海保機と衝突した翌日、焼け焦げた姿を表した日本航空のエアバスA360機(1月3日、羽田空港) REUTERS/Issei Kato

<1月2日に羽田空港で起きた航空機衝突事故で、日航機の乗員乗客が全員脱出するという奇跡が起きた。奇跡を可能にしたのは、39年前のジャンボ機墜落の悲劇を心に刻み続けた日本航空の非凡な取り組みだ>

2024年1月2日、日本航空(JAL)516便は羽田空港に着陸中、滑走路で海上保安庁の航空機と衝突し、両機は即座に炎上した。事故調査は現在も進行中だが、エアバスA350型機の乗客367名と乗員12名全員が無事に避難できたことは、時間的余裕がなく、多くの出口が使用できなかったことを考えれば、奇跡だと多くの人が考えている。

【動画】羽田空港衝突事故の緊迫映像から「日航の奇跡」を振り返る

結局のところ、着陸時のスピードで衝突すれば、どんな航空機もその衝撃に耐えることは難しい。今回の日航機とは対照的に、2019年に起きたアエロフロート・ロシア航空の事故では、着陸時に飛行機が炎上し、乗客73人のうち41人が死亡した。1980年には、サウジアラビアの航空機でパイロットが避難誘導に手間取ったため、301人が煙を吸い込んで命を失った。

 

日航機のケースは大いなる偉業だったが、これを単なる奇跡で片付けるとしたら、日本航空が長年にわたって優先的に築き上げてきた安全文化と、パイロットおよび客室乗務員の迅速かつ果断な行動を著しく過小評価している。

今回の奇跡は、過去の失敗を認め、従業員に永続的で強い責任感と義務感を植え付けた日本航空の取り組みの成果だった。そして、それは将来の大事故の発生を防ぐための安全文化への投資と組織としての深い学びに投資した効果を、リスクの高い多くの業界に対して示す機会となった。

日本航空が守った深い学び

残念なことに、鉱業、石油・ガス、化学、製造、水道、電気といった分野の多くの産業は、深刻な、時には壊滅的な事故を免れることはできない。だがほとんどの場合、事故から学んだことを記憶することに意図的に重点が置かれているわけではない。さらに、組織が事故を軽視し、深い感情を伴う学びの可能性を制限しているケースもある。

1985年、日本航空の航空機は群馬県の高天原山に属する尾根に墜落した。飛行開始12分後に深刻な構造上の故障と油圧の喪失が発生し、乗員乗客524人のうち520人の命が奪われた。この墜落事故は、航空史上最悪の単独航空機事故となった。

調査の結果、日本航空に責任はなく、ボーイング社の技術者による修理の欠陥が原因であることが判明したが、日本航空は2度とこのような悲劇を起こさないことを誓った。組織として強い当事者意識と責任感を抱き、集団で学ぶ機会とした。

事故の記憶がないまま入社する社員が多くなってきたことから、日本航空は、「安全運航の重要性を再確認し、この事故から学んだ教訓を胸に刻むため」に、2006年に安全啓発センターを開設した。展示室には、墜落機のコックピットのボイスレコーダー、乗客の所持品、破損し、焼け焦げた座席などの残骸、墜落直前に乗客が描いた大切な人へのメモなどが展示されている。

おそらく最も感動的なのは、図書室に置かれた日本航空の全社員が記入した安全誓約のメッセージカードだろう。社員たちは、このセンターで体験したことは強烈で、安全対策の不備がもたらす結果を深く示していると語っている。開設直後の3年間で7万4000人がセンターを訪れ、その40%は外部からの訪問者だった。当センターの資料は、全従業員の新入社員研修でも使われている。

日本航空の社員は全員、「安全憲章」を印刷したカードも携帯している。これは、安全のプロとしての責任の背後にある心と使命を視覚的に思い起こさせる効果がある。日本航空は、この事故から学んだ教訓を組織の根幹に組み込み、失われた人命の記憶と安全の重要性の大きさを常に前面に押し出している。同社はこうした工夫を、標準的な業務手順を守り、すべてを正しく行うことを中心とした非常に強固な企業文化を構築するための手段として活用している。

 

この組織的な取り組みの証として、日本航空の機内で流される安全ビデオは、他社のビデオよりもはるかに踏み込んだ内容となっている。緊急時には手荷物をすべて置いていくことの重要性を強調し、ルールに従わない場合の深刻な影響を説明している。

これとは対照的に、ほとんどの航空会社はこの点をかなり軽く取り上げている。最近の緊急避難事例でも多くの乗客が機内持ち込み手荷物を緊急脱出スライドに降ろし、避難の妨げになったことが確認されている。今年初めの羽田の事故の際、乗員乗客全員が無事に脱出できたのも、この点が重要な要素になったのかもしれない。

深い学びを業界全体に

リスクの高い業界における安全の重要性を考えると、今回の羽田の事故は、たとえ事故がなくても、安全文化に継続的に投資し、組織的な学びを根付かせることの重要性を強く思い起こさせる。結局のところ、過去の出来事から学ぶことが、将来のエラー発生を防ぐ最善の方法なのだ。

だが日本航空のアプローチに見られるように、深く、感情に踏み込む学習は、多くの組織にとって容易でも快適でもない。間違いを認め、失敗に立ち向かい、責任のリスクに身をさらす必要があるかもしれない。

また、これまで当然とされてきた既存の前提、規範、ルーチンに疑問を投げかける必要もある。だが、今回の羽田の事故を見ればわかるように、このような課題に取り組むことの利点は、学ぶ内容を制限することによるコストを上回ることが多い。

残念ながら、事故から学ぶというときに、それが表面的なものに留まることは少なくない。大惨事が発生した当時に組織にいた人々は、将来の発生を防ぐために何をすべきかを学んだかもしれないが、そのような組織的知識は、10年以上経つと失われてしまうことが多い。

私は、何年も前に重大な事故が起きた組織で話をしたときに、そこから得た具体的な教訓を覚えている従業員がほとんどいなかったという経験を何度かしている。それどころか、事件からほんの数年後でさえ、将来の事件発生を防止する方法をほとんどの人が理解していない組織も多い。

40年近く前の事故の記憶を忘れないことによって「羽田の奇跡」を可能にしたと思われる日本航空のように、歴史的な出来事を、世代を超えて記憶する企業はあまりにも少ない。組織としての学びを可能にするために、あなたは何をしているだろうか。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。