激動の自動車産業を取り巻く環境。特に東南アジアは今、イチバン熱いマーケットと言われている。とりわけタイは日本の自動車メーカーも工場を展開し、確実な販売実績を築き上げているが、ここ数年、新車販売状況は大きく変化をして、中国メーカーのEVが一気に台頭してきた。そんなタイの自動車産業の最新状況、そして直面する大きな課題を鈴木直也が独自の視点で徹底解剖する!!

文・写真/鈴木直也

今一番ダイナミックに変化を遂げているのがタイの自動車産業だ

ダイナミックな変化を遂げつつあるバンコク市内。日本メーカーのクルマは、まだまだ多いが、新車販売台数は中国メーカーのEVに押されている

 いま、自動車業界は100年に一度の変革期にある! 皆さんもこんなフレーズをよく耳にするのではないかな?

 日本国内だけを見ていると「そんなに変わってないんじゃね?」というのが素直な感想かもしれないが、一歩海外へ出るとホンの数年でクルマ社会の景色がガラッと変わった国も少なくない。そういう意味で、いま一番ダイナミックに変化している国はタイだとぼくは思ってる。

 まず、基本的な統計データだが、タイはASEAN最大の自動車生産国で、ピークでは国内生産245万台/国内販売130万台という市場スケール。ここ数年は景気低迷や金利上昇によって、それぞれ約180万台/80万台とやや低迷気味というのが現状だ。

 ところが、毎年3月に行われるバンコクモーターショーを取材してみると、そんな不景気風は何処へやら。ショー会場は華やかな雰囲気に満ち溢れている。

毎年3月に開催されるバンコクモーターショー。中国自動車メーカーがあっという間に台頭し、2024年は実に9ブランドが出展。しかもEVだらけだ

 その最大の要因は、中国の自動車メーカーが雪崩をうってタイ市場に参入していることだ。

 ぼくがバンコクモーターショーに通い始めた2017年、出展していた中国メーカーは上海汽車系のMGのみ。しかも、すべて内燃機関モデルばかりだった。

 ところが、コロナ禍以降その数がみるみる増えて、2023年は7ブランド、2024年は9ブランドと会場を圧倒する勢い。しかも、ほぼすべてがEVモデルとなっている。

中国自動車メーカーにとってタイは魅力的な新車販売マーケットだった

 そして、その中国系EVの売れ行きがハンパないのだ。

 アジア圏のモーターショーは、ただクルマを展示するだけでなく、その場で商談から購入までできるトレードショー形式が一般的。バンコクモーターショーも例外ではなく、ショー終了後にメーカー別の成約数が発表される。

 2024年のデータを見ると、成約トータルは前年比24.6%増の5万3,438台で、うちEVが1万7,517台(前年比89.7%増)と約3分の1を占めていることに驚かされる。

 その内訳をみると、販売トップ10は、トヨタ 8,540台、BYD 5,345台、ホンダ 4,607台、MG(上海汽車)3,518台、三菱自動車 3,409台、長安汽車 3,073台、AION(広州汽車)3,018台、GWM(長城汽車)2,815台、いすゞ 2,734台、日産 2,488台の順となっている。

日系メーカーが販売トップ10を」占めていたのも今は昔。中国メーカーのEVがものすごい勢いでシェアを伸ばしている

 ホンの数年前まで、トップ10をほとんど日系メーカーが占めるのが常識だったのに、この中国系の躍進は驚異的。わずか数年で大きく市場構造が変わってしまったことに驚きを禁じ得ない。

盛況を見せるバンコクモーターショー

 なぜこれほどの変革が起きたかというと、その裏には中国側とタイ側それぞれの思惑がある。

 まず、タイ側の事情として、“タイランド4.0″と銘打った産業政策の一環として、2036年までに120万台のEVの普及を目指すという政府目標がある。

 そのためのEV振興策として“タイランド EV 3.0″という制度が用意され、タイで現地生産を計画するメーカーのEVであれば15万バーツ(約63万円)の補助金が支給され、内燃機関車との価格差がかなり縮小しているのだ。

 いっぽう、中国側はコロナ禍以降の景気減速で国内自動車市場が失速。過剰生産となったEVが値下げ合戦で激しく値崩れして苦しんでいる。

 自動車業界は工場稼働率8割が損益分岐点といわれるが、直近では中国の自動車メーカーの稼働率は5割程度とみられている。それでもまだEVの価格競争は激化する一方で、ダブついた在庫が出口を必死に探しているわけだ。

 ところが、中国系自動車メーカーにとってグローバルな輸出環境は八方ふさがりの状態にある。米中対立によって北米市場は閉ざされたも同然だし、EUは最大45.3%の追加関税決定を課すと決定。日本市場にはそういった制約はないが、迎え撃つ日本車が手強すぎて実質的に入り込むことができない。

中国製EVが一気にタイで販売の覇権を勝ち取ったワケとは?

 そんな中で、中国系メーカーにとって「渡りに船」となったのがタイ市場だった。

中国とタイのFTA協定では完成車輸入の関税はゼロ。さらにタイで現地生産を計画するメーカーのEVには15万バーツ(約63万円)の補助金が支給される。その根底には2036年までに120万台のEV普及を目指すタイ政府の目標があるのだ

 中国とタイの間にはASEAN – 中国FTA(ACFTA)協定があり、クルマの完成車輸入関税はゼロ。それどころか、前記のとおり15万バーツ(約63万円)の補助金までもらえる。地理的な近さも手伝って、中国メーカーがワッと押し寄せたのも必然だった。

 その結果が、タイにおけるEV販売台数の劇的な伸びだ。2023年に約9000台だったEVの販売は、2024年に約7万6000台とイッキに8倍以上に増加。その8割をBYD、NETA、GWMなどの中国系が占めている。

 これによってタイ市場のBEV比率は前年の1.1%から9.8%へ急上昇。わずか1年で東南アジアのEV最先進国に躍り出てしまったわけだ。

 じっさい、ぼく自身の体験としても、バンコクの交通シーンは1年ごとに明らかな変化が感じられる。いつも、スワンナプーム空港から市内へはGrab(ライドシェア)で向かうのだが、渋滞の高速道路で見かけるクルマに中国製が目につくようになったのがコロナ禍直前あたりから。

毎年のように劇的な変化を見せるバンコク市内の自動車事情。2023年は約9000台だったEV販売が2024年には一気に8倍増加の約7万6000台となった。その8割が中国メーカーのEVだ

 それが、去年、今年と加速度的に増加して、あっちにBYD、こっちにMG、そっちにORAといった具合で、そこら中で中国製EVを見かけるようになった。ライドシェアのGrabも、呼んだらMG4 エレクトリックが来たなんてケースが珍しくない。

 しかし、自動車に限った話じゃないが、ここまで急激なシェア変動があると、必ずどこかに歪みが生じてその反作用が出てくる。

急先鋒の中国メーカーEV戦略を他山の石とすべき理由

 案の定というべきか、激しい販売競争は値下げ合戦へとエスカレートし、たとえば約120万バーツだったBYD ATTO3は2年も経たずに約80万バーツへ値下げ。日本円換算で160万円以上という無茶なダンピングは既納ユーザーの怒りを買い、現地では訴訟沙汰にまで至っている。

激しい販売競争が繰り広げられるタイでは大幅な値引合戦を引き起こした

 この過当競争は中国系メーカー自身をも苦しめている。

 タイ政府が課したEV補助金支給の条件は、販売台数の2倍を翌年現地生産するというもの。このため、各メーカーともこぞってタイ現地工場に投資し、2025年あたりからその生産が本格的に立ち上がる。

 さすがに、いまでさえ供給過剰なところに、新たな現地生産分が加わったらどうなるかは明らかだから、中国系EVメーカー8社はタイ政府と生産義務の緩和に向けて話し合っているらしいが、けっきょくは中国国内の過当競争をタイに持ち込んだだけだった、というのがオチになりそうな気配なのだ。

 というわけで、ぼくらがこのタイの現状から汲み取るべき教訓は、100年に一度みたいな大きな変革は焦らず慎重にやったほうがいい、ということ。

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