12月8日(日)にミスター社会人野球と呼ばれた、トヨタ自動車 佐竹功年さん(41)のドキュメンタリー「プロ野球じゃないとダメですか?」が放送された。正直に言うと、ずっと不安だった。佐竹さんも番組内で言っていた。

「高校野球の“甲子園”を知らない人っていないじゃないですか?でも、社会人野球の“都市対抗”を知らない人っていっぱいいるんですよ」と。

そう、多くの人が知らない「社会人野球」をテーマにした30分の番組を、お昼に放送して見てもらえるんだろうか。会社の先輩の言葉を借りれば、プロデューサーの仕事は「調整と謝罪」らしい。視聴率が悪かったら、とにかくいろんな人に謝ろう。そう思っていた。

放送翌日、視聴率が出た。社会人野球をテーマにした番組を見てくれた人は…いた!しかも想像以上に!ご覧いただいた方、本当にありがとうございました。ちなみに、佐竹さん本人は放送した日、アメリカにいたらしくまだ見ていないそう。

そんな番組を全国の人に見てもらいたくTVer・Locipoで見逃し配信中だが、佐竹さんのように、まだ番組を見ていない方もいっぱいいると思うので、この番組のディレクターが書いた取材記をまず読んでいただきたい。(筆:若尾貴史 「プロ野球じゃないとダメですか?」プロデューサー )

CBCテレビスポーツ部 若尾貴史

佐竹さんに初めて会った日

ことし6月、初めてご本人とお会いする日、私たちは緊張していた。

私は入社5年目、普段は毎週日曜日に放送しているドラゴンズ応援番組「サンデードラゴンズ」のディレクターをしている。私も同行する若尾プロデューサーも大学まで野球をしていたので、もちろん佐竹さんの名前は知っていた。

投球練習する佐竹さん

「社会人野球界で活躍している、とんでもない球を投げる投手」「独特な投げ方でサングラスをかけてプレーする人」という印象だった。

その佐竹さんがことし7月の都市対抗野球大会を最後に引退する。私たちが緊張していたのは、引退するときだけ取材させてほしい、という厚かましいお願いをしに行くという自覚があったからだ。すごい人に会えるという元野球人としてのワクワクと、いくら仕事とはいえ、失礼にあたるのではないかという不安が交錯するなか、6月末に雨上がりのトヨタスポーツセンターを訪ねた。

佐竹さんは颯爽と室内練習場にやって来た。「初めまして!」。おそるおそる名刺を差し出すと、晴れやかな笑顔で対応してくれた。引退を間近に控えた緊張感や悲壮感は一切なかった。

「僕はサラリーマンなので」

社会人野球には「都市対抗」と「日本選手権」という2大大会が存在する。トヨタはこの都市対抗で2回、日本選手権では7回優勝している名門。佐竹さんはほとんどの優勝を経験している。

なかでも2016年には、トヨタを初めて都市対抗優勝に導き、MVPに相当する「橋戸賞」を受賞。獲得してきたタイトルは数え始めれば、キリがない。実際に私も佐竹さんの投球練習を見て思った。はっきりいって引退する人の球ではない。球速も40歳にして150キロ近い。「もっと現役を続けたい」という気持ちはないのだろうか?こんな豪速球、投げたくても投げられない人はたくさんいるのに(もちろん私も)。

そんな佐竹さんはさらっと答えた。

「僕はサラリーマンなので、結局は人事異動じゃないかと思う」

返ってきた答えは想像していなかったものだった。昨年末に、チームから引退を言い渡された佐竹さん。それまでは「野球が仕事」。引退後はまた別の仕事を頑張るだけなのだという。

そんな“サラリーマン”佐竹さんには、大勢のファンがいた。東京ドームで行われた都市対抗1回戦の試合終了後のこと。関係者入り口には、サインを求める多くの人が殺到していた。これはプロ野球の沖縄キャンプなどではよく見る一コマ。

サインをする佐竹さん

普段はサンデードラゴンズの取材をしている私。これはあくまで個人的な感想だが、サインに応じる選手を見ると心の底から応援したくなる。それは私自身の経験もある、サインをもらった喜びは生涯忘れることのない記憶として深く刻まれるからだ。

そんなことを思いながら佐竹さんの対応を見ていたが、これが圧巻だった。試合終了から1時間以上が経過し、時刻は午後10時を回っていたと思う。佐竹さんは集まったすべての人にサインを書き、時には写真撮影にも応じ、疲れた顔を見せる事なく東京ドームを後にした。こういうところも含めて“ミスター社会人野球”なんだと思った出来事だった。

最高気温42℃、道路にサボテン、そこにいたのはレジェンド

そんな“ミスター社会人野球”を追いかけ、私はアメリカに渡った。それも一人で。10月上旬 羽田空港を出発し、ひとまず到着したのがダニエル・K・イノウエ国際空港。「誰…?」と思ったが、ハワイ・ホノルルにある空港だった。私はここで乗り継ぎをしてアリゾナ州へ向かう。乗り継ぎは人生初体験だった。

CBCテレビスポーツ部 上原大輝

「乗り継ぎは“transit”もしくは“transfer”と書いてある方に行けばいい」と海外経験豊富な先輩達から教わっていたが、これがどこにも見当たらない。いや、書いてあったのかもしれないが、どうやら見落としたようだ。

とりあえず入国審査と荷物のピックアップは無事に済ませ、その後は人の流れに身を任せながら歩みを進めると、気が付いたら外に出ていた。「私って税関通りましたっけ?」スマホの翻訳機能と、日曜夜の番組でおなじみのお笑いタレントさん並みの“ジェスチャーを駆使した二刀流”で、近くにいた“空港職員っぽい方”に尋ねた。見た目は完全に外国の方だ。

「大丈夫だよ、ターミナル1へ行きなさい」

返ってきたのはまさかの日本語だった。

こうしてたどり着いたアリゾナ州のフェニックス・スカイハーバー国際空港。取材初日、最高気温は42℃、道路の脇にはサボテン。しかし、湿度は一桁と聞いた。日本ほど厳しい暑さとは感じなかったが、唇が乾いて仕方がない。リップクリームを持ってくればよかったと後悔した。

道端のサボテン

向かったのは佐竹さんがいるサプライズ・スタジアム。テキサス・レンジャーズなどがキャンプで使用する球場だ。現役引退後、コーチングなどを学ぶため、ことし9月からレンジャーズのもとを訪れていたのだ。

佐竹さんはとにかく優しかった。私が小さなカメラを片手に、一人でアメリカに来たことに驚きを隠せない様子で、アメリカ滞在期間中は昼食の手配から取材先への送迎までしてくれた。取材する側がここまでお世話になるのは申し訳ない。その気持ちを本人に打ち明けると「甘えてください」と言ってくれた。

車を運転する佐竹さん

私と佐竹さんの歳の差は14。親子とまではいかないが、これだけ歳が離れた取材対象者は初めて。アリゾナの乾いた空の下で、父親に似た親しみを覚えた。

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