様々なドラマを生み、世界中に感動を与えて閉幕したパリ五輪。レスリング女子53㎏級で藤波朱里(日体大)が137連勝で金メダルを獲得した大会14日目の8月8日。同じ日に東京都足立区の東京武道館でも、熱い戦いが幕を開けていた。
パリ五輪からは落選したが、「空手が繋がる日」をテーマに全日本空手道連盟が昨年から始めた全国大会を一つの会場で連続開催する「空手WEEK」。今年は小学生の全日本少年少女選手権、車いすや視覚など体が不自由な選手たちの全日本パラ競技大会、そして日本代表クラスが集う全日本体重別選手権の3大会に、合わせて2600人を超える選手が出場。延べ約1万2千人の観客を集めて、5日間の戦いが繰り広げられた。
今年の目玉は小学生の「能登地域枠」だった。元日に発生した能登半島地震の被災地に特別枠を設けて、通常の47都道府県代表とは違う形で全国大会に参加させた。選手は小学1〜6年男女の形と組手に合わせて16人。胸に「能登」のネームを入れて奮闘した。
その中から選ばれた潟渕叶和くん(2年男子形)の開会式の選手宣誓が、素晴らしかった。
「僕の住んでいる内灘町は大きな被害がありました。道場がしばらく使えなくなり、久々に先生や皆と練習できた時はとても嬉しかったです。道がデコボコで怖い時もあります。でも、練習していると忘れます。全国の皆さんの温かい声援と先生、家族のお陰で出場できました。最後まで頑張りたいと思います」
会場からは割れんばかりの拍手が起こった。
加えて、子どもたちを喜ばせたのが、21年の東京五輪で空手が初採用された時に金メダルを取った男子形の喜友名諒、銀メダルの女子形の清水希容、銅メダルの男子組手の荒賀龍太郎のメダリストらが集まったサイン会だった。
大会第2日の9日、午前、午後の2回行われた同武道館内の会場には色紙やTシャツを手にした少年、少女たちが長蛇の列を作った。その数約700人。「ありがとうございます」の声や合わせて記念撮影をねだる姿も。みんな目を輝かせて自然と笑顔が広がっていた。
全空連の南沢徹専務理事が唸るように言った。
「やっぱり五輪の力はすごい。子どもたちはメダリストを憧れの目で見ている。あの子たちの夢を実現するように、我々はこれからも引き続き、努力をしていかないといけない」
1964年の前回東京五輪時に発足した全空連。57年かけて悲願の五輪入りを果たしたのが3年前の東京だった。開催都市枠で採用され、今年のパリも、地元の空手人気に後押しされるように組織委員会からの感触で、東京と同じ開催国枠採用が確実視されていた。
しかし、ふたを開けてみると空手は野球・ソフトボールとともに落選し、代わりにブレイキン(ブレイクダンス)が入った。すでに発表されている次回の28年のロサンゼルスでも、空手は実施競技から外れている。
憮然とする空手関係者の間では「見送りを決めているのはIOC(国際オリンピック委員会)側。都市型スポーツを支持するバッハ会長の意向らしい」との声が広まった。最長2期12年の任期の延長を望む声が出ていたバッハ会長が君臨する限り、空手の再浮上はない、と囁きあっていた。
ところが、そのバッハ会長がパリ開催中のIOC総会で今任期満了での退任を表明した。来年3月に行われる次期会長選に国際体操連盟の渡辺守成会長が立候補へ意欲を見せているとの報道も。「日本人の会長が誕生すれば、空手を応援してくれるかも知れない」。関係者の中に夢をもう一度の機運が漂ってきた。
それでも、世界空手連盟の奈蔵稔久事務総長は冷静だ。「会長がバッハ氏から変われば、誰が選ばれても今より悪くはならない。ただ、今は山下泰裕JOC(日本オリンピック委員会)会長が体調を崩してIOCの集まりに不在で、日本の国際的地位はかなり低い。渡辺さんがIOC会長に立候補しても、当選は簡単ではない」とみる。
元々、空手はIOCから「次は開催国枠ではなく、正式競技で」と言われている。IOC内の似たような殴打系の格闘技である韓国のテコンドーとの競り合いはもとより、空手界内部でのフルコンタクト派との仲違いも相変わらず続く。それでも8年後の32年ブリスベンへ向けて、光が灯り始めたのも事実。柔道に続く、日本発祥の武道系のスポーツとして2度目の五輪入りへ。空手界が再びギアを入れていく。
(竹園隆浩/スポーツライター)
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