栁田大輝(20、東洋大3年)が陸上競技の日本選手権(6月27~30日:新潟)、男子100mの優勝候補筆頭に挙げられている。サニブラウン・アブデル・ハキーム(25、東レ)こそパリ五輪代表内定済みのため出場しないが、ともに9秒98を持つ桐生祥秀(28、日本生命)と小池祐貴(29、住友電工)らなど、注目選手が多い種目である。
栁田の自己記録は10秒02で、昨年と今年4月の2度マーク。出場資格記録(23年1月1日~24年6月5日の間に出した記録)ではエントリー選手中トップである。10秒00のパリ五輪参加標準記録を破って優勝すれば代表に内定する。日本選手権2週間前の日本学生個人選手権では、追い風3.5mで参考記録となったが(追い風2.0mまで公認)9秒97で走った。20歳と若いが記録の再現性が高い選手。日本選手権で栁田がやろうとしている走りとは?
日本選手権に現れてきた栁田の成長
栁田が100mをメイン種目にしたのは、高校2年時(20年)に出場したゴールデングランプリ(以下GGP)がきっかけだった。それ以前は中学3年、高校1年と2シーズン連続全国制覇していた走幅跳の方がレベルが高かった。20年はコロナ禍で大会の中止が続いていたシーズン。高校生に機会を与えるため、20年8月に行われたGGPにドリームレーンが設定され、7月に自己新を連発していた栁田に出場の打診が来た。桐生やケンブリッジ飛鳥(31、Nike)といった、16年リオ五輪4×100mリレー銀メダリストたちと走り、10秒36の5位と健闘。予選では10秒27の自己新をマークした。
「日本選手権の標準記録を破ることができたので、もう100mで行くしかない、と思いました。農大二高の斎藤嘉彦先生(400mハードル元日本記録保持者)が、『このタイムなら日本選手権の決勝に残れる』と言ってくださって、100mでやっていこうと決めました」
大学2年生の昨年までの日本選手権戦績に、栁田の成長が表れている。
高校2年(20年)7位・10秒43(-0.4)
高校3年(21年)7位・10秒41(+0.2)
大学1年(22年)3位・10秒19(+1.1)
大学2年(23年)2位・10秒13(-0.2)
栁田は自身の4回の日本選手権を次のように振り返る。
「高校生だった最初の2回は、決勝に残ることが最大目標でした。当時は予選と準決勝のダメージも大きくて、決勝では力が残っていませんでした。しかし大学1年では表彰台争いをしようと思いましたし、昨年は本当に優勝しよう、という考えに変わってきていました。4年連続出場することで日本選手権がどんな大会で、どのくらいのタイムで走れば決勝に残れるか、そのためにこのくらいの調子に持っていって、というのがわかるようになってきました」
21年は東京五輪4×100mリレーの補欠に選ばれ、22年は世界陸上オレゴンの4×100mリレーメンバー入り、そして昨年は世界陸上ブダペストの100mと4×100mリレー代表に選ばれている。
栁田が国際大会に強い理由は?
日本選手権の成績が上がることと並行して、上記のように国際大会代表のグレードも上がり続けた。昨年の世界陸上ブダペスト100mでは準決勝に進出している。海外の試合に強く、昨年のアジア選手権(7月タイ・バンコク)準決勝と、今年4月の米国バトンルージュと海外の試合で2度10秒02をマークしている。特に昨年のアジア選手権は、栁田本来の特徴であるストライドの大きさを生かした動きと、終盤のピッチの維持(ピッチが上昇していた可能性もある)を、最適の形で組み合わせることができた。
「体の状態が一番良かったこともありますし、昨シーズンの初めからレースで生じた課題への取り組みを積み重ねて、(良い動きの)パーツが全部揃ったレースでした」それをするための一番大きな要素が、スタートから前半でリードを奪い自分の走りに集中することだという。「それが1回できたら何回でもできる、という感じではいますよ」と、再現性にも自信を見せる。
翌月の世界陸上ブダペストでも、ある程度はやりたい動きができた。予選も準決勝も同じ組にスタートが世界一とも言われるクリスチャン・コールマン(28、米国)がいた。先頭には立てなかったが準決勝では10秒14と、初の個人種目出場としては合格点のタイムで走っている。
国際大会に強い理由を「海外では自分のことを第一に考えて行動しています」と、栁田は自己分析する。「外国人選手にはそういう人が多いので。仕事でそれをしたら変な目で見られるかもしれませんが、陸上競技ではある意味重要なことだと思います」。そうしたメンタルもあり、栁田は試合経験やトレーニングでの成長をそのまま国際大会で出すことができる。日本選手権で好成績を出せば、パリ五輪でもそれに見合った走りをするはずだ。
9秒97は数字よりも走りの内容を自己評価
昨年と同様に今季前半も、栁田は課題を残した試合が続いていた。個人種目初戦のバトンルージュは「追い風(1.7m)に助けられた」し、5月のGGP(1位・10秒21)とダイヤモンドリーグ・ユージーン大会(10秒26)は、スタートが上手くいかなかった。
その課題がクリアできたのが6月15日の日本学生個人選手権だった。追い風参考記録だが準決勝で9秒97をマークした。GGPでもたついた序盤がウソのように、スムーズに加速できていた。本人は「最後の20mは追い風に負けて崩れた」と言うが、客観的には危なげなく逃げ切った。
「やりたかったスタートができて一気に前に出られたので、これはイケると思いました。追い求めていた数字をひとつ出せたので、追い風参考とはいえ大きいです。風がない状態で同じ動きを再現できるように練習をやっていけばいい。しっかり疲れを抜いて、また練習をちょっと重ねて、日本選手権に向けて一段階、二段階、体の状態を上げていきたいです」
栁田にとっては記録よりも、「やりたい動きができれば9秒台は出る」ということが実感できたことが収穫だった。その動きをするためにユージーンから帰国後に、しばらく軽めにしかできていなかったウエイトトレーニングを、「翌日に筋肉痛になるくらいの強度」で行った。
スタート時の脚の位置も変更した。「スターティングブロックの前脚(左脚)の位置は変えずに、後ろ脚を2目盛(8~10cm程度)前に出すことで、一気に重心ごと前に持ってくことができました」
そして9秒97までのプロセスで、自身の力が明らかに次のステージに上がったと自覚した。「今は五輪標準記録の10秒00を切ってからが、世界との勝負だという気がしています。まずは9秒台で走って、それを安定させることを目標にやっていきます」
Road to Paris 2024(標準記録突破者と世界ランキング上位者を1国3人でカウントした世界陸連作成のリスト)で出場選手枠内の安全圏につけているため、日本選手権で2位以内に入れば代表入りは確実だ。9秒97を出した後にも、「日本選手権は2位以内に入ることが一番」と話している。
しかし意識的にその発言をしたのは間違いない。本当の目標は標準記録の10秒00を切って優勝し、五輪代表内定を決めることで間違いない。そして日本選手権で9秒台後半を出せば、パリ五輪の準決勝を9秒台前半で勝ち抜くイメージも持てるはずだ。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)
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