ネーションズリーグ(5~7月)で過去最高となる銀メダルを獲得し、パリオリンピック™でのメダル獲得へ、弾みを付けたバレーボール男子日本代表。2mを超える身長から繰り出されるブロックと、気持ちを全面に出すプレースタイルが持ち味のミドルブロッカー・髙橋健太郎(29)は、自身初の五輪に挑む。惜しくも選出漏れとなった東京五輪で一時は引退を決意しながらも、現役続行を決意した髙橋。その裏には妻・伊織さんの助言があったという。
野球少年からバレーボールの道へ
「自分たちの目標としている金メダルをとるっていうのを、本当に最大の目標として、必ず形に残して結果を残して、笑顔で帰れたらいいなと思います」。決戦の地、パリに到着した髙橋は、取材に対しこう答えた。
中学校までは野球少年だった髙橋は、故障もあり野球の道を断念。高校では漠然と、学校の「番長になりたい」と思っていたというが、進学した米沢中央高校(山形)の校長の「全日本の選手になれる」という言葉に触発され、バレーボールを始めた。
その後、筑波大に進学。当時の男子日本代表・南部正司監督から、石川祐希、山内晶大、柳田将洋と共に“NEXT4”と命名され、将来を嘱望される存在として注目された。東京五輪を前に結婚、第1子が誕生するなど、公私ともに順調にキャリアを重ねていった。
満を持して迎えた2021年だったが、「バレー人生の中でどうしても成し遂げたいこと」だった東京五輪代表メンバー入りを果たせなかった。
「落選したとき、もう何もなくなっちゃったと思って。ものすごくショックだった。オリンピックに僕は出られなかったんだ。もう僕はもう終わったんだ」。自暴自棄になり「あとは本当に辞める段取りを踏むだけかな、と。バレーボールはもういいかなっていうふうに家族にも話をしていたので。もうやらないだろうな」と、引退も考えていたという。
こうした当時の髙橋の様子を、妻の伊織さんは「どれだけ(東京五輪に)賭けていたかはよくわかっていたので、やめるっていう決断をするのは当然というか、わかるなって」と振り返る。
「東京オリンピックの試合が始まったときに、(髙橋が)“今は直視できないからビデオに試合を録画する”と言って録画予約をして。けど試合の時間になったら、リアルタイムで見るんですよ。見始めたら仲間を褒めるんですね。“さすがだよ”とか、“勝ってほしい”とか言うんです。あそこまで落ち込んでたのに、仲間とかチームのことをそう思えるってまだバレーが好きだしやりたい気持ちもあるし、もっとうまくなるんじゃないかな(と感じた)」
伊織さんは、髙橋に「オリンピックは、選手生命が20年以上ある中の2週間のただの1大会でしかない。大会云々じゃなくて、自分の競技人生の中でどうありたいか、プレーヤーとして、ということを考えてやった方がいいんじゃないか」と伝えたという。
これまで自身のバレーボールについて特に意見してこなかった伊織さんが発した初めての助言に納得した髙橋は、一転、現役続行を決意。「自分のバレーボールのキャリアのために、もう1回やるっていう意気込み。自分のためにやりたいし、それが家族のためになる。子供たちにその姿勢を見せられるっていうのが、僕の最大の父親としての仕事だと思う」。気持ちを新たに、プレーに臨むようになった。
チームでメダルを取るのは使命
2022年シーズンからは3年連続でVリーグのブロック賞を獲得。東京五輪後は日本代表にコンスタントに招集されて存在感を示してきた。「パリオリンピックも僕にとっては通過点でしかないと思っていて、まだまだ自分の登れる山の5分目ぐらいしか来てないので、引退するときに納得した自分でいられるようにしたい」と高みを目指す姿勢を崩さない。
「喜びとかそういうのを分かち合えるというか、共感して一緒に進んでいける存在。結婚して家族ができて、守るものというか、背負うものがあって、それがちょうどよく自分のキャリアのピークのときにあるってのは本当に幸せだなと思います」。第2子も誕生し、家族の存在をさらなる自身の力に変えている。
ミュンヘン大会以来、52年ぶりの五輪メダルを狙う日本。髙橋自身も「絶対にチームでメダルを取るのは使命だと思ってますし、そこに自分が携われる。その場所にいて、喜びを分かち合えることが、今年の日本代表にいる最高のモチベーションなので、達成できるように頑張りたいな思っています」と意気込んでいる。
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