メチャクチャ安いクルマといえば、おじさんは47万円で売られた初代スズキ・アルトを思い出すが、海外にはそれをはるかに凌ぐクルマが存在した。それがインドのタタ・モータースの作ったナノ。2008年にたったの11万ルピー(約21万円)でデビューしたのだが、このクルマ、いろんな意味ですごかったのよ!

文:ベストカーWeb編集部/写真:TATA MOTORS

■ワイパーは1本。ホイールを留めるネジはたった3本!

タタ・ナノ(初代)

 21世紀初頭のインド。所得水準はまだまだ低く、庶民がクルマを手に入れることには相当の苦労が伴った。人々の主たる移動手段はバイクだが、2人乗りや3人乗りは当たり前、中には家族まるごとが1台のバイクにしがみつくこともあり、当然、不幸な事故も日常茶飯事。

 そんな事態に胸を痛めたのが、当時のタタグループ会長のラタン・タタ氏だ。同氏は雨が降っても家族が安全に移動できるような乗り物を提供しようと決意し、庶民でも手の届く激安車作りに着手する。目標とされたのは中間層の平均年収に相当する10万ルピー(約20万円)である。

「絶対に不可能」という多くの声をよそに、ラタン氏率いるタタ・モータースは2008年、1台の小さなクルマを発表した。その名はナノ。全長3.1m、車重は600kg。623ccの2気筒エンジンを積む4人乗りのリアエンジン&リアドライブというマイクロカーだ。

 当時のインドでもっとも安いクルマといえば、マルチ・スズキが手がける「マルチ800」で、約20万ルピー(約40万円)だった。ナノはその半額という10万ルピーを達成するために、常識では考えられないコストダウン策を講じてきた。

 一見5ドアハッチバックに思えるボディはリアハッチを省いた4ドア。ブレーキは4輪ドラムで、ホイールはわずか3つのナットで固定された。ワイパーはリンク機構もない1本式で、助手席側にはドアミラーもなし。もちろんABSやエアバッグも付かず、トランスミッションは4速MTのみだった。

 2014年には、そんなナノがインド初となる衝突安全テストに挑んでいる。試験項目は時速64km、オフセット率40%という前面衝突のみ。ナノはみごとに星ゼロ。「車体自体が頑丈さに欠け、チャイルドシートを取り付けても意味を持たない」と酷評された。

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■いまやインドは世界第3位の自動車販売国

衝突テストではみごと星ゼロに

 それでもナノは、庶民にかけがえのない希望を与えたといえる。ナノさえあれば、少なくとも家族4人が雨に濡れずに遠出が出来た。自由な移動がかなわなかった人たちに「ここではないどこか」へ出かける可能性をもたらしたことは、ナノの計り知れない功績といえよう。

 いっぽうナノを作るタタの懐事情は深刻だった。10万ルピーをわずかに超える11万ルピーで売り出してみたのの、実際の収支は完全な赤字で、タタ・モータースはナノを売れば売るほど赤字になった。

 しかしもっとも意外だったことは、庶民の側が思ったほどナノに食指を動かされなかったことだ。思うに、安さを前面に押し出したナノはあまりに質素すぎ、クルマの持つ「今までもよりちょっと素敵な生活」という雰囲気を演出するには物足りなかったのかもしれない。

 ナノは2015年に2代目へと進化するが、価格がほぼ2倍に値上げされたこともあり、事態を改善するには至らなかった。天然ガス仕様やセミオートマ仕様なども追加されたが、売上を伸ばすには至らず、結局ナノは2018年に、10年に及ぶモデルライフを終えてしまった。

 ひるがえって現在。インドはすさまじいモータリゼーションの中にあり、自動車販売台数で日本を抜く世界3位の国に躍り出た。今やインド製の乗用車が日本に輸入され、人気を博しているのが現実だ。

 ナノを生んだラタン・タタ名誉会長は2024年10月にこの世を去った。ホンダWR-Vやスズキ・フロンクスといったインド製モデルが日本でもヒットしている現実をラタン会長が知ったら、自分の決断が間違っていなかったことを誇らしく思うに違いない。

 もしWR-Vやフロンクスに乗る機会があったら、インドのモータリゼーション爆発のきっかけとなったあだ花「ナノ」という存在を思い出してほしい!

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