青山高治 キャスター
今シーズンの広島カープですが、「代打・松山」がコールされたときの球場の盛り上がりがすごいです。5月4日(日)の代打決勝スリーランホームランを見ても、松山竜平 選手の一振りというのが勝利に直結していますよね。
コメンテーター 木村雅俊 さん
(中国新聞社 編集委員室 特別委員)
そうなんです。ことしはロースコアの展開が多いので代打・松山選手の一振りの比重がますます今後も高まりそうです。入団17年目なんですけど、巧みなバットコントロールと勝負強さから積み上げてきた数字を振り返ると、けっこうすごい数字が並んできて、それを紹介したくてカープの代打特集をしてみたんです。
カープ歴代 代打記録(5月9日時点)
安打
1 宮川孝雄 187
2 浅井樹 154
3 松山竜平 109
4 西田真二 108
5 町田公二郎 82
打点
1 宮川孝雄 118
2 浅井樹 93
3 西田真二 88
4 前田智徳 87
5 松山竜平 84
中根夕希 キャスター
カープ歴代の代打のみなさんの通算安打と打点ですけれども、松山選手は安打で3番目、打点では5番目。けっこう、すごいことですよね。
木村雅俊 さん
ですよね。両部門の1位は 宮川孝雄 さんで昭和の選手なんですけども、2位の 浅井樹 さんは平成を代表する代打でした。松山選手はまだ現役ですから今後、令和を代表するカープの代打として “三大代打” の1人になっていきそうな感じがします。
青山高治 キャスター
いいですね。“カープ三大代打” 。となると、やっぱり松山選手の上にいる宮川さんと浅井さんのことをもっと知りたくなります。
木村雅俊 さん
そう思って、映像を用意してもらったんですけども、これが宮川さんなんです。
青山高治 キャスター
うわっ。
木村雅俊 さん
宮川さんは、もう球界屈指の代打。代打起用回数と代打通算安打と代打通算打点は、プロ野球1位です。
青山高治 キャスター
へえー。
木村雅俊 さん
現役時代は、12月11日に練習を始めて11月31日までの355日間、毎日1000スイングをして、休むのは12月頭の10日間だけっていう生活をずっとやっていたみたいで、1972年(昭和47年)には代打打率.404という、もう想像できないぐらいの数字を残しているんです。
青山高治 キャスター
のちに「村上」姓になってスカウトになられて、緒方孝市 選手とか 前田智徳 選手をスカウトされた “名スカウト” ですよね。
木村雅俊 さん
「村上スカウト部長」としてファンの方も知っている方が多いと思うんですけど、現役時代は「宮川」姓でがんばっていたので。
青山高治 キャスター
1日1000スイングで休みが10日だけって、もう修行のような日々…
木村雅俊 さん
もう野球は「野球道」ととらえている方で、本当にストイックにやっていた感じですね。
次が浅井選手なんですが、通算代打打率がプロ野球2位です。代打サヨナラ安打4回っていうのは球団1位です。
青山高治 キャスター
へえー。
コメンテーター 木村雅俊 さん
(中国新聞社 編集委員室 特別委員)
みなさん、知っていると思うんですけども、浅井選手といえば座席でのルーティン。右腕をまくし上げて、この太い腕を相手ピッチャーに見せつけるんです。これで、2軍でちょっとくすぶっていた時期があったんですけど開花した。三村敏之 監督がアドバイスして、取り入れて、相手を威圧しながら自分のスイングができるようになったという形なので。レギュラーがちょっときつかったのでなかなか…、代打でしたけども、すごく印象に残る左バッターですよね。
青山高治 キャスター
へえー。三村さんがこうやって、「お前のその太い腕を相手に見せて」ってアドバイスをされて…。当時、「左の浅井、右の町田」という代打がすごく盛り上がっていましたもんね。
木村雅俊 さん
そうなんですよ。この2人で終盤、カープはひっくり返す野球をよくやっていました。
セ・リーグ 代打通算打率
(起用300回以上・5月9日時点)
1 若松勉(ヤクルト).349
2 浅井樹(広島).315
3 宮川孝雄(広島).290
4 松山竜平(広島).288
5 高木由一(大洋).287
6 立浪和義(中日).285
中根夕希 キャスター
セ・リーグの代打通算打率を見てみますと、トップ6のうち半分はカープ。となるとカープって代打の名選手を輩出するチームカラーがあるのかなというふうにも思いますが…
木村雅俊 さん
ぼくもこの表を見たときにちょっとびっくりしたんですけど、かなりすごいデータだと思います。なんでだろうと考えた場合、明確な理由はわからないんですけども、ちょっと思うのは宮川さんの時代も浅井さんの時代も外野のレギュラーがものすごく強固で、そこになかなか入っていけなかったと。打つ方のセンスはものすごくあったので、チーム事情的に代打に回っていくと。宮川さんは入団4年目に代打専門になったみたいなので。いかにその時代の外野が強かったかということだと思いますね。
中根夕希 キャスター
競争率も高かったっていうことですね。
木村雅俊 さん
その中で松山選手ですけども、スタメンで一時期、出ていましたけども、今はもうベテランになってきたので代打専門になってきましたが、松山選手といえば、“おなじみのフレーズ” があると思うんですけど、調べてみて、彼の一番最初にお立ち台に立った日の映像を用意してもらいました。
初の「お立ち台」 2011年9月19日
広島カープ 松山竜平 選手
「じいちゃん、ばあちゃん きょう、俺やったよ」
青山高治 キャスター
これが初のお立ち台、2011年…。だいぶ今と感じは違いますね、おなじみのフレーズですけども。
木村雅俊 さん
顔も真っ黒だし、シュッとしている感じもありますよね。
中根夕希 キャスター
まだ若くて、なんかテンポ感が違いますね。「(腕を突き上げて)俺やったよ!」っていう感じじゃなくて、「俺やったよ…」ってちょっと恥ずかしさとかも…。でも、なんで鹿児島のじいちゃん・ばあちゃんだったんですか?
木村雅俊 さん
松山選手が大学に進学する際に祖父母が学費の足しにということで飼育していた牛を売って学費を工面してくれたんですね。それがあって大学行って、プロに入って4年目で初めてのお立ち台になったんですけども、あの日は2011年9月19日「敬老の日」なんですよ。
青山高治 キャスター
ああ。
コメンテーター 木村雅俊 さん
(中国新聞社 編集委員室 特別委員)
そのときに「じいちゃん、ばあちゃん ありがとう」って言ったのが、あれから十何年経ってあんなに洗練された、みなさんに響くフレーズになっていったということですね。
青山高治 キャスター
へえー。日にちの巡り合わせもあって生まれた名フレーズなんですね。今シーズンも、あと何回もあのフレーズをお立ち台で聞きたいなと思います。
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。