日本のメダルラッシュに沸いたパリオリンピックも日本時間の12日、幕を閉じました。世界を相手に挑み続けた日本代表、県勢の活躍を振り返ります。
日本時間の13日明け方に閉幕したパリオリンピック。県勢の選手たちが様々な競技に出場しました。
バスケットボール女子の七尾市出身、赤穂ひまわり選手。決勝トーナメント進出がかかる1次リーグ最後のベルギー戦に出場しました。14点を追う第2クオーター。ここで日本を引っ張ったのが…。
実況:「赤穂3ポイント!きました!」
さらにゴール下へ果敢に攻め込みフリースローを獲得。落ち着いて2本沈めます。しかし高さと速さで圧倒するベルギー。結局日本は大差で破れ、予選敗退となりました。
石川県勢初めての水球男子日本代表に選ばれた白山市出身の新田一景(にったいっけい)選手。予選敗退が決まる中、オーストラリアとの最終戦に臨みました。第3ピリオド。富山県出身の稲場悠介(いなばゆうすけ)選手の得点で追い付きその後、逆転に成功。執念の今大会初勝利をあげました。
熱戦から4日。新田選手は 母校の金沢市立工業高校で後輩と練習に励んでいました。
新田選手:
「体を動かさないと気持ち悪いなと思ったので早速練習した」
練習の後、新田選手は後輩たちにこんな言葉をかけました。
新田選手:
「ロスのオリンピックは僕も含めてみんなも主役にならないうといけないのでぼくは一足先に待っているのでみんな追いついてきてください。上がってくるまで僕はい続けないといけないので自分自身にもはっぱかけるという意味で1年1年勝負してその結果がロス五輪であれば100点かなと思う」
アーティスティックスイミングに出場したのは白山市出身の木島萌香(きじまもえか)選手。新ルールが採用された今大会。最初の種目では演技の一部が認められず、その後の抗議で順位が変わるという波乱も。メダルが狙える4位で迎えた最終種目。地元白山市ではかつて木島選手が所属していたクラブの仲間などが見守りました。
メダルには届きませんでしたが笑顔で演技を終えました。
地元の仲間たちは…:
「練習中にも辛いこととか苦しいことがたくさんあったと思うのに本番では堂々と演技をしていて自分もパワーをもらいました」
島田順子コーチ:
「メダル獲得した笑顔は見たかったですけど、よく頑張ったと思います」
ローイング男子軽量級ダブルスカルに出場した小松市出身の宮浦真之(みやうら・まさゆき)選手。初めて挑んだ大舞台は6分30秒93で14位となりました。
トランポリン女子に2大会連続で出場した金沢学院大クラブの森ひかる選手は、前回大会では進めなかった決勝に進出。冒頭の3回宙返りなどを決め、得点は54.740。メダルには届きませんでしたが前回大会にはなかったはじける笑顔をみせてくれました。
森ひかる選手:
「東京オリンピックは全然楽しめなかったし苦しかったという思いでいっぱいだったけど、オリンピックを目指すにあたってもそうだし楽しめたということが私にとってすごくうれしい」
ブレイキン男子に登場したのはHIRO10こと大能寛飛(おおの ひろと)選手。初戦でみせたのは世界トップレベルのパワームーブ。
しかし強豪揃いの予選グループで2連敗。予選敗退が決まる中迎えた最後の試合。片肘で回転する大技「ワンハンドエルボーエアー」が決まります。しかし大能選手は敗退。
大能選手の勇姿を称えるように会場からはブーイングが起きました。
大能選手:
「応援してくれたみんなとかいろんな気持ちを考えて涙が止まらなくなって。でも最後は自分の大好きなブレイキンを見せられたのですごくうれしかったです。面白かったです。人生おもしれえっす!」
能登半島地震復興への願いを込めたリボンをつけて1万メートル決勝に望んだ金沢市出身の五島莉乃(ごしま・りの)選手。「前半から積極的なレースをする」と決めていた五島選手は序盤、トップに立ちます。しかし中盤以降は他の選手がペースをあげ結果は18位に終わりました。
五島莉乃選手:
「オリンピックをずっと夢と思ってここまで陸上をやってきたので夢のような25周でした」
サッカー女子なでしこジャパン。金沢市出身の北川ひかる選手が3戦目のナイジェリア戦で日本列島を湧かせました。
「北川の左足!決まった!」
北川選手:
「(ボールが)すごくいいところに行ったなあと自分でも思ったんですけどとにかく入ってチームの力になれてよかった」
これで決勝トーナメント進出を決めたなでしこジャパン。準々決勝は前回大会銅メダルのアメリカ代表との対戦です。
金沢市内では北川選手が小学生の時に所属していた菊川(きくがわ)FCの後輩たちが試合を見守りました。
子どもたち:
「ひかるちゃんがんばれ!オー」
前半、アメリカが終始ボールを支配しますが北川選手は鉄壁のディフェンスでゴールを守ります。試合は0ー0のまま延長戦へ。すると延長前半のアディショナルタイム。相手のフォワードに右サイドから切り込まれ…ゴールを決められます。この1点が決勝弾となり、ベスト4進出はなりませんでした。
子どもたち:
「最後までプレーをやり切っていたのがとてもいいなと思いました。自分も日本代表になってオリンピックに行きたいです」
帰国後、海外クラブ移籍への方針を固めた北川選手は石川テレビのスタジオを訪れました。
北川選手:
「本当に悔しい思いをしたし今でも振り返ると悔しいけどこの悔しさを笑顔にかえられるようにがんばっていきたい」
現地では能登から観戦に来た子どもたちとも交流した北川選手。ふるさとへの思いも語ってくれました。
北川選手:
「能登、石川だったり震災にあった方々に対して何かしら勇気やパワーを届けられたらと思ってこれからも石川とともに歩んでいくので応援よろしくお願いします。」
全力で世界に挑み続けるアスリートたちの筋書きのないドラマは私たちに勇気と感動を与えてくれました。
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