世界陸上の男子50キロ競歩決勝で優勝した鈴木。日本競歩陣初の金メダルを獲得した=2019年9月、カタール・ドーハ(桐山弘太撮影)

東京五輪で2個のメダルを獲得するなど、日本の「お家芸」ともいわれる陸上男子競歩。今夏のパリ五輪では個人種目として唯一、20キロのみが行われるが、世界記録保持者である鈴木雄介は慢性的な疲労をかかえ、東京五輪に続いて、出場がかなわない見通しとなった。鈴木は今年を「進退のかかった1年」として、来年東京で開催される世界選手権を目標に掲げる。今年元日には故郷の石川県が地震で甚大な被害に見舞われた。「故郷を競歩から盛り上げたい」。復興への思いも胸に、「世界王者」は前を見据える。

今年2月、パリ五輪の男子競歩20キロの日本代表選考を兼ねた日本選手権。池田向希(旭化成)が派遣設定記録を突破して優勝、代表入りを決めたほか、浜西諒(サンベルクス)と古賀友太(大塚製薬)の2人も代表入りを確実にした。一方、世界記録保持者の鈴木は大会へ出場できず、事実上、パリ五輪への道は閉ざされた。

「(25年の)世界選手権は日本で開催されるので、出たい気持ちは持ってやっている」

「次」に向かって歩み始めた鈴木だが、慢性的な疲労という体調の不安はつきまとい、調整は慎重になる。体調優先でやるのか、体調に目をつぶってでもペースを上げるのか-。「葛藤を持ちながらやるのが難しい」と本音も漏れる。

■浮き沈みの連続

鈴木の競技人生は浮き沈みの連続だった。

石川県能美(のみ)市出身。2015年、地元で行われた全日本競歩能美大会男子20キロで、1時間16分36秒の世界記録を樹立した。しかし、翌16年のリオデジャネイロ五輪は故障の影響などで出場できずに終わる。

19年にはドーハでの世界選手権に50キロで出場し、日本競歩陣初の金メダルを獲得。一方で、酷暑の中で戦った反動からか、その後は慢性的な疲労を訴えて20年3月を最後にレースから遠ざかると、代表に決まっていた東京五輪は辞退を余儀なくされた。

昨年5月の東日本実業団選手権で約3年ぶりに実戦復帰。5000メートルで2位に入り「筋力や体力は問題ない」といったんは手応えをつかんだ。だが、体調は再び下降線をたどる。同9月の全日本実業団選手権では1万メートルで7位と満足いく結果が残せず「パリ五輪を目指したい気持ちと体調との兼ね合いで、少し無理しちゃった感はあった」という。

今年1月、36歳になった。「進退のかかった1年にはなるかな、とも考えている」。鈴木はそう覚悟を示す。

■震災影響「競歩界」にも

心が痛む出来事もあった。今年元日に発生した能登半島地震では、輪島市などを中心に甚大な被害が出た。鈴木が生まれ育った能美市からは離れているものの、中学生のころから輪島の街並みの中で歩いてきた鈴木にとっては、ショックも大きかったという。

それだけに「能登の方々の元気を取り戻さないと、石川県全体が元気にならない」と言葉に力がこもる。

石川県は以前から競歩が盛んで、鈴木が世界記録を樹立した全日本競歩能美大会以外にも、全国大会が開催される「競歩王国」。だが、震災は競歩界にも影響を及ぼし、4月に輪島市で予定されていた全国大会は中止となった。

「今は復興でいっぱいいっぱいだと思う。すぐに大会というのは難しいと思うけど、競歩仲間で貢献できるところがあれば、貢献したい。輪島から盛り上げてもらった競歩。今度は競歩から輪島を盛り上げられるようなことができたら」

地元への強い思いも胸に秘め、「勝負の1年」に臨む。(小川寛太)

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