特集はランナーの復活です。長野県佐久市出身で、陸上の日本代表として東京オリンピックに出場した萩谷楓さん。心身の不調で2023年、引退しましたが、その後、競技に復帰。自分の走りと再び向き合う萩谷さんの今を取材しました。
■心に残るレース
佐久市で開かれたハーフマラソンの大会。
男性ランナーに交じって、華奢な女子選手の姿が。
勢いよく飛び出したのは地元出身で東京オリンピックにも出場した萩谷楓選手(24)。大会は特別なものとなりました。
萩谷楓選手:
「第2章スタートとしては、この先ずっと心に残るレースだった。本当に大きなレース」
萩谷選手は2023年、一度、現役を引退。その後、競技に復帰し、今はマラソンランナーを目指しています。
■幼少期から走ることが好き
中学校までは「バスケ少女だった」という萩谷選手。幼少期から走ることも好きで、駅伝の強豪・長野東高校に進み陸上競技を本格的に始めます。
萩谷楓選手:
「『走るの好きだな』というのは感じていました。『駅伝走りたい』という思いが一番強くて、長野東高校を選びました」
徐々に力をつけ、2018年の全国高校駅伝準優勝に貢献しました。
萩谷楓選手:
「全国の舞台を経験するというのが自分としては大きな自信となって、今もすごく鮮明に覚えています」
■東京五輪で自己記録を更新
世界の舞台を目指し、実業団の強豪・エディオンへ。初の国際大会はなんと東京オリンピック。日本代表として5000mに出場しました。
当時はコロナ禍。家族はテレビ越しに応援。結果は予選敗退でしたが、大舞台で自己記録を更新しました。
萩谷楓選手:
「国内レースでは味わうことのできない感覚を得ることができたので、本当に一つ大きくなれたのかなと思う。きょう出てしまった弱さというものを強化できるように、また練習していきたい」
母・朱見さん:
「次につながるレースはできたんじゃないかなと思う。(好物の)豚の角煮を鍋いっぱい食べさせたい」
■東京五輪後、心身の不調で引退
次はパリで。多くの人がそう期待しました。
しかし、2023年、突然の引退表明。
萩谷楓選手:
「足が痛いわけでもなく、継続して練習しているのに、なぜかレースでは結果が出ないという1年だったので、常に『なんでやろ、なんでやろ』という感じで、苦しい1年ではありましたね」
オリンピック以降、周囲の注目によって練習のリズムが崩れ、スランプに。さらに肺気胸を発症。焦りや落胆で精神的に疲弊してしまい、病気が治ったころには走りへのモチベーションが残っていませんでした。
萩谷楓選手:
「部屋で一人閉じこもるような生活で、余計気持ち的にも『だめだ、だめだ』という感じになっていた。肺気胸になって、それがきっかけで競技からは離れたんですけど、それはただのきっかけで、それ以前に気持ち的に崩れていた部分もあったので、いったん競技から離れました」
■知人に誘われて出た大会が転機に
ところが、2023年7月、知人に誘われて出たランニング大会が転機に。軽い気持ちで出場し10キロを走りましたがー。
萩谷楓選手:
「『まあ別に走れるやろ』みたいな、その時は肺気胸も治っていたし。もう全然走れなくて、しんどくてしんどくて、市民ランナーの人に置いていかれる自分が悔しくて、次の日から朝練を始めました(笑)」
引退表明から3カ月、萩谷さんはひそかに練習を再開、競技に復帰しました。
現在はどこにも所属せず、関西を拠点に元の走力を取り戻している最中です。
トレイルランニングにも挑戦しています。
以前と大きく変わった点があります。それは走りに取り組む「姿勢」です。
■自分の体とよく対話するように
この日はハーフマラソンに向けての練習。
萩谷楓選手:
「今は全部自分で1カ月の練習メニュー組んで、考えてやっていますね」
以前は、与えられた練習メニューをこなすだけでしたが、今は、自分でメニューを組んでいます。
寮生活の中、当たり前のように提供されていた食事も、今は自分で作るように。
萩谷楓選手:
「自分の体とよく対話するようにはなった。自分でできることは自分でやるというのがアスリートのあるべき姿かなと思うので、知識として持っておくことにはいいかな」
■ロードレース復帰戦
10月20日、佐久市―。
萩谷楓選手:
「皆さんおはようございます!佐久市出身の萩谷楓です。本日はよろしくお願いいたします」
大勢のランナーを前にあいさつ。萩谷選手は20日、佐久平ハーフマラソンのゲストランナーに招かれました。
ハーフマラソンは初挑戦。ロードレース復帰戦と位置づけ、調整してきました。
2500人の市民ランナーと走り出した萩谷選手。
■本当に私、走るの好き
この日は強い風が吹いていましたが上位でレースを進めー。
歓声の中、フィニッシュ。
ゲストランナーのため参考記録でしたが、目標の1時間15分を切りました。
萩谷楓選手:
「(ロードレースに)帰ってきたという喜びと、楽しさと、うれしさとで、胸がいっぱいですね。本当に私、走るの好きやなって。楽しかったです」
その後はランナーたちと交流。
この日は、母の朱見さん、姉のくるみさんも走りました。
萩谷さん:
「おかんラスト!」
「2時間切ったやん」
二人は萩谷選手の復帰を応援しようと出場。見事、完走しました。
■苦しい時もうれしい時も 母・姉の支え
応援した祖母・浩子さんから月桂冠のプレゼントも!
母・朱見さん:
「(萩谷選手が)もう一度スタートを切るということだったので、それにふさわしく、みんなで出ようということで、私もエントリーしました。楽しく走れればいいです。
それを応援したい」
姉・くるみさん:
「楓らしく走ってほしい」
萩谷楓選手:
「私自身のことを一番近くで支えてくれているのは、母親、姉ちゃん、うちの家族なので、苦しい時も、うれしい時も一番顔が浮かぶのはこの二人」
苦悩を経て辿り着いた新境地。
萩谷選手は新たな目標に向かってまた走り始めています。
萩谷楓選手:
「明確なことを言うと、4年後のロサンゼルスの五輪も視野に入れながら、復帰するなら中途半端なことはしないで、やるからには世界目指してやりたいです。マラソンやりたいです。ずっとマラソン走りたいので。そこでマラソン代表になれたらな。強くなるために何をしたらいいのかしっかり考えられる選手になりたいなと思いますね」
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