2024年11月23日,福岡・九州産業大学にてコンピュータエンタテインメント開発者向けのカンファレンス「CEDEC+KYUSHU 2024」が開催された。本稿では,アトラス コンシューマソフトウェア局 クリエイティブ部 第二プロダクション(「ペルソナ」チーム) プロダクションマネージャー&プロデューサー&ディレクター 和田和久氏による基調講演「ペルソナのこれまでとこれからの話」をレポートする。本セッションのモデレーターを務めたのは,サイバーコネクトツー 代表取締役 松山 洋氏である。


セッションのイントロでは,アトラスの会社紹介および「ペルソナ」シリーズの紹介が行われた


1章 ATLUSという会社の激動の歴史


 アトラスは1986年に設立され,翌1987年に同社が開発したファミコン用の「デジタル・デビル物語 女神転生」が,ナムコ(当時)よりリリース。中学生だった和田氏は,非常にハマってプレイしていたという。

 次いで1989年には,ゲームボーイ用パズルゲーム「パズルボーイ」をアトラスのセルフパブリッシングでリリースする。なお2024年はアトラスのブランド35周年だが,和田氏によるとこの「パズルボーイ」から起算しているとのこと。

 1992年にはスーパーファミコン用の「真・女神転生」をリリース。当時まだ学生だった和田氏は,パッケージのカッコよさと「昔,『女神転生』やってたな」という気持ちで購入したそうだが,いざプレイし始めるとドップリハマってしまい,同時にアトラスというメーカーを意識し始めたという。

 1995年の“プリクラ”こと「プリント倶楽部」の稼働開始を経て,1996年にはPlayStation用の「女神異聞録ペルソナ」をリリース。そして1998年に,和田氏がアトラスに中途入社した。和田氏は大学の新卒時にゲーム会社に就職を希望していたのだが,1990年代後半は競争が激しく,望むところに入社できなかったため,異業種で働きつつゲーム業界への就職活動を続けていたそうだ。ちなみに和田氏の最初の仕事は,1999年リリースのドリームキャスト用ソフト「魔剣X」で,イベントに関わるアセットをすべて作っていたとのこと。3D専門として入社した和田氏は,入社してからPhotoshopなどのツールの使い方を学んだと話していた。

 「魔剣X」のあと,和田氏は2000年リリースのPlayStation用ソフト「ペルソナ2 罰」の開発に携わる。この頃からアトラスの経営が怪しくなっていき,角川書店と資本提携を結ぶこととなる。

 続いて和田氏は,2003年リリースのPS2用ソフト「真・女神転生III-NOCTURNE」の開発に携わる。担当は,やはりイベント関連のアセット制作で,モーションや背景に加え,主人公を含むキャラクターモデルやオープニングムービー,全滅時のムービーなど多岐におよんだ。もともと「真・女神転生」のファンということでアトラスに入社しただけに,必死で頑張りつつも楽しく働いていたと,和田氏は振り返っていた。

 その一方でアトラスは経営的な不振が続き,2003年にタカラ(当時)の連結子会社となっている。和田氏は2004年リリースのPS2用ソフト「DIGITAL DEVIL SAGA アバタール・チューナー」の開発に携わったが,残念ながら売り上げが芳しくなかったそうだ。また,2005年には開発部が東京・東新宿に移転。この頃から希望退職者の募集が始まり人材が次々に辞めていったことから,社内のムードが極めて悪くなっていたとのこと。

 そんな中,和田氏自身は2006年リリースのPS2用ソフト「ペルソナ3」の開発に手応えを感じており,希望を持って働いていた。以降,2007年にPS2用の「ペルソナ3 フェス」,2008年にPS2用の「ペルソナ4」,2009年にPSP用の「ペルソナ3 ポータブル」を連続でリリースした。
 「ペルソナ」シリーズが好調だったこの期間,2006年にアトラスがインデックス・ホールディングスの連結子会社となり,2007年には開発部も飯田橋に移転していた。また2009年には,福岡・博多にて「ペルソナ」チームとサイバーコネクトツーの技術交流が行われたというエピソードも明かされた。

 2010年にはアトラスがインデックスによる吸収合併で,会社としては消滅したが,ブランドとして存続することとなる。和田氏によるといつかアトラスの復活を果たすべく,2010年から2012年にかけて「キャサリン」,PS Vita用ソフト「ペルソナ4 ザ・ゴールデン」「ペルソナ4 ジ・アルティメット イン マヨナカアリーナ」の開発に粛々と取り組んでいたそうだ。その努力が実ってアトラスの業績は上がっていった。


 しかしアトラスが好調な一方で,インデックスは2012年に債務超過に陥り,2013年には民事再生手続を申請することに。松山氏によると,当時の国内ゲーム業界は「タイトル自体は好調なのに,会社がダメになるなんてことはあるのか」といった疑問と不安が蔓延していたという。このことについて,当事者の和田氏との会食の席で深い話をした,というエピソードも披露された。

 そんな状況の中,2014年にアトラスはセガの子会社として復活。以降は,セガサミーグループの中で,基本的には伸び伸びとゲーム開発ができていると和田氏は語る。


 なぜアトラスが復活できたのかについて,和田氏は「苦境の中でも,アトラスのブランド価値を高めていくことができたから」──すなわち,会社の経営状態が悪くとも開発部は,ユーザーと向き合って粛々とゲームを作り続けていたからだとする。その中で大きな転換点となったのは「ペルソナ3」の開発で,その理由は「タイトルで重視する価値観をアップデートできた」ことにあるという。


 実際,開発が好調だったインデックス時代にはアトラスから退職する人はほとんどいなかったとのこと。

また,和田氏は,「ペルソナ3」以前のアトラスの価値観が「とにかく尖れ」というもので,インパクトやサブカル,ロックといったものを目指していたと説明した。
 売れるかどうかを考えることはダサいという意見もあり,王道とは言えない,邪道に近い考え方だったという。ただ和田氏自身は,そういった姿勢も好きだったと話す。

 一方「ペルソナ3」以降の価値観は「ユニーク&ユニバーサル」,日本語にすると「独創と共感」で,独創性をベースにしつつも,ユーザーが共感・理解して楽しんでもらえるものをしっかり考えて作ろうというものに変わった。和田氏は,「マーケットインの思考が付加されたイメージ」と表現していた。


 ここで言う「ユニーク&ユニバーサル」を,和田氏自身の言葉に言い換えると「猛毒を,甘い衣で包んで,たくさんのお客さんに食べていただく」になるとのこと。すなわち,強すぎる刺激や強烈な体験といった猛毒の部分の提供を貫きつつ,売れるにはどうするかを考えてオシャレ感やカッコよさ,コミカルさ,あるいはキャラクター性といった魅力的なもので包んで食べやすくして,多くの人に食べてもらうというわけである。


 また和田氏は「ユニーク&ユニバーサル」であるために,「間違いなく面白いゲームであること」が大前提であり,そのうえで人々の目に留まり,手に取ってもらえるようなアイデアをゲームの設計段階から盛り込んできたと話していた。



2章 「PERSONA」シリーズの歩み


 「ペルソナ」シリーズは,1作目の「女神異聞録ペルソナ」が1996年にリリースされて以来,2024年で28年の歴史を誇っており,累計販売本数は2350万本におよんでいる。とくに2020年から2024年の直近5年間で売上本数が倍増しているが,その要因の1つはコロナ禍であるという。


 直近5年間で売上が増加した理由のもう1つが,2020年に「ペルソナ5 ザ・ロイヤル」 の海外版のリリース,およびPC版「ペルソナ4 ザ・ゴールデン」をSteamで配信開始したことにより,海外の売上が大きく伸びたことにあると和田氏は分析している。さらに2022年から2023年にかけて,各タイトルのリマスター版をPC含む現行プラットフォームすべてで世界同時リリースしたことも功を奏した。
 そして2024年2月には,アトラスの転換点となった重要タイトル「ペルソナ3」のフルリメイク版である「ペルソナ3 リロード」を主要な現行プラットフォームで世界同時リリース。和田氏は,ようやくこの規模のタイトルを世界同時リリースできるようになったと話していた。


 また「ペルソナ3」以降は,ゲームだけでなくアニメや音楽ライブ,2.5次元ステージなどメディア戦略にも積極的に取り組んで来たことが紹介された。
 発端となったのは,「ペルソナ3」を原案とするアニメ「PERSONA -trinity soul-」(ペルソナ 〜トリニティ・ソウル〜)で,「ペルソナ」シリーズ初のライブも同アニメと「ペルソナ3」との合同のものであり,これがなかったらその後の流れもどうなっていたか分からないとのこと。

 そのほか,ライブでは「ペルソナ」シリーズのキャラクターを演じるダンスアクター「PERSONA DANCERS」を起用して目玉を作っていたり,あるいは20周年,25周年のタイミングでイベントを開催したりと,エンターテイメントの質を上げていることが紹介された。


 「ペルソナ」シリーズの成長ポイントも,あらためて以下のスライドで示された。上記で説明されなかった部分を紹介していくと,まず「動画配信ガイドラインの変更」が挙げられる。そもそもアトラスは購入いただいたユーザーを大事にしたいため,動画などでのネタバレに対しては規制を敷いていたのだが,時世の変化もあり,制限を大幅に緩和したことにより,認知拡大につながったそうだ。


 また「ペルソナ」シリーズのプロデュース方針は,「新旧ナンバリングの価値を最大化し,『ペルソナ』IPのユーザーエンゲージメント,エンタメ価値を最大化する」ことにあるという。イメージとしては, 「振り返りながら,全シリーズのファンすべてでずっと歩んでいく」とのことで,和田氏は「新作もしっかり作りつつ,過去作も大事にして,そのポテンシャルを最大化していく」と語った。


 並行して「ブランド永続化のイメージ確立」も行う。すなわち,今後も長く続いていくコンテンツだと示すことにより,ファンが安心してIPにコミットできるようにするというわけだ。


 さらなる成長を遂げるには,「『ペルソナ』IPの認知拡大」によるメジャー化も必要だ。具体的には,広範囲に向けた施策やライセンスコラボレーション,ストリーマー配信制限の撤廃などが挙げられた。


 和田氏がIPをプロデュースするうえで重視していることも紹介された。「開発展開のストーリーを描く」の項目では,なぜこれをこの順番でやるのか,目的と展開をしっかり描くことでエネルギーを集約させることが説明された。

 「一貫性と柔軟性」の項目では,激しい変化が発生しがちなゲームの開発環境の中で,まず開発展開のストーリーの一貫性がもっとも重要ではあるが,その中でタイミングと優先度を見極めた柔軟な判断が必要になることが示された。とくに激しい変化の8〜9割はトラブルであり,それを柔軟性で乗り切ることが求められるという。


 「IP品質の保持と拡大のバランス」の項目では,拡大すると質が落ちやすくなるので,質を落とさないよう意識することが必要であるとの説明がなされた。
 「力学で状況をイメージすること」の項目では,「コンテンツがどの方向にどのくらいのエネルギーで転がっているのか」というイメージを感覚的に掴むことの重要性が語られた。たとえば動画配信の制限緩和は効果測定がやりづらいが,感覚的にイメージを掴むことで早めの判断が可能になるとのこと。また感覚的にイメージを掴むうえでは,客観視の精度を上げていくことの必要性も示された。



3章 これからの「PERSONA」開発


 これまでの内容にて,「ペルソナ」シリーズの価値観の分岐点となったのは「ペルソナ3」であり,開発体制・環境の分岐点となったのは「ペルソナ5」以降であることが示されたわけだが,その裏側には「ゲーム開発の大規模化」を筆頭に,以下のスライドのような変化があったことが示された。


 それを踏まえたうえで,「持続可能な『ペルソナ』開発のために」と題した2つの項目が示された。1つは「絶対に守らなければならないこと」で,ユーザーの期待に応えるユニーク&ユニバーサルなゲームであること,すなわち大規模になっても末端まで血の通ったエンタメであることだ。

 「これからの『ペルソナ』開発に必要なこと」としては,さらに3つの項目が挙げられた。1つめは「開発の効率化」で,和田氏は「ペルソナ3 リロード」からそうしたことを本格的に考え,開発環境の改善に取り組み始めたと語った。


 2つめは「挑戦する意志をなくさないこと」で,ホワイトでクリーンな環境でスケジュールどおり作っていくとなると,どうしても保守的になりがちなので,常に攻めの姿勢で挑戦していくことが重要だという。

 3つめは「トップダウンからボトムアップ組織への移行」で,「ペルソナ」チームでも試行錯誤している最中とのこと。「すべてのスタッフが自分達の作るべきゲームのビジョンがしっかり見えていること,そして自律的かつ組織的にクリエイティブできるチーム」というのが理想だ。
  すでに「ペルソナ」チームは,規模的にトップダウンの組織だとトップがボトルネックになってしまう状態だという。ボトムアップの組織にすること自体は難しくないが,それがきちんと機能し,かつその中で品質と規律を両立できるかが課題になるそうだ。



終章 ゲーム業界に思うこと


 セッションの終盤では,和田氏が「ゲーム業界に思うこと」が示された。「ゲーム制作は面白い」の項目では,和田氏自身がゲーム開発をあたかもゲームをプレイしているかのように捉えていること,計画どおりにいかないなど変化も当たり前だからそれも含めて楽しむこと,そうした中では開発中の意思疎通をはかったり,アウトプットに説得力を持たせたりするためにコミュニケーション力を磨く必要があることなどが語られた。


 「ゲームはもっと評価されるべき」の項目では,ゲームは小説や映画,アニメ,漫画といったほかのコンテンツと異なり,その時代のプラットフォームに依存するため,時代が変われば体験できなくなる可能性が高いことが示された。
 そのためリメイク・リマスターはゲーム文化の保存のために必須であると和田氏は語る。「優れたゲームは消えず,残り続ける」というエンターテイメントであるべきだとし,それを実現するためにCEDECのような活動を通じてゲームの文化的な価値を高め,業界を活性化させていきたいとまとめていた。


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