現役を引退した和田毅が、8日、RKBの番組に出演。


引退後初めて、テレビ・ラジオで今の心境などを語った。


◆「和田毅投手」から「和田毅氏」表記で引退を実感

Q、引退会見から3日、どんな気持ちの変化がありますか?

和田:本当にホッとしたっていう部分もありましたし、名前の表記が「和田毅投手」から「和田毅氏」になったので引退したんだなというのを実感しましたね。


Q、メールなどで引退のメッセージなど届いたと思いますが、返信などはできましたか?

和田:実はまだ終わっていなくて。たくさんいただいて返すとまた返していただけるのでまだ終わっていないです。


◆「特に印象に残っている」ルーキーイヤーの2003年日本シリーズ完投で胴上げ投手は「人生で一番緊張した」

Q、21年前の試合は今でも鮮明に覚えていますか?

和田:今でも覚えてますね、人生で一番緊張した日だったんじゃないかなと記憶してますね。自分の登板は3戦目だったんですけど雨でスライドになって、(斉藤)和己さんが第6戦から第5戦になって、杉内が7戦目から6戦目に変わったので自分が中4日で7戦目になった。雨天中止がなければ第7戦で投げていないので。

Q、その日の朝ってどうだったんですか。

和田:たしか寮生だったんですけど、王(貞治)監督(当時)の計らいで全員が基本的にはシーホーク(ホテル)に泊まりなさいというきまりだったので。朝起きてカーテン開けるじゃないですか、たくさん当然(お客さんが)並んでますよね、ほんとにきょう投げるんだっていう・・・この中で投げるんだって、そこから緊張感がどんどん高まって、人生で一番緊張した日でしたね、あれは。


◆40代でも進化!自己最速149キロマークも「150キロ狙っていた」

2022年5月29日の広島との交流戦。当時41歳の和田は先頭バッターの4球目に自己最速を更新する149キロをマーク。さらに、ヤクルト戦ではこの年に三冠王を獲得した村上宗隆に対して全球ストレート系のボールで空振り三振に仕留めた。

Q、41歳で149キロ、あのときはどんな気持ちだった?

和田:あの日は初球に投げたのが145キロだったんですけど、そんなに腕振っていなかったけど出たので、これはもしかしたら自己最速がでるんじゃないかという予感はあったので、1球ごとに力を入れて投げた4球目が149キロだった。実はあそこ150キロを狙ってたんですけど、でもやっぱり出なかったです。(笑)ねらいにいったんですけど身体がついてこなくて全身つっちゃたんですけど、それ見て年だなって思いながら。


◆同期・新垣渚「何か嫌な雰囲気がして電話をとらなかった」

和田と同期入団の盟友・新垣渚は番組を通じてメッセージを送った。
新垣:引退の連絡は(会見の)前日夜。何か嫌な雰囲気がしてとらなかったんですよ、(和田)毅の電話。「王将」でとっていい電話なのかなと思いながら、すぐ(また)電話がかかってきて「渚、おれもう引退する」というのを聞いて、飯を食ってましたけど一瞬で喉を通らなくなって「嘘だろ、こんなところで聞いていい話なのかな」と思いながら、僕は「そうか、(来年も)やると思ってた」と話して「お疲れさまでした」と言いました。英気を養ってまた野球界に戻ってきてください。てか、一緒にご飯食べに行きましょう。お疲れさまでした。

和田:嬉しいですね、王将だとは思わなかったです。でも、僕もこの時期に連絡があると「あっ」と思うので、(新垣も)そうだったんですね。

Q、同期は特別な思いがあるものですよね。

和田:やっぱ特別ですね。ライバルといいますか、同期入団ですし同い年ですし、杉内(俊哉)もそうですけど同じチームでこれだけ切磋琢磨する事ができた仲間は本当に貴重でしたし、本当に彼らがいなければここまでやってやろうという気持ちになれなかった。

◆「被災地へバス」「1球投げるごとにワクチン」現役生活と社会貢献

和田は2011年、自ら12球団の選手たちに呼びかけ、東日本大震災で移動手段を失った高校球児たちに選手たちのサインが入ったマイクロバスを寄贈した。また、試合では1球投げるごとに10本、勝利投手で20本の感染症予防ワクチンを寄付するという「僕のルール」を決め、世界中の子供たちを救ってきた。2015年からこれまでに寄付してきたワクチンは73万5120人分にも及ぶ。

和田:当時は車いすの寄付が多くて、井口(資仁)さんやムネ(川﨑宗則)もやっていたんですけど、何か違うことをやってみたいなと思ってそこで探したのがワクチンだった。そもそもワクチンって何なんだろうっていうところからスタートしたんですけど。

◆「1回野球からは離れると思う」気になる引退後の生活は?

和田:今後はまだ何も決まっていないですね。1回野球から離れるのか、たぶん離れるとは思うんですけど。まだホークスの方にも話をしていないので、コーチとか今の自分にはできる自信が全くないのでまずはいろんな事を学んで、それにふさわしい人物になってその時にオファーがあればなのかなと思います。

Q、野球を引退したからこそできる「やってみたいこと」はありますか?

和田:誕生日が2月21日だけど、実はずっと誕生日が春季キャンプ中なんですよ。なのでまだリアルタイムで家族に祝ってもらったことがないので、来年は初めて誕生日の日に祝ってもらえるのかなと。ぜひ祝ってください、お願いします(笑)

◆アメリカ・メジャーリーグで活躍中の大谷にも言及

和田はRKBラジオ「イニング0」にも登場。生まれ変わったらどんな投手になりたいかという質問に、「もちろん、もう一度自分になりたい」とした上で、ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平の名前を挙げた。

「ピッチャーだけでなくバッターもやるといういわば野球の原点を、プロのレベルで表現出来ている事に驚いている。どういう感覚でプレーしているのか聞いてみたい」と興奮気味に話していた。

また、「自分を支えてくれたのはやっぱりストレート。磨きをかけ、追い求めてきたストレートが無ければ、22年間現役で投げることは出来なかった」と自分にとって一番大事な球種を愛おしそうに振り返った。

ラジオ番組のインタビューはradikoのタイムフリーで聞くことができる。

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