9月に行われたイチロー(50)率いる「KOBE CHIBEN」と「高校野球女子選抜」の真剣勝負に初めて参戦した松井秀喜(50)。慣れ親しんだ東京ドームでの一戦に「4番・センター」でスタメン出場、最終第6打席には“ホーム”で20年ぶりとなる“ゴジラ弾”を放つなど、観客を沸かせた。1回に肉離れを起こしながらも最後まで出場を続けたその裏側には、松井の強い覚悟があった。
20年ぶり、東京ドームで背番号「55」
「今年はイチローさんが(10月22日で)51歳で、日米ともにおそらく殿堂入りされるんじゃないか。そういう意味でも、今年は駆けつけてお祝いをお伝えできればいいなと思いました」
東京ドームでは3回目となった「KOBE CHIBEN」と「高校野球女子選抜」の対戦。松井はイチローの「(松井と再会するなら)やっぱりユニホームを着て再会したい。東京ドームでだったらそれが叶うんじゃないか」との思いを受け、今回のオファーを快諾した。
「東京ドームで、やっぱりここで野球やるってかなり特別ですよ」と話すように、松井にとっては思い出深い場所。1992年ドラフト1位で星稜高校から巨人に入団して以来、10年間を過ごしたホーム球場だ。海を渡ってからも、ヤンキース時代にレイズとの日本開幕戦(2004年)でプレーしたが、今回はその時以来、20年ぶりだった。
松井は強い覚悟で今回の試合に臨んでいた。試合前には次のように話している。
「お客さんからお金をもらって野球を見せる以上、緩い野球は見せられない。今自分自身の持ってる100%を出したいなと思いますけど、これで多分、自分が真剣にプレーヤーとして野球に向き合うのは最後になるんじゃないかなというような気がします。ある意味で、自分の中では選手として真剣にやる野球は、引退試合みたいなそういう感覚かな」
「ユニフォームを着た甲斐があった」
試合は、1回からアクシデントに見舞われた。女子選抜のクリーンアップが、左中間へ3連打の猛攻。「1回で心折れそうだったんですよね。打球を追ったときに、一番考えていた最悪な事態が起きました。肉離れです。パチンっていう感じ」。メジャーでも「1回か2回くらい」しか経験ないという非常事態に「走るのはかなり辛かったです、正直」と当時の心境を吐露した。
それでも「お客さんがこれだけ来てくれて途中で交代するっていう選択肢はなかった」と松井。「今回特に東京ドームでみなさん楽しみにされてこられたと思うし、最悪打つのはなんとかなる感じだったので、ひたすら守備でボールがこないでくれと祈りながら」と2回以降は気合いで星稜時代以来のサードを守り抜いた。
さらに8回には東京ドームで20年ぶりの“ゴジラ弾”が炸裂。イチローと松坂大輔(44)が繋いで迎えた2死一、三塁の場面で、カウント2-0からの3球目、外角への変化球を捉えると、打球は綺麗な放物線を描きライトスタンド最前列へ飛び込んだ。
「最後は回ってこないと思って気を抜いてたんですけど(笑)せっかく皆さんがつないできたんで。できる限りのフルスイングはしたいなと思っていきましたけど、自分の中ではまさかの結果でした」。強い想いが白球をスタンドへ運んだ。
先発したイチローは9回、141球10奪三振の完投。打撃では4安打をマーク。3年連続出場となる松坂も「3番・レフト」で1安打2打点とメジャーリーガートリオが球場を沸かせた。
「イチローさんも熱投してましたし、松坂くんも守備で動き回ってたし、2人もヒットでつないでくれました。2人にすごく久しぶりに会うんですけど、野球を通じて気持ちが通じ合う感じがありました。それが嬉しかったです」
試合後に観客の前で行われたインタビューでは、「本当によく来てくれたよね、ヒデキマツイ」というイチローに「ユニフォームを着た甲斐がありました」と笑顔で答えた松井。「野球に真剣に向き合う機会をいただいた。また私が10年間プレーしていた東京ドームでプレーさせてもらえたっていうのはこれ以上ない幸せなことです」と感謝の言葉で締めくくった。
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