沖縄県出身のレーシングドライバー・平良響選手が2024年6月、フォーミュラカーの国内最高峰のレース、スーパーフォーミュラに県出身のドライバーとして初めて参戦した。「夢の舞台」と話していたレースに挑んだ2日間を追った。
キャリアのスタートは読谷村のサーキット
沖縄市出身の平良響選手。
この記事の画像(16枚)レーサーとしてのキャリアは、読谷村の小さなサーキットから始まった。
平良響選手(当時中学2年生):
タイヤと常に話をしていて、もっとスピード出せるかとか、もっと突っ込めるかとか話しかけています
小学1年生からカートに乗り始めた平良選手。
2015年には日本代表として世界大会に出場するなど、沖縄を飛び出して活躍してきた。
平良響選手(当時高校1年生):
将来の夢は沖縄初となるF1ドライバーになることです
高校卒業後、若手ドライバーの登竜門であるFIA-F4に参戦。
2020年には10連勝という新たな記録を打ち立てて、年間チャンピオンに輝いた。
2021年からは、スーパーフォーミュラライツへとステップアップ。
2023年は惜しくもチャンピオンを逃し、年間2位。最高峰のカテゴリースーパーフォーミュラへの参戦は叶わなかった。
掴んだチャンス「沖縄のレースを盛り上げたい」
しかし、ドライバーが離脱したチームから急遽オファーがあり、1戦のみ出場できるチャンスが巡ってきた。
平良響選手:
フォーミュラに戻ってこられて幸せです。沖縄のレースを盛り上げたいという一心もあって、こうやって頑張ってこられているし、沖縄の人の声援がすごく地元を感じて幸せですね
平良選手の夢の舞台を見届けようと、ファンも駆けつけた。
平良選手:
はるばるありがとうございます。どうしたの?泣いています
ファンの女性:
おめでとうございます
別の女性ファン:
わたし沖縄なので。きょう練習どうでしたか?
平良選手:
良い感じです
別の女性ファン:
予選楽しみにしています
参戦が決まったのは、レースの3週間前。十分な準備期間とは言えない。
平良響選手:
正直まだまだです。スピードが速すぎて、まだちょっと怖いなという感覚があります。厳しい状況なんですけど、そこでもいけるぞというところを見てほしいです
コンマ1秒を競う世界
決勝レースのスタート位置を決めるための予選。まずは1次予選を突破し、上位陣で争う2次予選進出を目指す。
コース1周のタイムを競う予選。最高時速はおよそ260キロまで上がる異次元のスピードの中、コンマ1秒を争う。
2次予選進出ラインとの差は0秒355届かず悔しい結果となった。
IMPUL 星野一樹 監督:
そこのコンマ3が明暗を分けている感じで。そこ以外はかなり良かった。惜しかった
平良響選手:
悔しいな。あとコンマ1速かったら(決勝スタート位置が)3列前だからな。あとコンマ3でQ1突破。悔しい…
予選の結果は19番手。決勝での巻き返しを誓った。
平良響選手:
明日、追い上げレースをしないといけないというところで雨絡み、そこはチャンスだと思っているので、しっかり考えていければ追い上げられると思っています
「今日という日は一生忘れない」
悪天候となった決勝レース。1台出走できず、平良選手は18番手からスタートした。
霧も広がり視界が悪く、相次いでクラッシュ。レースが中断する。
スタッフ:
(ガードレールを)直さなきゃいけないんだったら、ちょっと時間かかるな
平良選手:
(レース)始まるかな。無理な気がする
コースの修復に時間がかかるとして、51周中12周しか走ることができないままレースは終了。
ほとんど実力を発揮できず、デビュー戦は17位と不完全燃焼に終わった。
平良響選手:
自分の実力があまりアピールできなくて、ちょっと悔しいんですけど、きょうという日はたぶん一生忘れないですし、もっともっと上を目指して頑張っていきたいなと思います
沖縄県出身ドライバーとして、地元を背負う覚悟が平良選手を突き動かす。
平良響選手:
沖縄のモータースポーツを盛り上げたいというのが頭の片隅にはずっとあるので、そのためには、僕の活躍がまずは必要になってくるので、沖縄のモータースポーツを盛り上げるために、もっと結果を出していきたいなと思います
国内最高峰のレースでデビューを果たした平良選手。
沖縄モータースポーツ界の歴史に新たな1歩を刻み、さらなる高みを目指す。
追記:平良響選手は2024年7月20日・21日に富士スピードウェイで行われるスーパーフォーミュラ第4戦にTEAM IMPULからの出場も決定していて、前回のリベンジに燃えている。
(沖縄テレビ)
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