なでしこリーグ入りを目指して大阪府南部の和泉市を拠点に活動している和泉テクノFCに、日の丸を背負う選手が加入した。ろう者(デフ)サッカー女子日本代表候補のGK松川容子(26)。昨秋にマレーシアで開催された第4回ろう者サッカー世界選手権(デフサッカーワールドカップ)の代表メンバーで、和泉テクノFCの関西女子1部リーグ復帰と2025年に東京で開かれるデフリンピック出場を目標に掲げ、新天地で奮闘している。
勝ち負けで必死になれる
大阪出身で、生まれつき聴覚に障がいがあった松川はもともと絵を描くのが好きだったという。サッカーは遊びとして始めたが、次第にのめり込むようになり、女子サッカー部のある大阪・梅花高校に進学。そこから、ずっと競技に打ち込んできた。
デフサッカーの存在を知ったのも高校時代。両親を通じて大阪でデフサッカーのイベントがあることを教えてもらった。たまたま高校の監督もつながりがあったことから、デフサッカーのチームと高校のチームで試合を行った。
聴覚に障がいのある選手で行うデフサッカーは競技中は補聴器を外すことが義務付けられており「音のないサッカー」とも言われる。競技人数やフィールドの広さ、ルールはサッカーと同じ。主審は笛とともに旗を使用して判定を伝える。選手らは手話やアイコンタクトでコミュニケーションを図っている。
松川は京都・明治国際医療大学に進学してデフサッカー女子日本代表入り。2022年にブラジルで開催されたデフリンピックの代表選手に選ばれるとともに、21年にはデフフットサル女子日本代表でも海外遠征を経験した。
そんな松川は「サッカーの魅力は、やっぱりプレーのところ。1年間、サッカーができなかった時期があったのですが、離れてみると、日常生活の中で燃え上がるような感じがあまりありませんでした」と振り返る。その上で「試合をするのは貴重なことで、勝ち負けで必死になれる、その瞬間が楽しいなと思います」と強調する。
ポジションはFWとしてプレーした時期もあるが、高校2年生のときからGKに。「FWだと後ろの声が聞こえず、コミュニケーションが取りにくかったりするので、そこはGKの方が気楽なんです」という松川は「聞こえない選手同士だと、目でコミュニケーションを取るのがすごく重要。聞こえる選手だと『クリア』などと指示を出すこともできますが、聞こえないので、この場面は、この選手が行ってくれると信じてパスを出したりとか、ここは行かないだろうから自分で行こうだったりとか、考えないといけません。その分、選手同士の信頼関係も大切ですね」とデフサッカーの特徴を説明した。
万博に負けないように
松川が和泉テクノFCに加入するきっかけとなったのは、サッカーの活動に理解のある雇用先が見つかったことが大きい。以前に「女子サッカー通信」で紹介したこともあるが、和泉テクノFCは、和泉市内の工業団地「テクノステージ和泉」の中に事務所がある。工業団地の入居企業約110社でつくる「テクノステージ和泉まちづくり協議会」が中心となってチームを設立した経緯などがあり、今も入居企業と深い結びつきがある。
松川の雇用先は工業団地の入居企業の一つで、刺繍(ししゅう)やワッペン、服飾資材などを手掛ける「ゴーダEMB(エンブ)グループ」(合田陽一代表取締役)。国内外の有名企業のワッペンの製造などを幅広く扱う創業80年以上の歴史がある老舗企業だ。
合田代表によると、同社は中国やバングラデシュに工場を構えて業績を伸ばしてきたが、新型コロナウイルス禍を受けて国内生産に切り替え。2021年にテクノステージ和泉に新たな生産工場を開設するとともに、障害者就労継続支援B型事業所「愛・あーる」も立ち上げた。
「本格的に日本で生産するのは何十年ぶりかのことです。縁があってテクノステージ和泉に拠点を構え、ゼロからのつもりでやり始めました。そんな中、長年の友人から障がい者の戦力はすごいと教えてもらい、事業所も設立しました」と合田代表。同じ工業団地内で活動する和泉テクノFCとの関係もでき、2年前に選手1人を採用した。その選手は移籍したため、昨年の採用選手はゼロだったが、今季は松川と高卒新人の2選手を正社員として雇うことに決めた。
「(聴覚障がいのある松川を雇用することに)抵抗はまったくありませんでした。働き始めたばかりですが、同じ職場にいる同僚にも変化が見える気がします。心の成長みたいなものもあるのではないかと思います」と効果を口にした合田代表は「(サッカー選手として)どんどん活躍してもらえれば。会社の宣伝という部分もないわけではないですが、それよりも社員も喜ぶじゃないですか。彼女たちの活躍は他の従業員の人たちの心にも響くと思います」と背中を押す。
一方、過去には働くこととサッカーを続けることの両立が難しかった時期もある松川は「いろんな企業やサポーターの方がいて、助けてもらってサッカーができるのは女子サッカーもデフサッカーも一緒。多くの人の助けがあってサッカーができるので、感謝の気持ちを持ってやっていきたいと思っています。ものづくりはもともと好きですし、採用していただいたからには、積極的に働いていきたいですね」と話す。
合田代表も「できる限りのサポートはしたいと思います。ものづくりが好きじゃないと続かない仕事だと思いますし、われわれも採用するにあたって、そのあたりのことも考えました。(サッカーを)引退してからも、できたら(仕事を)続けられたらいいと思っています」と打ち明ける。
朝6時から夜10時まで毎日働く環境だったこともある松川は「仕事とサッカーが両立できる環境は大切だなと思います。来年は東京でデフリンピックもありますが、大阪・関西万博もあります。万博に負けないように盛り上げていきたいと思っています」と言葉に力を込めた。サッカーにさらに打ち込みたい松川と、なでしこリーグを目指す和泉テクノFC、そして雇用先のゴーダEMBは、選手とクラブ、サポート企業の「三方よし」の関係を築けていると言える気がする。
国内最高峰のWEリーグから数えると5部に相当する関西女子サッカーリーグ2部は今月開幕。「活動を通じて女性の社会進出の推進と青少年の健全な心身の発達を促すと共に地域社会および産業の発展に寄与する」との理念を掲げる和泉テクノFCは14日に大阪・鶴見緑地球技場で、大阪国際大学と初戦を戦う。試合は午後2時半、キックオフ予定。
(サンケイスポーツ編集委員)
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