パリ・パラリンピックの車いずラグビーで悲願の金メダルを獲得した静岡県沼津市出身の若山英史 選手がテレビ静岡の番組に生出演し、悲願達成の舞台裏などを語ってくれた。
また、愛用の車いすをスタジオに持ち込んでタックルを披露し、アナウンサーがその衝撃を体験した。
地元との約束が実現
-金メダルと共に地元に帰ってきて、どんな気持ちですか?
若山英史 選手:
昔から静岡県にお世話になってこの競技を続けられている。「金メダルを持ってきて静岡の皆さんと喜びたい」と以前話したので、実現して本当にうれしい
若山英史 選手(39)は沼津市出身で小学校・中学校・高校とサッカーに打ち込んだ。
2004年 大学2年生の時、プールでの事故で頸椎を損傷。
その後、リハビリ施設で車いすラグビーに出会い競技を開始した。
それから、約20年後。ついに悲願を果たした。
障害が重く守備的な役割
パラリンピックの競技で唯一、激しい接触・タックルが許される車いすラグビー。
1チーム4人、選手には障害の度合によって持ち点が割り振られ、規定の点数内でチームを構成する。
若山選手は障害が重く持ち点の少ないローポインターで、守備的な役割が求められるポジションとして2024年のパリ大会で4大会連続出場を果たした。
過去最高は銅メダル。2023年の取材ではパリ大会にかける強い思いを語っていた。
若山英史選手(2023年):
パラリンピックの金メダルをしっかりとって、「この人生最高だよ」って言いたいですよね
表彰式で金メダルの輝きに「えぐ~」
そして迎えたパリ。若山選手は相手の進路を妨害して味方の得点をサポート。
さらに自らも得点を奪うなど3試合に出場して予選突破に貢献した。
その後は若手に託し、自らはベンチからチームを盛り立て、4度目の挑戦にして初めての金メダル。パリで最高の結果を手にした。
-今の思いは?
若山英史 選手:
最高です
-金メダルを首にかけられた瞬間の思いは?
若山英史 選手:
ずっと銅メダルだったのですごく悔しい思いをしたが、金メダルをかけられた瞬間はすべてを忘れるくらいうれしかった
-表彰式の中継ではメダルかけられた時にチームメートと何かしゃべっている様子でしたが?
若山英史 選手:
たぶん「えぐ~」と言っていた。金メダルを初めて見て輝きがすごくて「えぐ~」と言っていた
決勝前夜の選手の様子は?
-決勝戦は、選手はどんな様子でした?
若山英史 選手:
意外とリラックスしていた。準決勝(オーストラリア戦)を勝った日の夜も、いろいろな選手と話したが、「僕たちがなかなか超えられなかったもの(準決勝)を超えていたので、あす(決勝)は、「勝っても負けても、どっちでもいいよね」というくらい、リラックスしていたのが結果的に金メダルに繋がったと思う
-1年前の取材で「金メダルを目指す」と言っていたが、その時に獲れると思った?
若山英史 選手:
自分たちがやってきたことに自信はあったので、もうそれをぶつけるだけだと思っていたし、直近の国際大会でも日本はずっと1位だったので、いろいろな自信があったのだと思う
-東京は無観客。パリの応援の雰囲気は?
若山英史 選手:
日本代表をずっと応援してくれている方がいて、現地の人に日本の国旗を配ってくれて、会場が日本でのホームのような応援を感じることができたので、(金メダルがとれたのは)応援の力もあると思う
必勝ハチマキ姿の家族写真に癒されて
4大会連続出場。この16年で若山選手には変化があった。
初出場は2012年のロンドン。その後、リオと東京で2大会連続の銅メダル獲得。
私生活では東京大会と同じ年の2021年に結婚し、2024年5月にお子さんが誕生。家族に恵まれたパリで、悲願の金メダルを手にした
-家族の存在は力になった?
若山英史 選手:
「金メダル、金メダル」となると、そこに集中して硬くなってしまうと思うが、(今回は家族の)写真や動画を見てリラックスできたので、それが結果としていい形になったと思う。
-お子さんは生まれたばかりで家族は日本で応援。早く会いたかったのでは?
若山英史 選手:
会いたかったですね。奥さんも「必勝」と書いたハチマキ姿の写真など、いろいろと送ってくれてうれしかった。
奥様と子供の存在が若山選手をますます強くしたのだろう。
タックルの衝撃にアナウンサー驚愕
パラリンピックで最も迫力があると言える車いすラグビー。
若山選手が、スタジオで「生タックル」も披露してくれた。
車いすの形状は障害の軽いハイポインターと、障害の思いローポインターで異なる。
若山選手も乗るローポインター用の車いす(写真の右側)は、相手の進路を妨害するためバンパーがついている。
一方、ハイポインター用の車いす(写真の左側)は体当たりされることが多いためウイングがついているのが特徴だ。
ローポインターが行うディフェンスは、車のバンパーを相手のタイヤにひっかけて動けなくするそうだ。
若山選手が、自分の車いすのどこが相手の車いすのどこに接触するのか、実演して解説する。
スタジオではローポインター用車いすに乗った若山選手が、アナウンサーの乗るハイポインター用車いすにタックルした。
タックルの瞬間 スタジオにはガツンと大きな音が響き、アナウンサーは車いすごと後ろに飛ばされ、「あー、(衝撃が)来たー!」と叫んだ。
「足元からズンとくる衝撃を感じた」と、タックルの強さを表現した。
若山選手は「実際にはタックルでひっくり返る人もいる。ただ最初は怖いイメージがあるが、やってみると車いすがしっかりしていて守ってくれることがわかるので、意外と楽しめると思う。タックルに耐えうる体づくり、パワー、試合の最後まで走れるトレーニングは日々している。『体を鍛えている』といってもらえるとうれしい」と笑う。
若山選手は「今回の金メダルで車いすラグビーを知ってもらえたと思うので、今後はもっと多くの人に知ってもらえるような活動をしたい」と今後の抱負を語った。
若山選手は10月5日に静岡市の県草薙総合運動場体育館で開催される「ユニバーサルスポーツフェスタ」に参加する。
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