夏の甲子園。1回戦で大阪桐蔭との熱戦を繰り広げた興南高校。憧れの舞台で過ごした夏を追いました。
♪三線を弾く 興南・田崎颯士
「沖縄の音聞くと、自分は落ち着きます」
「左手を動かすので、それで器用になるかなと思います」
バッターを打ち取る「三振」ではなく、軽やかな音色の「三線」を響かせる、興南高校の背番号1、田崎颯士。
意外な趣味も見せてくれたチームのエースにとってこの夏は、幼馴染とともに挑む、特別な夏でした。
沖縄大会から、救援投手としてチームの甲子園出場に貢献した金城勇希。
2人は15年も前、保育園児だったころからの幼馴染です。
ー遊んだりしてた?
▽田崎颯士
「よく遊んでいました。勇希の家が一軒家で、庭あるので中学校の時はそこで毎日自主練してもらってました」
小学校から同じチームで野球を続け、中学校では全国大会にも出場。憧れの甲子園を目指し、興南高校へと進学したあとも、ライバルとして、切磋琢磨の日々を過ごしてきました。
▽金城勇希
「ずっと自分は追いかける立場だったので、(ライバル意識も)少しはあったんですけど、やっぱり(田崎は)試合でもすごくいいピッチングするので、そこは尊敬するところはあります」
▽田崎颯士
「小さいころから一緒にやってきたので、まずは初戦一緒に投げて、甲子園で投げて、初戦から勝って行けたらいいなと思います」
野球部と同じく、この夏1度きりの思い出を刻んだ生徒もいました。
3年生の志良堂亜美さん。去年たった1人で立ちあげた吹奏楽部が、初めての甲子園応援を任されました
▽興南 吹奏楽部 志良堂亜美さん
「確かに“1人”は吹奏楽っていう感じがしないんですけど、でも楽器を吹けることがすごくありがたくて、楽しかったから続けられました」
「(応援は)大変だけど、楽器がすごく光にあたって綺麗で。すごく貴重な体験だなと思います」
志良堂さんの熱意で生まれた吹奏楽部。部として初めての遠征が、今年の甲子園応援でした。
試合前日。
興南高校の吹奏楽部は、例年、沖縄の高校を友情応援する市立尼崎高校を訪ねました。
▽市立尼崎高校 吹奏楽部のメンバー
「ようこそ沖縄からいらっしゃいました、精一杯選手の背中を押せるような応援を
できるように頑張っていきたいと思います」
興南高校では体験したことがない100人を超える大所帯のなか、志良堂さんも、一生懸命に音を鳴らします。
▽志良堂亜美さん
「1人ひとり音が出てる感じがして、堂々としてて、すごい」「ついていきます。頑張って」
グラウンドで、アルプスで-
それぞれの夢を叶える、1度きりの舞台に立ちます。
先発マウンドに立ったエースの田崎は、大阪桐蔭の上位打線から連続三振を奪うなど、上々の立ち上がり。しかし、3回、4回に失点を喫し、興南は追いかける展開を強いられます。
それでもアルプスからは、興南の吹奏楽部が市立尼崎の力を借り、多彩な曲で選手たちを鼓舞します。
▽田崎颯士の父・盛斎さん
「誇らしいというか、夢が叶って良かったなと思っています。最後まであきらめず思い切って頑張ってほしい」
大阪桐蔭打線を相手に、中盤立ち直っていた田崎でしたが、7回。再びピンチを招くと、ここで、幼馴染の金城にボールを託します。
▽マウンドを託した田崎颯士 「ごめんなとひと言かけて、ボールを渡しました」
▽後を受けた金城勇希 「颯士にはごめんと言われたんですけど、自分がしっかり抑えてチームに流れを持ってくる気持ちで、マウンドに上がりました」
思いを受け取った金城は、気持ちのこもった投球で追加点を許さず。味方の援護を待ちます。
最後まで、点を取ることはできませんでしたが、アルプスから送られる大応援に、
選手たちも全力プレーで応えました。
▽志良堂亜美さん
「(甲子園で)吹奏楽部が活動出来たのがすごくよかった」
「一生忘れない思い出になったと思います」
▽田崎颯士
「仲間に恵まれた。今まで、勇希と一緒に野球やってきて一番いい思い出になったなと思います」
▽金城勇希
「保育園からずっと一緒で、高校に上がる際も、甲子園に行こうなと話してきたので、ここに来られて嬉しいです」
憧れの甲子園球場で、過ごした夏。
惜しくも初戦突破はなりませんでしたが、それぞれに、かけがえのない思い出を胸に刻みました。(取材 片野達朗)
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