梅田 蔦屋書店(2020年12月)/撮影:朴敦史

<文章は「誰でも」「簡単に」書けるわけがない、と気づいているあなたへ。しかし、書ければ「人生が豊かになる」とエールを送ってくれる本を紹介>

「誰でも書ける」「すぐに書ける」「簡単に書ける」と謳う文章セミナーや文章術の実用書市場が飽和状態だ。仕事で文章を書く人から、文章で自己表現したい人まで、「うまい文章」を書けるようになりたい人は多く、ライターになりたい人も増えている。

しかし、ありがちなセミナーや実用書の惹句のように文章は「誰でも」「すぐに」「簡単に」書けるものなのか。文章で真剣に何かを伝えようとしたことがある人は、すぐに気づくだろう。文章を書くことが簡単なわけがない。

「書く」人たちの口コミで広がりロングセラーに


自分のなかに、どうしても解決できない、しかし解決しないと前に進めない問いがある。その問いに答えようと試みるのが、究極的には〈書く〉ということの本質だ。【第24発 書く、とは(302ページ)】

朝日新聞記者で作家の近藤康太郎氏による文章読本『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』(CCCメディアハウス)の一節だ。

2020年末の発売以降、プロのライターや記者、書く力を付けたい人たちの反響を呼び、出版社の経営者が編集者に勧めた例も複数報告されている。「いい文章を書くための文章技巧25発」で構成され、書き出しの三行、起承転結、語彙、一人称、文体、リズム、禁則事項他、1冊で必要十分なノウハウを網羅する。

レッドオーシャンの文章術市場において、本書がロングセラーとして定着した理由は、数多の本と決定的に違う2つの特徴にある。

文章に対する厳しいが真摯な姿勢に共感

1つは書くことに対して決して甘いことを言わない、著者のストイックな姿勢だ。厳しいが、書くことに対してどこまでも真摯であろうとする熱意が読者に伝播し、読み終わる頃には不思議と何か書いてみたくなるのである。

著者によると、〈書く〉とは〈考える〉ことだ。〈考える〉ためには、毎日を〈善く生きる〉必要がある。人生を精いっぱい生き切ることで、経験する事象や己について考え抜き、自分の知らなかった自分を発見する。


歩くこと。見ること。なんでもいい。小さなことでいい。なにか書いてみる。生きてみることだ。【おわりに 一九八七年秋――ハート・オブ・ダークネス(314ページ)】

そして、生き切るためには、読み、学び、筆を磨き、鍛錬しなくてはならない(編集部注:方法は本に詳述されている)。では、考え抜くとは具体的に、どういうことだろう。本書より、ごく初歩的な文章技術を例に挙げる。

常套句の弊害:他人の頭に自分の思考を委ねない

『三行で撃つ』が取り上げる文章の禁じ手に「常套句」がある。常套句を使うことが、考える行為の妨げになるからだ。常套句とは、クリシェ、決まり文句、「抜けるような青い空」「燃えるような紅葉」といった表現だ。

常套句を使うとなぜいけないのか。


あたりまえですが、文章が常套的になるからです。ありきたりな表現になるからです。しかし、それよりもよほど罪深いのは、常套句はものの見方を常套的にさせる。世界の切り取り方を、他人の頭に頼るようにすることなんです。【第4発 常套句・「としたもんだ表現」(53ページ)】

常套的な表現「抜けるように青い空」と書いた時点で、書き手はまともに空を観察していない、と著者は指摘する。

他者の目で空を見て「こういうのを抜けるような青空と表現するんだろうな」と感じている。他者の頭に自分を預けている。自分で考えることを放棄してしまっている。そうではなく、〈空を見て、なにかを感じたという、いつもとは違うその気分、特別な心持ちを、自分の五感で観察し、自分だけの言葉で描き出そうとする〉よう著者は説く。そうすることが、〈文章を書くことの最初であり、最後です〉と。


「言葉にできない美しさ」と、よく人はいいますが、それは言葉にできないのではない。考えていない。もっといえば、当の美しさを、ほんとうには感じてさえいないからなんです。【第4発 常套句・「としたもんだ表現」(56ページ)】

ビジネス実用書にとどまらない読み物の魅力

このように、著者は25の文章技術(ノウハウ)を紹介していくのだが、その技術を良し、あるいは悪しとする理由、思考の道筋に発見がある。また、文章読本である以上、文章がつまらなければ説得力に欠けるが、『三行で撃つ』は「書く」をめぐるエッセイとして読むことができるし、ノウハウを伝えるだけのビジネス実用書にはとどまらない、思想書の趣がある。ロジカル(論理)とリリカル(抒情)の両立、これが他の文章術の実用書にはない本書の2つめの魅力となっている。

実際、読者のほうも、25の技術を理解しながら読み進むほどに、言葉、文章、書くこと、表現すること、ひいては生きるということの意味を考え抜かざるを得なくなっていく。知らぬ間に、感じる力、思考する力が呼び覚まされていく。

思想が深まる:私たちはなぜ書くのか?

たとえば、なぜ私たちは文章を書こうとするのだろう? 『三行で撃つ』では1冊を通して、その問いが貫かれるが、解をひとつだけ紹介しよう。


文章を書くとは、表現者になることだ。表現者とは、畢竟、おもしろい人のことだ。おもしろいことを書く人がライターだ。【第22発 文章、とは(277ページ)】

著者は徒然草の「雪のおもしろう降りたりし朝(あした)」という一節を引き、〈目の前が開け、周囲が明るくなることを古来、日本人は「おもしろい」と表現してきた〉と解説する。そして、言う。


鎌倉時代の粗末な庵では、早朝の寒気など、震え上がるだけのものだったに違いない。雪の朝なんてだれも「おもしろい」と思っていやしない。吉田兼好が〈発見〉した、おもしろさなのだ。

おもしろさを見つけられる人は強い。それは、世界がおもしろくないからだ。

だから、人類は発見する必要があった。歌や、踊りや、ものがたりが、〈表現〉が、この世に絶えたことは、人類創世以来、一度もない。【第22発 文章、とは(280ページ)】

書くことで、自分に〈なる〉

誰もが生きていると、つらいことや理不尽を繰り返し経験する。しかし、それを言語化するとき、ひとは一瞬つらさを忘れることができる。


言葉で像を結ぼうとするその頭で、もはや「嘆く」ことはできない。「悲しい」という言葉では表せない悲しさを、なにか別の言葉に結晶させようとしているそのときに、人は、同時に悲しめない。悲しさを、いったんわきに置かなければ、言葉は現前しない。【第24発 書く、とは(297ページ)】

『三行で撃つ』を読めば、ひとは「書くこと」で、自分を救うことができると分かってくる。


世界は、よくも悪くもなりはしない。それでいい。ただ、世界の、人間の、真実を見つめることはできる。(略)

自分の書いている文章が、当の自分を追い越す。文章が、自分の思想、感情、判断を超えていく。またそうでなければ、文章など書く必要がどこにあろう。【第23発 言葉、とは(290ページ)】

過去の自分を乗り越える。読み終える頃には、自分も何か書いてみたくなっているし、書くことの力に希望を見出せるはずだ。書きたくなる。自分に〈なる〉ために。

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近藤康太郎(こんどう・こうたろう)

作家/評論家/百姓/猟師。1963年、東京・渋谷生まれ。1987年、朝日新聞社入社。川崎支局、学芸部、AERA編集部、ニューヨーク支局を経て、九州へ。新聞紙面では、コラム「多事奏論」、地方での米作りや狩猟体験を通じて資本主義や現代社会までを考察する連載「アロハで猟師してみました」を担当する。

著書に『ワーク・イズ・ライフ 宇宙一チャラい仕事論』、『三行で撃つ〈善く、生きる〉ための文章塾』、『百冊で耕す〈自由に、なる〉ための読書術』(CCCメディアハウス)、『アロハで田植え、はじめました』、『アロハで猟師、はじめました』(河出書房新社)、『朝日新聞記者が書けなかったアメリカの大汚点』、『朝日新聞記者が書いたアメリカ人「アホ・マヌケ」論』、『アメリカが知らないアメリカ 世界帝国を動かす深奥部の力』(講談社)、『リアルロック 日本語ROCK小事典』(三一書房)、『成長のない社会で、わたしたちはいかに生きていくべきなのか』(水野和夫氏との共著、徳間書店)他がある。


『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』
 近藤康太郎[著]
 CCCメディアハウス[刊]

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