にあって,やけに勢いづいていて,日に日に人気店のような風格を醸し出すようになった。そして一見も増えていった。
もちろん,私たち以外はみな去っていったが。
2人は,私がまったくの無知であった美少女ゲーム界隈の知を充実させていった。表面上は知ったかぶっていたので強者に見えていただろうが,デジおじだけはそういう姿勢も察していたことだろう。
いや,もしかしたら愛にもモロバレだったかもしれないが。
愛は葉鍵(LeafとKey。当時の二大巨頭)を信仰していた。鍵っ子の一歩先を行くTactics(Keyの前身的なブランド。詳細はよそで)にも精通していた。Leafに関しては「痕」や「輪(WHITE ALBUM)」を好み,ほかにも「家族計画」や「君が望む永遠」を強く評価していた。
当然,私はそれらの作品やブランド事情もまったく知らなかったので,履修済みと返してからリアルタイムで調べまくった。
ハカロワ(葉鍵ロワイアル)などのアベンジャーズ的な楽しみ方もあったとはいえ,「ONE 〜輝く季節へ〜」もやっていない時分に,よくもまあ「七瀬最強」「茜ルート最高」などと言っていたものだ。
不可視の力でぶっ飛ばすぞ(MOOM履修)。
デジおじのほうは,やはり葉鍵が好きなものの,いろいろと手広く知っていた。なかでもアリスソフトの「零式」「DiaboLiQuE(デアボリカ)」「アトラク=ナクア」を教えてくれたのはデカい。
最初は知ってるフリで押し通したが,しゃあないからと実際にやってみたら,いずれも最高峰に好きな作品になった。
鳳姉妹に初音姉さまはもちろん,DiaboLiQuEが好きすぎた。当時はもうTYPE-MOONが「月箱は即プレミアム価格」といったほどの伝説的扱いに踏み入れていた気がするが,今だに“月姫”という語を見ると,ごく自然に「げっき」と読んでしまう。それくらいDiaboLiQuEが好きだ。
とどのつまり,私の嗜好は彼らによって形成されていった。
場末の板に,日々のレスが積み重なる。気付けば,私たちのトピのレス数は一番人気の雑談所を追い抜き,トップに躍り出た。
雑談所は1人の熱心な店主と,ほか10人くらいの客がいただろうか。フラッと顔出しする地元民に愛されていた。対して私たちは,並外れた勢いで濃密なコミュニケーションをした。そこになんらかの優越感と言うか,今では理解できない感情があったのだろう。そのうち。
私と愛は,板全体の有名人を気取るように,雑談所や希少な新規トピのあちらそちらにちょっかいをかけはじめた。デジおじも多少はしていただろうか。ただし,愛とデジおじはやはり礼儀を忘れず,温和に関わっていた。一方,もう1人のクソガキは,たしょーーーっは振る舞いを正すも,己を崩さずウェーイ系なノリで他店に絡んでいった。
その姿はもはや「ここ,俺たちのシマなんだよね」とばかりで。板の代表ヅラをしていた。思い出すだけで壁に3発はいける所業だ。
当然だが多くの人は,いいや全員だろう。多少は「ウェーイ!」な感じで返してくれるも,両者ともに肌感が合わず,一夜で縁が切れる。見知らぬ他人はいずれも,愛やデジおじのように「おっ」と思わせてくれる感じがなかった。そりゃそうだ。とんだ荒らし屋なのだから。
とはいえ,愛もデジおじも必ず自分たちのところに帰ってきた。彼らまで同列に語るべきではないが,2人も求めた遠征には至らなかったのだろう。至極単純な話である。私たちは仲がよかった。
そうやって,2003年がすぎていくと。
CLANNADの発売日が2004年4月28日に決まった。
だんご大家族
長らく延期が続いていたCLANNAD。その発売日がようやく決まり,私たちは久々に,いや初めて,この場にいる理由を思い出した。
ゲーム内容に関しては多くの情報が隠されていたが,3人とも初回限定版を予約(通常版は8月発売だった)。その日を待った。
ただ,不思議と言うべきか,当たり前と言うべきか。私はCLANNADをそれほど熱望していなかった。今どきの大作ゲームは長期スパンかつ延期も当然な風潮のため,どれだけ遅れようと……とまでは言わないが。端的にユーザー側は待つことに慣れている。
だが,2000年代前半のご時世で,2年だ。KanonやAIRへの思い入れは深くとも,それらがどんな体験だったのか。思春期の速度では思い出せなくなっていた。2人に教わった数々の美少女ゲームが,“泣きゲー”とは違う楽しさを与えてくれて,感覚が塗り変わっていたのもある。
それに,この場での目的はもはや2人と待つことではなく,2人と話すことになっていた。なので投稿文では盛り上がるが,顔は真顔。
ぶっちゃけ,CLANNADへの期待感はなかった。
発売前にとくに盛り上がったのは,オープニングテーマ「メグメル」の映像が公開されたときだ。あのころは動画サイトではなく,公式サイトやアンテナサイトで動画をダウンロードし,Windows Media Playerで各人で見ていたっけか。つい思い出し笑いしそうである。
メグメルについて愛は,(同楽曲の制作に影響を与えたとされる)ケルト音楽の美しさを例に挙げて,感性的な感想を語った。デジおじのほうも音楽性に意見しつつ,技術的な話へと広げていった。
彼らの言については検索しても意味不明で,なにをどう返すか悩んだことを思い出せる。最後はきっと,2ちゃんの葉鍵板でも開き,誰かの意見を濃縮せずにパクって,それっぽい返信でもしたのだろう。
私が設定した架空の私は知性派なのだ。「知らない」「分からない」などと言うはずがない。ほんまこいつマジで。
いつも通りの会話をして,1日が終わっていく。
CLANNADを待つ日々が,騒がしくすぎていく。
やがて,大きな初回限定版を買う日が訪れた。
ワンプレイ。ツープレイ。スリープレイ。
最初の感想は「むっず」だった。
私はメインヒロイン「古河 渚」のルートで選択肢をことごとく外し,汎用バッドエンドを周回していた。CLANNAD自体がなかなかシビアな選択肢ゲーであることは,経験者には理解してもらえるだろう。
そこで攻略方針を変え,ほかのヒロインの個別ルートを目指した。すると無意識のまま,流れで「一ノ瀬ことみ」の攻略に入った。
私はKanonでは舞,AIRでは美凪と,初回攻略はなぜか不思議系ヒロインのルートに入っていくので,ある種の必然だったのかも。
ことみルートは,大変よかった。初回がことみだったから「泣きゲーとはなんなのか」を記憶の輪郭ごと思い出すことができた。
続く攻略順は思い出せないが,たぶん「藤林 杏」だろう。愛とは美坂姉妹のときと同様,私が杏で,愛が椋で,どっちが正義かでのちのち口論を交わしたものだ。ゲーム攻略的な意味合いで,当初の椋派は少々不憫だったので,そこを突いて暴言しまくった気がする。
続けて「伊吹風子」も鍵っぽい子で大好きだった。「坂上智代」はスピンオフ作品「智代アフター 〜It's a Wonderful Life〜」が最高だった以前の感想を思い出せないが,まあよかったはず。
そうやって周囲のヒロインから堪能したあと。たぶん誰かの攻略情報は見ただろうな。私は渚に立ち返り,完走し,たぶん泣いた。
CLANNADは楽しかった。とても笑えて,とても泣けた。
でも,薄紙ほどの感情の障壁が消えず,どこかハマりきれなかった。
ハマれなかった原因は分かる。理由は2つあった。
1つは,CLANNADの主人公「岡崎朋也」。彼の人格に不満はないが,彼と渚を取り巻く事情がいまいち優しくないことにくすぶった。
2人の日常の裏側がときおり見せる,こびりついた焦げ付きのような陰鬱な空気感が,世界観構築と作劇において必要だと分かっていても,先端の丸まった針でチクチクと突かれているようで心が痛かった。
もう1つは,飽きた。このゲームを堪能しきるには「なんでも全ヒロインの攻略をしないといけないらしい」と聞いたから。
そうして攻略に必要な「光」を集める過程が,気付けば体験ではなく作業に置き換わる。「相楽美佐枝」を攻略したあと,最後に「柊 勝平」だけを残したタイミングで,完全に飽きてしまった。
CLANNADを遊んでいる最中も,愛とデジおじとは毎日話をしていた。だいたいの流れは,愛が直近で攻略したルートの感想を報告し,それにデジおじが誠実な意見で,私が上から目線で返していった。
私はツナ缶にむしゃぶりつく猫の速さで攻略していたが,読書感想文の類いはゴミレベルのクソガキだ。どちらかというと「よくもまあ,感情を言葉にできるね」と違うことに感心していた。
2人の真摯な声に対して,私は語り返すべき口を動かせない。検索しては誰かの言葉を借りて,それっぽく述べていただけ。
発売から日が経つと,話題もいよいよ「AFTER STORY」に突入する。私がやる前にやる気を失った,CLANNADの完結編ルートだ。
AFTER STORYの感想に関しては,記憶が薄い。
汐だとかいう,知らない人物の名が中心にあって,かと言ってそこは検索してまでネタバレを見たくなかったので,フリだけ合わせた。幸か不幸か2人とも「朋也が渚が汐が〜〜してえ」などと語らず,目で見て,耳で聞き,脳で考えた言葉で伝えてくるので,内容についてはいっさい分からなかった。なにかすごく感動したことだけ分かった。
CLANNADの感想は,3週間ほど経ったころに材料が出そろった。2人が体験をもとに総評し,1人が不義理な怠慢で薄く評した。
当時はまだ「CLANNADは人生」というネットミームが生まれていなかったし,私が同じような感想を吐けたはずもなかっただろう。
発売から1か月も経つと,CLANNADに関して語り合うことがなくなった。KanonやAIRと違い,遊んだばかりで臓腑に落ちきっていない経験だ。思い出として心の底面に染みつくには多少の時間が必要である。
だから,3人の毎日はCLANNADをよそに,それまで通りのどうでもいい雑談の日々に戻っていった。トピにおける目的を達成しきり,このあとどうなるか想像していなかった私は,日常の続きを歓迎した。
そういう,日常に戻るためのバイアスをかけた。
この場には変わらず,永遠があったから。
それからすぐのこと。デジおじが言った。
「CLANNADにひと区切りがついたのと,4月に生活環境が変わったのとで,私は今日でこの場所とお別れすることにします。もう来ないと思います。これまでいろいろと話をしてくれて,本当にありがとう。毎日本当に楽しかったです。この場所がずっと残り続けることを願っています」
言葉の細部は違うが,これ以上は覚えていない。
彼の願った場所は,もうかけらも残ってないから。
寝耳に水の急報は,私と愛を消沈させた。けれど,その日は盛大にレスをし合って,笑顔で明るくハッピーにお別れした。そう振る舞うのが粋だと思ったから,湿っぽい感じなど見せなかった。
デジおじとの別れの一幕は,吐いても消えてくれる言の葉と違い,翌日もトピに残り続けた。そういう,騒がしき日々の余韻を自らのレスで押し流さないとならなかった私と愛は,さながら「俺たちゃ平気だよ」と作り笑顔で強がるヤツらに見えただろう。表面上のノリはそのうち取り戻せたが,3人が2人に欠けただけで会話の多面性は失われた。
デジおじは立派な大人であった。姿を消すだけなら,ネットほど無言でトンズラこける場所はないだろうに。きちんとした態度で,しっかりと理由を添えて,はっきりと別れを伝えてくれた。
BBSなんざヒマなときにチラッと見りゃいいじゃん。なんてことも言えないほど,正々堂々とした気持ちのいい決別だった。それだけ私と愛をちゃんと友達と思ってくれていたのだろう。そこはうれしい。
彼の別れの姿勢は,あの場所がなくなった今でもこうして覚えているくらい,とても美しいものを見られたと思っている。だけど。
2人の間にズケズケと割って入ってきておいて,こっちが心を許した途端,文句のつけようもない後ろ姿で旅立ってしまう。
そんなデジおじは,やっぱりワルイやつだ。
Last regrets
デジおじが消えた。私と愛が残された。「CLANNADの発売を待つ」という命題もなくなったトピで,2人はそれまで通り会話を続けた。
話題は次第に美少女ゲームから,コンシューマゲームやオンラインゲームの話がメインになっていった。2人ともCLANNADという区切りをもって,美少女ゲームへの強い関心をなくしたんだと思う。
あるいは,リアルの成長も影響していたのかもしれない。
毎日のレスは徐々に,徐々に,数を減らした。それでも日に1〜3レスずつはしていたし,路地裏の飲み屋街においては圧倒的No.1のレス数で存在感を表していた。おかげで一見も引き続きやってきた。
CLANNAD発売前は「ついてこれるか? 俺たちのスピードに――」といったマウント感覚で接していた私だが,このころにはお客さんの存在が心からうれしく思えるようになり,柔和に歓迎できるようになっていた。知らない人が来てくれることが,正しく刺激になっていた。
私は,というより愛もか。大きな祭りが終わり,ともに話したいことが多くは残っていなかった。会話は続くのだが,ネタがないときは2人とも熱量を欠いたままループしたり,ときには「あー,知らないわ」と話を切ったりと。人格設定を完全に忘れ,しらふのガキになっていた。
愛も実のところ,興味のない話やついていけない話題は「そうなんだ」くらいのそっけない一言で打ち切るヤツであった。それだけに,私のほうから答えやすいフックを用意することも多かったのだが。
それを放棄しはじめたことで,話の連続性が失われていく。
今にして思う。私が虚勢を張って知ったかぶりする行動は,もしかしたら仮想人格のイメージを相手に植えつける効果よりも,愛たちとの会話を積極的につなげる技法になっていたのかもしれないと。
ただ,熱量はすこしずつなくなっていった。
でもだ。もはや日常にまで組み込まれた間柄というのは強いもので。ときおり一見さんの力を借り,気分を上げて,1年がすぎる。
2005年の智代アフターの発売時は,久々に盛り上がった。
たしか,デジおじが吐いたつばを飲んで帰ってきた日もあった。みんなでハシャいだが,翌日には惰性の日常に戻っていった。
2人して「同じオンゲでもやろっか」となったことは何度もあった。けれど三日坊主だったのだろう。記憶すら残っていないほどの一過性で終わることが多く,一緒になにかすることは互いにやめた。
私は私で,これくらいの時期にとあるオンゲで高貴な姫プのネカマをカマし,とんでもねえ地獄に陥るなど,違う世界を持っていた。
愛も愛で,私がやっていないオンゲで新たな交流の輪に入り,とても充実したオンゲ生活を送るようになった。よく感想を言われたし,どのキャラが好きかを語られたが,私はいつも通り罵倒した。
このころにはもう,定番の返しであった栞の名言「そんなこと言う人、嫌いです」もほとんど聞かなくなった。
それでもなんだかんだ,2人とも毎日話しにくる。新たなネットコミュニティもそれぞれ持ったのに,いつもの時間に声をかけ合う。肌感の合う友人となら,話のネタがなくても日々のことだけでなんとなく話し続けていられる。それと同じだった。ついでに,私はこの縁が切れるのがもったいないと思っていた。愛もだろう。
以前はチャットのように使い倒していた場所が,静かに,ゆっくりと,Yahoo!掲示板らしいスローな交流に移り変わっていく。
まもなく,Yahoo!掲示板は仕様を変更した。サーバー負担の軽減策か,2週間ほどレスのないトピは自然消滅する仕組みになった。
2006年。CLANNADの発売から約2年。このころはXbox 360でアイマス,ロスプラ,カルセプなどにどハマりしていた時期だったか。
私はこの前後の年のこと。怠惰なバイト生活の最中,ふと「学校に通っとくか」と思い,夜間の高校に入学していた。途中下車したレールに並び直したことで,リアルの友達事情にも新たな風が吹いた。
愛のほうも,ちょっとした発言の感じから大学生になっている雰囲気があった。私も社会のレールに順当に乗車していれば大学生になっていたはずなので,愛の生活のディテールも推し量りやすかった。
そしてだ。翌日バイトがなければ夜中にゲームをし,PCでネットラジオを垂れ流しながら,朝焼けに追いつかれたところで寝る。今ではうらやましくて仕方ない怠惰な日常を送っていたころのこと。
ふと,CLANNADやっとくか,となった。
2年前に中断したセーブデータはほんのすこしがんばるだけで,半日もかけずにAFTER STORYを開放させた。それからの体験は,もう。
痛々しく思っていた朋也たちの暗がりが,未来の光を強調する。なぜリアルタイムでやらなかったのか。バカが。ぶっ殺すぞ。まあ,難解なところをかみ砕くには月日が必要だったが。2年前のクソガキをぶっ飛ばしたくなるくらいには最高の体験だった。
本当にすばらしい,2006年7月9日の朝だった。
AFTER STORYを3日かけてクリアした,2006年7月9日。夜中に生きて,オレンジ色の朝焼けがカーテンの隙間に差し込む,夜明けの早朝。
心を撃つエンディングに安堵のクソデカ吐息を漏らし,その後のエピローグであれがああなったことに心温まって脱力し,人生において何度とない満足感にだけまみれた体をゆっくりと引き上げたあと。
寝る前にTVをつけた。画面に映ったのは,2006 FIFAワールドカップの決勝戦。イタリアとフランスがリアルタイム(のはず)でしのぎを削っていた。サッカー少年だった時代もあるため,夜の高校でネタにでもするかと眺めていた。すると,画面点灯から20秒もしないうちに。
ジダンが,頭突きした。
CLANNADの余韻のなか,ジダンが頭突きした。
鋭いホイッスルと赤いカードで目が覚める。身体の停滞感が吹き飛ぶ。いったんTVを消し,外に出た。夕焼けと見間違いそうなほどの橙の日の光を浴びる。私はCLANNADに最高に満足していた。だが脳裏にジダンがいる。彼がどんな反響を生むのかも分からなかった時間帯に。
「ジダン,これ絶対,今日の鉄板ネタだろ」
全身脱力で感動しているが,顔だけ笑い崩れる。
おかげさまで,私のCLANNAD体験はジダン頭突き事件とひも付き,片方を思い出すと両方思い出して,幸福感と抱腹感を同時に味わえるという,人生まれに見る恐ろしい強度の記憶に変わった。
※注記:後年になり,事件の真相が明らかになるまでの間は
その日の夜。私はさりげなく,わざとらしく,愛に「今になってさあ,CLANNADよかったよなあ」と言った。できたてほやほやの体験を,さも思い出深い感じで語ろうとするクソガキ仕草だ。
物語については,ゲームやアニメや映画で知る人は多いだろう。私も愛とデジおじ,ゲーム界隈とすごしていた以上,目や耳でほのかなネタバレは受けていた。でも実際にプレイすると,どれも作品で表現されていることの核心には届いていなかった。それを感謝した。
なので,なるべくネタバレしてこなかったように,あまり語らない。この作品は20周年になった今でも,余裕で通じると思っているから。
愛はこのときも,CLANNADの感想をしっかりと書いてくれた。むしろ,愛のほうこそ体験が思い出となって根付いていた時期だから,より深い視点を持って語っていた。おかげで,発売から2年も経ってしまっていたのに,感想を伝え合いたい症候群はキレイに解消された。
2人に遅れて,私はようやく,この場にいた目的を成し遂げたのだ。
季節がすぎていく。また1年とすぎていく。当たり前になりすぎた惰性の付き合いをノルマのようにこなしながら,朝を迎える。
月日が経つにつれ,会話の頻度はさらに減っていった。私も愛も1日1回から2日に1回。べつに3日に1回なんてのも珍しくなかった。
いつの間にか,板のレス数のトップは雑談所に抜き返された。向こうは昔と変わらず,住民たちが穏やかにつながり続けていた。
べつに,彼らとは張り合っていなかった。
数字を見たときも悔しく思わなかった。
むしろ,体の気圧がプシューッと抜けた。
諦観の苦笑というか,そういう感情で。
Yahoo!掲示板の新たな仕様により,路地裏の飲み屋街からは客なしの放置トピが次々と自然消滅していた。そもそも私と愛の2人部屋と,雑談所以外はほとんど機能していなかった場末だ。しゃあない。
けれど,危機感を持った愛は「一応だけどさ。ここがどうなるか分からないし,避難所みたいなの作ろっか」と言ってきた。すぐにフリーの掲示板を借りてきて,2人してピクニックするみたいに逃げ込んだ。
新天地に浮かれたのと,これまでとは違う本当のクローズドスペースであったことで,愛の会話はプライベート……とはまた違うのだが。公共の場では話しづらい繊細な話をしはじめた。正直,ともに相手の素性に興味を向けたというより,それしか話題がなかっただけだろう。
私なんて,このときになって初めてだった。
「あー,愛って人間なのか」と思ったのは。
最初はYahoo!掲示板のほうで「これあっちで話すよ」とかやっていた。隠れ家を無意味に匂わせる,身内感の極致のようなそぶりだ。
しかし,2か所を反復横跳びするのが次第に面倒くさくなり,レンタル掲示板のほうは2人とも飽きて放置。実家に帰っていた。
私が愛のことを,愛が私のこと考えるには,まったりと不変な付き合いを続けすぎたのだろう。お互い,もう画面の向こう側の生物に興味が向かない。頭のリソースを割ける対象ではなくなっていた。
発言の意図も,相手への関心も失った会話の断続は,アドベンチャーゲームであれば即ボツレベルのクオリティだった。
このころは私も流れで大学に入っていたし,愛も推定年齢で考えれば,大学生活の充実中か,就活中か,卒業して社会人入りしたか。いずれにせよ,20代前半の忙しくも新しい世界に直面していたはず。
そうした日々に,絞りきって味のしない幻想世界など不要なのだ。
愛が投稿する。私が4日後に返事をする。愛が3日後に返事する。私が1日後に返す。愛が1週間後に返す。私が6日後に返す。愛が。
7日後。8日後。9日後。
慣れた手つきでページ更新。返信はない。
10日後。11日後。12日後。
ページ更新。返信はない。
13日後。14日後。
返信はない。
返信がないまま,窓の外を夜が流れていく。
私たちが電子の青春をすごした「Key作品が好きな人集まれー」は,Yahoo!掲示板の仕様により,あと数時間で消えるところまできた。それに気付いていた。ほんのすこしの名残惜しさで「保守」とでも打って投稿すれば,染みだらけの居場所は続いた。けれど指を動かさなかった。
この縁が切れるのを,愛のせいにしようとした。
いや,捨てられた側の意地だったのかもな。
数えれば,5年か。6年か。ずいぶん長く話し続けてたな。ほかの連絡先はもちろん,リアルのことはなんも知らないのにね。もう2人とも,この場所じゃないどこかで,楽しい人生の真っ最中だ。
だからおつかれ。もういいよな。
もう,ゴールしようぜ。
掲示板をジッと見つめ,何度もページを更新しながら,その瞬間を待った。どのタイミングでも,指先に光があれば運命は変えられた。
ある時間をすぎたとき――パッと。寂れた路地裏の飲み屋街にあって,在りし日は一番活気のあった店名が,板の一覧から消えた。残っているのは少数の新規トピと,多くの人に愛される雑談所だけ。
喪失感はとくになかった。逆にホッとした。
2人しかいない幻想世界が崩れて,やっとだ。
やっと,面倒にまでなっていた毎日のタスクから解放された。
こんなこと,ネットじゃよくあることだろう。ここでの人付き合いは,いつまでもつながるか。いつの間にか途切れるか。この2択だ。
か細い線をつなぎ止める手段は,「よっ。久しぶり」と伝える方法があるかどうか。私と愛は,そのための避難所すらも放置して消し去り,デジおじのように別れも告げずに,実にらしい別れ方をした。ケンカしたわけでもない。ただただ,2人とも大人になっていっただけ。
登場人物が大人になるまでの物語を愛していた私たちは,大人になることで自らの幻想世界を放棄し,違う道へとそっぽを向いたのだ。
これもまたアドベンチャーゲームでは非常につまらない終わり方だが。人間の汎用ルートなんてものは,得てしてこういうもの。
人の人生には残念ながら,私と愛とデジおじが愛した美少女ゲームたちのように,劇的でキレイなオチなんてそうあるもんじゃない。
現実では,KanonやAIRやCLANNADみたいなことが起きないから。
起きないから,奇跡って言うんですよ。
感謝
そうして,本当になにもなく十数年と経ったのが今である。
私はCLANNADの名を5回と聞くと,5年に1回くらいの割合で,愛とデジおじのことをかすかに思い出す。これは,ネットが匿名でいられた最後の時代の,あのときにしか描けなかった人間模様だから。
なお,私が語った彼らの人となりは私から見たものであり,その人物像ですら,砂も残らず消えた場所を思い返して補完したものだが。
愛はおそらく女性だったのだろう。女性特有のデリケートな話題に対する解像度があまりに4Kすぎた。長年の付き合いのなかで,いくつかの情報を思い返していくと,そうと考えるほうが自然だった。
といっても,のちのちになって察したことであって,当時は気付いていなかった。こちとら頭の足りないクソガキだったのだ。そのため,もしそうだったのなら,いくつかの話題に関しては……死ねるな。
それに男性だったのなら構わない。そもそも男とも思っていなかった。画面の向こう側にある人格になど興味はなかったから。
だから,これは恋の話ではない。
私は愛に恋などしなかったから。
そのうえで,とても,大変,深く,感謝している。
愛にもデジおじにも。CLANNADにもYahoo!掲示板にも。
一昔前,知人や上司から「文章を書くきっかけとかあったの?」と聞かれたことがあった。小中高の成績は底辺。大学は文学専攻でまあまあ役に立ったほうだと言えるが,それも就職後の話だ。
ゲームメディアに従事後も,当時とは比べものにならないほど日本語に向き合ったが,それは努力であって,きっかけではない。
ゆえに,きっかけを尋ねられると,私は「Yahoo!掲示板ってところで,毎日ムダに話してたから」と答えてきた。
2人の前で,すこしでもユニークな自分を見せようと言葉をひねった。今見たもんなら憤死同然のクソガキ構文でしかなかっただろうが。あのとき,ちょっとでもおもしろく伝えたいと考えたクソガキがいたから,私はこの仕事をしている。べつに志望動機として持っていたわけじゃない。メディア業界に踏み入れたのも偶然だ。だが確信はある。
あの場所にいなければ,私はこの仕事をしていなかった。
だから感謝している。CLANNADが生まれて,Yahoo!掲示板に場所が作られて,愛が迎え入れてくれて,デジおじが優しくしてくれて。
誰かが言った「CLANNADは人生」とは意味が異なるが。私はCLANNADに,見えていなかった未来の人生を変えられていた。
ゆえに本稿は,そのすべてへの感謝のラブレターと言える。あるいは,人生低空飛行からでもなんとかなるもんさ,とかね。
し・か・し・だ。
私はこんなものを書いておいて,今後もできれば一生,愛とデジおじとは会いたくない。こっちゃあ仮初めの人物像からはじまり,黒歴史ノートで交換日記をカマしていたような瀕死の罪人だからだ。
もちろん,2人にも少なからず汚点はあるだろう。そもそも互いになにを語り合ったのかも,私と同じくらい覚えていないだろうけど。
私は当時の自分を思い出すと,おぞましい。
おぞましく冷たい絶望に底冷えして死んでしまいかねない!!!
ついでに彼らは,相沢祐一と月宮あゆのように,昔一緒に遊んでいたけれど,今は顔も名前も思い出せない,記憶のなかにだけ残る友人になっている。私たちは互いの真実を知らない。だからこそ幻想を幻想のまま抱え続けてこられた。可能性の話なら,デジおじだってデジタルおば……コホン。デジタルお姉さんだったのかもしれないし。
つまり,昔は「ギャルゲーのヒロインみたいな子が,現実でいるわけねえじゃん」と語り合りながら,そういう子たちを愛していた自分たちが,まさかギャルゲーのヒロインよりもリアルでファンタジーなヒロイン的概念を宿す存在になっている。これはもはやコントだろう。
それが笑えてきて,どうしようもなく小気味よいから。
お互いに「ボクのこと、忘れてください」のままでいいのだ。
消える飛行機雲は,追いかけるよりも見送ってこーぜ。
そうやってまた思い出を仕舞い,新しい季節を開いてこう。
代わりに,俺くらいはこの世に刻んどいてやるから。
2004年から2024年。CLANNADの発売から20年。
電子の街は急速に開発が進み,新しいものが建っていき,今は僕らが息をしていた痕跡なんてなにも残っていない世界だけれど。
あのとき,あの場所には,確かに。
CLANNADを愛する人たちといた。
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