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<人の2倍の原稿を書きながらでも、年間300本のライブに行くことは可能。超多忙でも怠けず遊ぶ。新聞記者の時間管理術>
朝日新聞の名物記者として知られる近藤康太郎氏のもとには、〈仕事〉の方法を学ぼうと若い記者が集まる。その場では〈仕事〉のみならず〈勉強〉と〈遊び〉の大切さが徹底指導される。
組織、ひいては社会において、いい〈仕事〉をするには、〈仕事〉だけしていては必ず枯れる。〈仕事〉〈勉強〉〈遊び〉の三要素を磨く理由と、三要素がご機嫌な人生に結びついていくプロセス書いた『ワーク・イズ・ライフ 宇宙一チャラい仕事論』(CCCメディアハウス)より、多忙でも〈遊び〉に取り組む方法を取り上げる。
◇ ◇ ◇「遊ぶ暇がない」は言い訳
以前に書きましたが、一行も本を読めない時期があったんです。〈遊び〉はおろか、〈勉強〉すらできない。遊んでいる暇なんてないと思ってしまうんです。いまは、自分に〈仕事〉の波が来ている、これを逃してはだめだ、と。正しい側面もありますね。
ただ、いまの自分が、かつての若い自分にアドバイスできるとしたら、「それは言い訳だ」ってことになるでしょう。どんなに〈仕事〉が忙しくても、工夫次第で〈勉強〉はできる。そして、〈遊び〉は、歯を食いしばってするもんだ。寝ないでするもんだ。
もっとも、その怒濤の数年間の前は、がんばって〈遊び〉はしていたようです。音楽のライブは年間三百本も見ているわけで、ハズレも多いんです。だけど「絶対に行く」と決めていて、そこが無鉄砲で意固地なところでもあるんですが、アスリートノートというか、手帳に書いてました。見たバンド名と、ハコ、つまりライブハウスの名前です。
「仕事が忙しい」は自慢にならない
ポイントは、「仕事なんかやってあたりまえだ」ということです。仕事を人の二倍、三倍している。そんなことでいばってるやつがいますけれど(わたしですね)、あたりまえなんです、そんなの。だって、カネもらってんだから。いばるな。
どれだけ遊んだか。誇るとしたら、そっちです。わたしより若いのが、わたしより濃密な書き込みのアスリートノートを見せて、どれだけ遊んでいるか自慢してきたら、「こいつ、すげえな」って尊敬しちゃいます。
〈遊び〉をやめないためには、〈遊び〉時間を最初に確保する
肝要なのは、遊ぶ時間を先に作る、ということです。毎日、わたしはライブに行く。だから、夜は仕事を入れない。夜回り取材があるんだったら、朝駆け取材に変えてしまう。あるいは原稿書きがあるんだったら、終電で帰宅したあと、書け。
若かったからできたし、子育てしながら働いているライターとかには、たしかに厳しいことだとは思う。でも、子育て家庭だけじゃないですよ。人生なんて、みんなそれぞれ個別に厳しいんです。老親の介護にしても、家族の病気にしても、自分の貧しさにしても、みんな、なにかを抱えている。言い訳すんな。自分に言ってます。
まず先に遊びの時間を決める。そして残った時間で、仕事をする。家事をする。工夫して、時間短縮して、システマティックに、考え抜く。第一夜話で書いた、『モンテ・クリスト伯』の、例の牢獄じいさんと同じです。
1日の〈仕事〉〈勉強〉〈遊び〉のバランスとは
そして勉強は、合い間でするんです。仕事と仕事の合い間の休憩時間。通勤時間。風呂。食事。そのほんの一瞬のすきまに、勉強をする。
すきま時間の十五分を積み重ねて勉強する。その具体的な方法論は、前著の『百冊で耕す』にも書きました。どんな人間でも、すきま時間はある。それを、かき集める。一日に二時間くらいは、ひねり出せるもんです。
・ 遊びの時間を最初に作る
・ 残りの時間で仕事をする
・ すきま時間で勉強する
こういう生活スタイルになったのは、わたしがニューヨークにいるころからです。特派員にさせてもらって、仕事はむちゃくちゃしていました。出稿量で前任者の二倍出すことを目標にしていました。任期が終わって数えてみると、三倍書いていました。
でも、こんなのはあたりまえです。カネもらってるんだから。いばるな。
ニューヨークでは、仕事もおもしろかったんだけど、なにしろ〈遊び〉が発狂一直線におもしろかった。音楽も映画も演劇もアートも、見るもの、聴くもの、すべてが刺激的。東京もいいけれど、やはりニューヨークが、なにしろ世界のメトロポリスだなと痛感しました。
遊ばない人間と遊ぶ人間とどちらが魅力的か
書いていて思い出しましたが、わたしがニューヨークに赴任したときの支局長Tさんは、洒脱な人で、わたしが遊び回っているのをおもしろそうに眺めていました。「原稿は出しているんだから当然だろ」と、若かった自分は堂々としていたんだけど、会社組織なんて、そうはできていない。「おまえ、支局にも立ち寄らないで毎日なにしてんだ?」と追及されてもおかしくない。
でもTさんは、笑ってた。たまに支局に顔を出すと「おー、生きてたのか? どうだ、これから昼めしいくか?」なんて。〈遊び〉が分かっている人だったんでしょう。
Tさんに比べては悪いんですが、別の支局長は、任期が終わって日本に帰るとき、スタッフにこうあいさつしたそうです。「ぼくは仕事漬けで、ニューヨークにいるのにミュージカルひとつも見られなかった。最後に『キャッツ』を見て帰ります」
自虐ネタのつもりなんでしょうけど、笑えません。そんなこと、自慢にもなんにもなっていない。怠惰です。ただの怠け者です。だから新聞記者は嫌いなんだ。〈仕事〉なんて、するのはあたりまえですよ。歯を食いしばって、石にかじりついて、ダイハードで遊べ。自慢するならそこを自慢しろ。
◇ ◇ ◇近藤康太郎(こんどう・こうたろう)
作家/評論家/百姓/猟師。1963年、東京・渋谷生まれ。1987年、朝日新聞社入社。川崎支局、学芸部、AERA編集部、ニューヨーク支局を経て、九州へ。新聞紙面では、コラム「多事奏論」、地方での米作りや狩猟体験を通じて資本主義や現代社会までを考察する連載「アロハで猟師してみました」を担当する。
著書に『三行で撃つ〈善く、生きる〉ための文章塾』『百冊で耕す〈自由に、なる〉ための読書術』(CCCメディアハウス)、『アロハで田植え、はじめました』『アロハで猟師、はじめました』(河出書房新社)、『朝日新聞記者が書けなかったアメリカの大汚点』『朝日新聞記者が書いたアメリカ人「アホ・マヌケ」論』『アメリカが知らないアメリカ 世界帝国を動かす深奥部の力』(講談社)、『リアルロック 日本語ROCK小事典』(三一書房)、『成長のない社会で、わたしたちはいかに生きていくべきなのか』(水野和夫氏との共著、徳間書店)他がある。
『ワーク・イズ・ライフ 宇宙一チャラい仕事論』
近藤康太郎[著]
CCCメディアハウス[刊]
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