日本馬術連盟は10日に7月に行われるパリ五輪の総合馬術日本代表候補を発表した。21年東京五輪に続き、2度目の大舞台となる戸本一真(41)に現在、拠点とするイギリスからリモート取材した。
総合馬術競技 代表候補(3人馬)
◎大岩義明(47、nittoh)
馬:MGHグラフトンストリート グルーム:Emily Gibson
◎北島隆三(38、乗馬クラブクレイン)
馬:セカティンカJRA 予備馬:ビーマイデイジー グルーム:Matthew Glentworth
◎戸本一真(41、日本中央競馬会)
馬:ヴィンシーJRA グルーム:Jackie Potts
※50音順
▼リザーブ(1人馬)
田中利幸(39、乗馬クラブクレイン)
馬:ジェファーソンJRA グルーム:Rowan Laird
3つの種目を3日間で行う
総合馬術は3日間で「馬場馬術」「クロスカントリー」「障害飛越」という3つの種目で競う。1日目の馬場馬術は「馬のフィギュアスケート」と呼ばれる演技の正確性を問われる。2日目は自然の中の障害コースを走るクロスカントリー。3日目は「馬術競技の花形」障害飛越ではコース内の障害をミスなく走破することが求められる。異なる3種目を3日間で行うため、人馬共に技術だけでなく体力も要求される。また、馬術は男女区別のない競技である。21年東京五輪の総合馬術ではユリア・クライエウスキー(ドイツ)が女性ライダーで初の優勝を果たした。
JRAから世界へ!五輪の金メダルを目指す“人馬"
日本の競馬関係者の長きに渡る悲願といえば、フランスで行われる凱旋門賞の制覇。毎年のように夢を追い日本馬の世界への挑戦が行われている。今年5月には「スポーツで最も偉大な2分間」と呼ばれるアメリカのケンタッキーダービーで、フォーエバーヤングが惜しくも3着となった事も記憶に新しい。今、日本が世界で目覚ましい活躍をみせている。そして、「馬術」の世界にもJRA(日本中央競馬会)から五輪の金メダルを目指す“人馬"がいる。
東京五輪4位入賞で感じた手応え
21年東京五輪。戸本と愛馬ヴィンシーは89年ぶりのメダル獲得にあと一歩と迫る4位入賞を果たした。「終わってみればラッキーだった」と本人は語ったが、「良い準備が出来て、普段通りの準備ができればそれなりの結果は出る」と確かな手応えも感じていた。初めての五輪となった東京大会から3年。次の舞台となるパリでメダル獲得を狙う。
馬に乗り始めたのは“オグリキャップ"ゆかりの地
岐阜県出身の戸本。2つ年上の姉と一緒に「外で出来る運動を」と母が始めさせたのが乗馬だった。アイドルホースとして日本中に一大ブームを巻き起こした“オグリキャップ"ゆかりの地である笠松競馬場。その一角にあった小さな乗馬クラブで戸本は馬に乗り始めた。そこから乗馬クラブを変えながら競技を続けていたが、中学ではサッカーに熱中していた。当時はJリーグブームの真っただ中。高校進学時に馬術とサッカーを選択することになったが、「馬術で国体を目指したい」という想いから馬術一本に切り替えた。
高校で馬術に専念し国体の団体で優勝
高校での大会では他の選手のレベルの高さに圧倒された事もあった。戸本は「サッカーをやっていた事を少し後悔していた時期もありましたけど、今となってはその時期も必要だったと思える。サッカーに区切りをつけた事でより馬術にのめりこめた」と当時を振り返る。授業が終わると毎日乗馬クラブに足を運んで腕を磨き、国民体育大会の団体で優勝を果たすまでに成長を果たした。
名門・明治大学での4年間は馬との生活
「小さいころから漠然と五輪選手になる夢はあった」という戸本だが、大学進学時はまだそれは夢でしかなかった。「日本一を目指すのであれば、日本一の大学に行ってそこで揉まれるしかない。そこで頑張るしかない」と馬術の名門・明治大学への進学を決めた。大学では馬たちが住んでいる厩舎の上に馬術部員が共同生活する。朝から晩まで馬中心の生活が続いた。その中で目標としていたのが「インカレで大学日本一」。ただ、その目標に向かって腕を磨き続けた。強豪と言われる馬術部ならではの厳しさがあった。
戸本一真:
大学日本一の試合で優勝しなければ何の意味もない。 その試合にフォーカスする。そのために1年間のスケジュールが立っていた。この4年間で精神的な面は培われた。
1つの目標のためには、その前にある勝利や敗北に一喜一憂しない事。その厳しい環境の中で優勝も経験。4年生ではキャプテンを務めた。
JRAでは競馬学校の教官に あのGⅠジョッキーも教え子
06年にJRAに進んだが、不運にも07年に馬インフルエンザが流行。競技シーズンの中盤から、試合がまったく無くなってしまった。時を同じくして、08年には人事異動で滋賀の栗東トレーニングセンターへの配属となる。わずかな時間を縫って馬術競技は続けていた。その2年後には、騎手や厩務員を目指す人材を育成する競馬学校の教官に配属された。競馬学校で接する機会があったのは29期生や30期生。今年の「天皇賞(春)」をテーオーロイヤルで人馬共に初GⅠ制覇を飾った菱田裕二(31)も教え子の一人だ。
戸本:
騎手課程を教えたのは、数か月あったのかなというくらいの期間。生徒たちもわずかな時間だったのでひょっとしたら僕の名前を憶えてないんじゃないかなというぐらいの時間ですね。
拠点をイギリスへ トップライダーから学んだ「SO WHAT?」
競馬学校での教官を経て、馬術競技に復帰。その後の13年に東京五輪の開催が決定した。当初は障害馬術での出場を目指していたが、JRAの勧めもあり総合馬術へ本格的に転向した。
戸本:
東京でやる五輪に自分が選手として出られることは一生無い。自国開催の五輪に出られるかもしれないチャンスを逃せば一生無いかもしれない。大学生の時に総合馬術をやっていましたし、完全に一から始めます、ではなかった。
転向の決断は16年だったという。当初20年の開催が予定されていた東京五輪までは4年をすでに切っていた。それでも母国開催の舞台に立つために、戸本は海外に拠点を移す。
「日本では感じたことのないレベル」を痛感
馬術競技が盛んなイギリスで武者修行が始まった。馬術の競技会には「ファイブスター」と呼ばれる最高クラスから、「ワンスター」と呼ばれる下位レベルに分かれている。イギリスで当初出ていた大会は「ワンスター」よりも下の地方大会だった。戸本は「クロスカントリーは日本では感じたことのないレベルだった」とレベルの高さを痛感したが、練習で経験を積み重ねた。
大目標のために一喜一憂しない「それがどうした?」の心構え
イギリスでの武者修行中、戸本の考えを一変させる出会いがあった。イギリス人のトップライダーに学びたい、その想いからトレーニングを打診したのがウィリアム・フォックス-ピット氏。国際大会で数多くの優勝経験を持つイギリス馬術界のトップライダーだ。
戸本:
『SO WHAT?(それがどうした?)』がという言葉を彼がよく使うんですけど・・・。 小さな大会で僕が落馬してものすごい落ち込んでいた時に『落ちる時くらいあるよ』って言われて。簡単な3番目の障害でミスをしてしまった時に『人生の中で何回、障害を跳んだんだ。100個も跳んできたときに103個目の障害で落馬することくらいあるよ』と言われたんですよ。そんな考え方をしたこともなかったです。
トップライダーから伝えられたのは、失敗は関係ない。すべては大目標への準備だという事。
戸本:
『お前の目標は東京五輪だろう。それ以外の試合は東京五輪のための準備でしかない。どんな結果が出ようとも、失敗したって気にすることじゃない』と言われて、彼の中では大きな目標に到達することが全てだという事がはっきりしていて・・・
失敗しても「まだまだ東京五輪まで時間がるだろう」と言われた時は、鳥肌が立った感覚だった。その言葉に救われることが多くあった。大目標のためにひとつの結果に一喜一憂しない「それがどうした?」の心構え。メンタル面での成長が、戸本の成績を押し上げていった。本格的に総合馬術をはじめて2年余り、18年の世界選手権では団体で4位入賞。日本馬術界の戦後最高成績に、五輪のメダルへの手応えと感じた。
東京五輪では「自分のペースを」
新型コロナウイルスの影響もあり、東京五輪は21年の開催となった。世界のトップ選手が東京に集まった。周りの練習も良く見えた。『周りに振り回されちゃダメだと、自分は自分のリズムを貫け』とフォックス-ピット氏からの助言もあった。
戸本:
周りの選手がフルーツとサラダとか鶏むね肉みたいな食生活をしている。栄養バランスよく食べなきゃと感化されていた。
ある時、他の種目の日本選手がミスをするシーンを目の当たりにする。普段は失敗する事のないような選手が失敗。その時に戸本は、はっと気づかされた。
戸本:
普段通りに出来ない事がオリンピックの難しさなんだと痛感した。自分を取り戻さなきゃと、朝はマフィンと砂糖がいっぱい入ったコーヒーを飲むようになった(笑)
普段通り、その騎乗で愛馬ヴィンシーとともに総合馬術では日本人初の4位入賞。最後の障害馬術、順位を決めるジャンプオフでは最後の一人まではメダル圏内だった。
パリで目指すは団体のメダル
戸本:
馬術が盛んではない日本においては、全日本チャンピオンと言われても誰も知らない。五輪で入賞したって言ったらニュースとしても取り扱ってもらえる。全アスリートにとって五輪っていうのは夢であることは間違いない。
19年、競馬のGⅠジャパンカップ。出走する馬たちを誘導する“誘導馬"に乗っていた戸本。そこで五輪出場を目指している選手として東京競馬場の場内アナウンスで紹介された。
戸本:
皆さん、競馬を見に来ているわけですから、誰だよってなるに決まっているし…と思っていたら、何万人もいるスタンドから拍手を頂いて、『がんばれ』って声を掛けて頂いて、本当に鳥肌が立ちました。
声援を力に変えた東京五輪。パリでは団体でのメダルを目指す。団体は出場3選手の総合成績で決まる。個人の成績が良ければチームの成績を上げる事が出来る。
戸本:
個人でもメダルを狙いたいんですけど、個人で成績が良いという事はチームの成績に貢献出来る。よりメダルに近づいている証拠。あくまでチームのために、個人でも上に行きたい。
“2度目の五輪に向け、自分らしく。"と戸本は大舞台へフォーカスしている。
戸本一真 (ともと・かずま)
1983年6月5日生 岐阜県出身 明治大学~JRA(日本中央競馬会)所属
東京五輪では総合馬術で個人4位入賞
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。