■プロ野球 オリックス4ー9ソフトバンク (23日 京セラドーム大阪)
ソフトバンクが4年ぶり20度目のリーグ優勝(1リーグ制を含める22度目)を決めた。優勝マジック「1」で迎えている中、対戦中に日本ハムが西武に敗れた。直後にオリックスを破り、自力でもリーグ優勝を果たし、小久保監督は歓喜の胴上げで8度、宙を舞った。
試合は1ー2で迎えた4回に1死一・三塁から川村の二内安打タイムリーで同点に追いつき、続く周東がレフトへ2点タイムリーツーベースを流し打ち、4ー2と勝ち越す。
さらに5回には栗原の四球と山川の左安打、中村晃の犠打で二・三塁とすると柳町がセンターへ2点タイムリーツーベース、川村がライトへタイムリーツーベースを飛ばし3点を加え、7ー2とした。2点を返されるが8回には川村と周東と連打から敵失も絡み2点を追加、打線は14安打で9得点を挙げる。
先発・石川が6回途中7安打4失点で降板も救援陣に尾形、杉山、ヘルナンデスが無失点の継投で抑えた。
小久保裕紀監督(52)は就任1年目の新人監督としては史上21人目、球団では2015年・工藤公康氏以来、3人目の偉業となった。
◆ソフトバンクは開幕カードでリーグ4連覇を狙うオリックス戦を敵地で勝ち越すと4月10日に単独首位に立ち、その後は一度も首位の座を譲ることなくゴールテープを切った。
4月に今季最長タイの7連勝で貯金12まで増やすと3連敗以上することなく安定した戦いを続ける。最多8度の優勝を誇る交流戦も12勝6敗の2位で乗り切り、オールスターまでの前半戦で2位・ロッテに10ゲーム差をつけた。
そして5連勝を飾った7月30日に優勝マジック「42」を点灯させ翌日に消滅も8月6日に「36」で再点灯。着実にマジックを減らしていく中で9月上旬に今季初の4連敗を喫するも直後に今季2度目の7連勝で一気に頂点を手繰り寄せていた。
今シーズンは投手陣では今季から先発転向したモイネロと移籍2年目・有原と左右の両エースが開幕から順調に勝ち星を重ねる。有原がリーグトップタイの13勝、モイネロがリーグ3位の11勝をマークし牽引した。
攻撃陣は柳田が6月から長期離脱も西武からFA移籍の山川がここまで本塁打32・打点94のリーグ二冠で主軸として大車輪の活躍。移籍2年目・近藤が登録抹消中だがリーグ唯一の3割打者の打率.314をマーク、さらにリーグ5位・19本塁打にリーグ4位・72打点と高レベルのバッティング技術を披露し10年目・栗原もリーグ3位・79打点を記録し勝負強さを発揮した。
小久保裕紀(こくぼ ひろき)1971年10月8日生まれ 52歳 和歌山県出身。和歌山・星林高~青山学院大、93年に主将として青山学院大を初の大学日本一に導き、同年に逆指名2位でダイエーに入団。主力として95年に28本塁打で本塁打王、97年には114打点で打点王に輝いた。99、2000年のリーグ連覇に貢献した。04~06年はトレードで巨人に在席、07年に復帰し11年には日本シリーズで最年長MVPを獲得、12年に史上41人目の2000安打を達成、その年に現役引退。通算成績は2057試合、2041安打、413本塁打、1304打点、打率.273の記録を残した。13~17年に侍ジャパン代表監督を務め、15年第1回プレミア12で3位、17年第4回WBCでベスト4。21年にソフトバンクに復帰しヘッドコーチ、22、23年は2軍監督、今季から1軍監督の指揮を執る。
≪歴代 就任1年目でリーグ制覇した監督≫
年度 監督名 球団
1936年秋藤本 定義(巨人)
1943年 中島 治康(巨人)
1946年 山本 一人(グレートリング 現ソフトバンク)
*以降2リーグ制
1950年 湯浅 禎夫(毎日 現ロッテ)
1960年 西本 幸雄(大毎 現ロッテ)
1961年 川上 哲治(巨人)
1975年 古葉 竹識(広島)
1981年 藤田 元司(巨人)
1986年 森 祇晶(西武)
1986年 阿南 準郎(広島)
1998年 権藤 博(横浜 現DeNA)
2002年 伊原 春樹(西武)
2002年 原 辰徳(巨人)
2004年 伊東 勤(西武)
2004年 落合 博満(中日)
2008年 渡辺 久信(西武)
2012年 栗山 英樹(日本ハム)
2015年 工藤 公康(ソフトバンク)
2015年 真中 満(ヤクルト)
2021年 中嶋 聡(オリックス)
2024年 小久保 裕紀(ソフトバンク)
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。