【外食】道内で最も歴史のある西洋料理店として知られる函館のレストラン、五島軒。新型コロナウイルス感染症がまん延し、先を見通せなかった2021年、社長に就いた若山豪社長に老舗が進めるチャレンジについて聞きました。

哲学科を志望した高校時代 大企業を目指した大学時代

――小さいころから、五島軒を継ぐつもりでしたか?
幼稚園の年少さんではウルトラマンになりたくて、年中さんになると、(夢は)五島軒の社長って、ひらがなで書いてあるんですね。そういうことを言われる家ではなかったんですが、子ども心にそういうところは感じていたと思います。ただ、反抗期がありました。中学までは函館で過ごして、札幌の高校に進学しました。大学の進路を決めるとき、経済学部を選ばずに文学部哲学科に行きたくて東洋大学を志望しました。きっと家業を継ぐなら経済学部ということへの反発というか、そうしたくない何か意思があったと思います。
――大学卒業後は函館に戻ってこられたのですか?
実家のレストランは中小企業だと分かっていましたから、一部上場の大きい会社に入りたいと思いました。大学の就職担当者と相談して物流会社に入りました。


病床の祖父のガッツポーズに家業を継ごうと決意

――どういうタイミングで函館に戻ってこられたのですか?
2011年に戻ってくる前年に祖父が亡くなりました。(亡くなる前は)寝たきりで目を覚ますことがないような状態でした。私が病院にお見舞いに行くと、ふっと目が開いたんですよ。「頑張って病気を治そうね、会社は大丈夫だから」と伝えたら、祖父はしゃべることはできませんでしたが、ベッドの上でガッツポーズをしたんです。それ見てジーンときて、何とか受け継がなきゃだめだなと思い、戻ってきた感じです。
――戻ってこられて、どうでしたか?
当社はレストランもやっていますが、30年ほど前に工場を建てて食品製造が基幹事業になっていたので、工場に配属されました。


コロナの逆風で経営悪化 「チャレンジしかない」と一念発起し、社長に

――経営に入られるのはどういうきっかけでしたか?
部長、専務になり、ちょうど社長に就くときはコロナ禍があり、レストラン事業や飲食はすごくダメージを受けました。函館観光は例年、ゴールデンウィークに盛り上がります。ちょうど桜が咲く良い時期で、観光客がベイエリアや五稜郭にあふれるんです。ただ、2020年5月3日に行くと、だれも道を歩いていませんでした。こんなゴールデンウィークがあるんだなと思いました。五島軒も売り上げが下がって株価が落ちるなど、いろいろ苦労しました。どうせなら事業承継もしてしまうおうと、一念発起し、2021年に社長交代しました。とにかくチャレンジするしかない、もう後ろがなく、前に出るぞっていう気運が日本全体にあったと思います。次々と動いていく時期に承継でき、良かったです。


コロナで巣ごもり需要が高まる中、食品製造の強化で苦境を乗り切る

――函館に観光客が来ない状況もあり、食品製造の方にかじを切られたのですか?
飲食事業は落ち込みましたが、おうちで食事などを楽しむ「巣ごもり需要」が出てきました。東京の方で北海道フェアをたくさん開催してくださり、レトルトカレーやケーキが東京にどんどん出荷されるようになりました。レストランの苦境は食品製造が頑張って、何とかコロナ(の苦境)を乗り越えました。

―― それを含め、社長に就任し、どういうことに取り組みましたか?
これまでは歴史を守るスタイルが多く、老舗だから、どっしり構えて手を出すときは慎重になることが多くありましたが、函館や五島軒の歴史を知ってもらおうと、発信したのがこれまでとの大きな違いです。江戸から明治にかけて函館は開港都市で国際的なまちでした。住んでいた外国人の生活様式を錦絵にまとめたものが当社にあり、その錦絵をお菓子のパッケージに使いました。また、幕府の侍だった当社の初代の料理長と一緒に(函館戦争を)戦い、映画「ラストサムライ」のモチーフになったフランス人の士官、ブリュネさんの名前にちなんだカフェサロンも今年、作りました。守りも大事ですけれど、引き出しにしまっておくと、だんだん古びていくので、引き出しから出して、歴史を活用することがすごく大事だと思います。


昆布だしのカレーを商品化 水産のまちの活性化も期待

――今、力を入れて取り組まれていることは?
地元の高校でSDGs(持続可能な開発目標)をテーマに授業を行い、函館でどういう産物を残したいかを一緒に生徒さんと考えたことがあります。函館は、すごくおいしいだしがとれる真昆布の日本一の産地なのに、十分に周知できていませんでした。生徒さんは昆布の守りたいとおっしゃっていたので、真昆布でカレーを作ってみました。私たち(のレストランの料理)はフランス料理やロシア料理が起源なので、ブイヨンを作るのを基本にやってきましたが、1回、昆布だしに転換してみたのです。味わったクラス40人中の35人が昆布だしの方がブイヨンよりおいしいって言うんです。そう言われ、当社の社内は落ち込みましたが、商品化を決めました。真昆布は今まで大阪の問屋さんに全部運ばれ、(朝廷などに高級品として届ける)献上昆布と言われていました
――関西はだし文化ですから昆布を非常に大事にしますね。
漁師さんには真昆布がどこで食べられているのか、あまり見えていませんでした。その昆布が地元のカレーに入り、漁師さんがすごく喜んでくださりました。地元の生徒さんも、漁師さんも、みんなが地域で取り組むことを増やすのは地域の生き残りのためにすごく大事だと思います。


時代とともに変わる味覚と食材 料理はベンチャー精神で常にアップデート

――小売店で販売する(レトルト)カレーにも昆布だしが入るのですか?
昆布だしのおいしさが分かり、看板商品の「函館カレー」に使い、発売しています。
――そうして味はアップデートされるのですね。
その時代においしい、次の時代もおいしいって言われるのは、たぶん変化し続けないといけない―ということです。これは家訓として残っています。明治時代も今もカレーを作っているけれど、明治時代のカレーを今、そのまま食べたら、おいしくないぞと、父はよく話していました。だからアップデートしているはずなのです。明治のおいしいと大正のおいしい、昭和のおいしいは、たぶん違うのです。味覚は変化し、原材料の野菜やお肉も良くなっておいしくなっていくので、それに合わせて味を変えることを繰り返したから、どの時代でも、ある程度おいしいと評価を受けてきたはずです。ベンチャー精神でどんどん変えなければ、時代に乗り遅れてしまう―。(アップデートこそが)老舗として長く続いた秘訣かなと思います


企業やまちの生き残り 地域の役割を分担し、総力結集できるかがかぎ

――これから100年、200年と五島軒が愛される存在であるために、どんな未来を想像していますか?
今年145年を迎えられ、本当に函館、北海道の人に支えられてきたと感謝しています。でも今、函館も他のまちも地方は人口減少しており、函館は年間4000人以上も減る状態がずっと続いて、危機的な状況です。函館、北海道があるから五島軒は生き残ってきましたが、まちが滅びてしまえば、企業も続けられなくなります。会社1社で何とかできる時代は終わったと思います。行政も、地元の企業も産業も生産者さんも、みんなで役割分担をしっかりしなければ、未来が描けない時代が来ています。地域の総力をどう結集するかに傾注し、みんなで臨めば地域は変わり、これからも続くんじゃないか。そこに五島軒もちゃんとあり続けるよ―と示していければ良いと考えています。

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