パリオリンピック™陸上競技2日目の8月2日、初日の競歩種目に続きスタジアム(スタッド・ド・フランス)で行われるトラック&フィールド種目がスタートした。2日午前中の女子走高跳にはヤロスラヴァ・マフチフ(22、ウクライナ)が出場し、予選トップタイの1m95で4日の決勝に進出した。
マフチクは7月7日のダイヤモンドリーグ(以下DL)・パリ大会で2m10の世界新記録をマーク。ウクライナ選手ということで注目されてきたが、今大会ではさらなる世界記録の更新も期待されている。

7月に同じパリで35年ぶりの世界新

1か月前、同じパリで歴史的なパフォーマンスがあった。DLパリ大会の女子走高跳でマフチフが2m10をクリア。89年の第2回世界陸上ローマ大会でステフカ・コスタディノワ(ブルガリア)が跳んだ2m09の世界記録を35年ぶりに更新したのだ。

この35年の間に、世界記録が期待された選手は何人も現れた。特にブランカ・ヴラシッチ(クロアチア)への期待は大きかった。06~08年に8試合で2m05~07を跳び、09年には世界記録に1cmと迫る2m08をクリア。07年の世界陸上大阪大会でも2m05で優勝を決めると、2m10の世界記録にバーを上げた。

アンナ・チチェロワ(ロシア)にも無敵状態の期間があった。2m07の世界歴代3位を11年にマークし、同年の世界陸上テグ、12年ロンドン五輪と2年連続金メダルを獲得した。ヴラシッチ、チチェロワを含め7人が2m06以上の高さを跳んだが、あと数cmが届かなかった。

マスチフは18年に1m95のU18世界記録、19年に2m04のU20世界記録をマークして注目を集めた。21年には室内で2m06をクリアし、過去の7人と同様に世界記録が期待される選手となった。22年以降は、戦火の国の選手という点で注目度が高まった。戦争に関する質問も多くされるが、マスチフは丁寧に答えてきた。

19年の世界陸上ドーハ2位、21年東京五輪は3位、22年世界陸上オレゴンは2位とメダルを続けた後、昨年の世界陸上ブダペストでついに金メダルを獲得した。

そして今年のDLパリ大会で、何人もの選手たちの挑戦を跳ね返し続けて来た2m09の“壁”を超えて見せた。

「本当に信じられません。この2年間、世界記録のことを考えて来ました」

この日もウクライナ国旗の色である青と黄で、マフチフはアイラインをメークしていた。

東京五輪以後の経験がマフチフの力に

パリ五輪予選のマスチフは1m92から跳び始めた。21年は1m80台中盤の高さから、22年は1m80台後半から、23年は1m89~91から跳び始める試合が多かった。

「(最近は)1m90から跳び始めて違和感があったので、DLパリでは1m92からスタートしました。それで今回も同じ高さからスタートしました」

あまり低い高さでの跳躍をすると、技術や感覚にズレが生じてしまうのだろう。マスチフの力がシーズン毎に上がっていることが表れている部分だ。

銅メダルだった東京五輪から3年。4日(日本時間5日)の決勝は金メダルとともに、再度の世界記録更新が目標となる。

「パリは常に心の中にありました。世界記録を出した場所であり、オリンピックがあるからです。パリで金メダルを取りたい」

東京五輪当時との違いについても言及した。当時はコロナ禍で、オリンピックは無観客で開催された。

「パリ五輪では少なくとも観客がいて、私にさらなるエネルギーを与えてくれます」

さらに、自身に期待することの違いが、明確にわかってきたという。

「多くのチーム、競技、アスリートが存在します。私も東京五輪の頃より多くの経験をしてきて、自分に何を期待すべきか(何を期待され、何をすべきか)わかりました。ウクライナを代表してこの場にいられることが嬉しいですね。その分、以前よりもプレッシャーは大きくなりますが、それは気にしません。こんなに多くの人が集まると思っていませんでしたが、やっぱり観客がいることは良いことですから」

22歳ではあるが、マスチフの言葉には深みがある。会場のスタッド・ド・フランスに多くの観客が集まるほど、世界記録のバーをマフチフが超える可能性が大きくなる。

(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)

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