【スタートアップ】人や企業をつなぎ、行政と話し合いながら、地域の新しい価値やビジネスに光を当てる「コモンズファン」。代表取締役の林匡宏さんに魅力的なまちづくりや、地域の今後の可能性について聞きました。

ラグビーとデザインの両立を目指した学生時代

――名刺の裏面には肩書がびっしりです。肩書きはいくつありますか? それにも増してびっくりしたのが名刺の表面に代表取締役の横に絵師と書かれていたことです。
肩書はいくつでしょうか。あまり深くは知りません。いろいろな肩書きや立場がありますが、やっていることは一つです。立場や年代など、さまざまな人の言っていることを、その場で聞いて絵にして描くことです。立場を変えて仕事をやらせていただいています。例えば、未来のまちの姿や、事業のあり方などについて、いろいろな立場の人のお話を聞いて、その場で絵にしています。

――子ども時代はどんなお子さんでした。
本当に普通です。塗り絵など、絵を描くのは好きでした。小学生から中学生まではラグビーとバスケットボールをやっていました。高校にはラグビー部があり、ラグビー漬けでしたね。美術部の先生にちょっと良くしていただきました。ラグビーの部活が終わってから、ちょっと美術部に潜入していました。ちょっと(公募する)賞に応募したこともあり、おもしろいと思いました。デザインもラグビーもやりたい気持ちでした。

――大学でもラグビーはされましたか?
筑波大学でラグビーをしていました。

――筑波大のラグビー部と言えば大学ラグビーのトップ・オブ・トップのリーグで戦っているチーム。練習や試合をしながら絵も続けるのは大変ではないですか?
筑波大のラグビー部はもうすぐ創部100周年になります。芸術専門学群に進み、体育会のラグビー部に入った人はあまりいないのではないでしょうか。両方とも本気でした。


社会に出て、最初の仕事は東京での再開発のグランドデザイン

――就職はどうされましたか?
友人の紹介もあって、札幌にある建築事務所「北海道日建設計」に入りました。最初の3年間ほどは東京で働き、東京駅や渋谷駅周辺の再開発のビジョン作りを担当しました。

――渋谷は20年前とは全く違う街に変わりました。渋谷のまちが100年に1回変わるタイミングにも携わられたのですか?
携わったのは本当に最初の方です。ペーペーでしたが、グランドデザインに携わり、絵を描いたこともあります。やりがいはめちゃくちゃありましたね。入社1,2,3年目のことでした。再開発の完成は20年後。そのときの絵を描くとなると、だれが幸せになっているだろうと想像するのが難しく感じた印象があります。


人と人の個人的なつながりを大切にしようと、独立

――そんな大きなビジョンの仕事をされた後、北海道でまちづくりに携わっています。そのつなぎ目の部分の話を教えてください。
2010年ごろ、札幌に戻って、軸足を移したときも、同じ会社で再開発や都市開発を担当していました。狸小路商店街などの大通近くの商店街のお仕事をさせてもらい、あの辺りの未来ビジョンを作ろうという話が出たとき、すてきな人たちが商店街に会い、描かしてもらったときに本当におもしろいと思いました。

ただ、会社として関わると、(仕事が終わるれば)ここまでとなるではないですか。仕事が終わった後も、プライベートで一緒に何かやるときに、人と人の(個人の)レベルで話しながら考えるのはすごく大事だと思いました。それがきっかけとなり、ゲストハウスを開業させるという流れが出てきました。江別市の商店街に空き店舗があり、そこに不動産を購入してゲストハウスを建てることになったのです。ただ、(社員として取り組むことは)会社の規定で認められないので独立しました。

――独立後はどんな仕事をされましたか?
絵を描くだけではなくて、実行するのを大事にしています。絵に描くことには、いろんな次元があります。20年後の発言もあれば、明日できること、来年度ちょっと実験的にやってみたいこともあり、そのために何か会社や母体が必要になれば立ち上げてきました。描くたびに何か(組織。団体)が増えて、名刺の裏が狭くなってきたのです。

今は札幌市教育委員会にも所属させていただき、高校生と話しながら、聞いた話を実際に実現させる事業をやっています。毎回、高校生から出るアイディアは本当にさまざまです。例えば、公園で食べておいしい食事のメニューを作ってキッチンカーで販売する。アートギャラリーを作ってみる。子どもが自由に遊べる場所を作る。気軽に国際交流ができ茶室のようなものを作ってみる―などです

「自分が一番楽しんでいる自信がある」 今後は日常をつくる仕事も

――どういう今後の広がりを想定していらっしゃいますか?
昨年度、一般社団法人「サッポロ プレイスメイキング ラボ」を立ち上げました。任意のプログラムで札幌市教育委員会さんと一緒に取り組む中で、(そうした活動にこそが)本当の札幌の価値だと気づきました。高校生がいて、大学生もいて、それを面白がる大人がいる。これを一つの仕組み、組織としてもやっていきたいと思ってラボを立ち上げました。大通公園、真駒内団地、創成イーストなど、いろいろな場所でプレイスメイキングのイベントは今後もやっていきますが、これからは日常をつくる事業にも視野を広げて、やりたいと思います。

――ボスとしての心構えや、普段何か大切にしていることはありますか?
会社経営者で、(部下に)多くの社員さんがいるのがボスだと思いますが、自分はそうではありません。一緒にやりたい方々の旗振り役の感じです。「一緒に行こうよ」と言うときには上も下もないではないですか。ボス、経営者の方も高校生や中学生も横に連なります。本当に横につながってみんなで声を発して、それを僕が形にすることを大事にしています。何より僕が一番楽しんでいる自信があります。みんなも楽しんでいると思いますが、僕が一番楽しんでいなければ、たぶん一緒にやってくれないと思います。描いている本人が一番楽しむことをすごく大切にしています。


大人が協調、共感し、子どもとともに楽しむ環境の重要性

――今までの取り組みで一番うれしかったことは? 一番楽しかったことは?
プレスメイキング・ラボに関わる中学生がいました。学校には行っていませんでしたが、スケートボードが好きで、「スケボーが僕のコミュニティ」という子でした。(そんなきっかけもあり)プレスメイキング・ラボの一夜限りの事業で、大通公園にスケボーパークを作りました。

(多くの人が行き来して危険なので)一番やってはいけないところで、大人も役所の人もみんな力を合わせてスケートパークを作ったのです。このエネルギーはめちゃくちゃおもしろかったです。このプログラムに参加する高校生は「大人ってこういう人たちだったんだ」と、よく言います。

一緒に協調して共感して何か一緒に楽しみながらやってくれる大人だらけ―という環境はすごく大事だと思います。

――林さんが描かれる北海道や、ご自身のこの後の姿に興味があります。
最初にお伝えしたように20年後30年後は描ききれないですよね。そこがおもしろくて。具体的にどんなまちになるかは、そのときにいる人の気持ちや声次第だと思っており、僕はそういう声を発しやすい環境を作れれば良いと思っています。


今後、取り組みたいのは農業や土いじりを通じたつながり

――この先、ご自身はどうありたいですか?
注目しているのは畑、ファームです。今、渋谷でもファームを切り口に新しいまちやコミュニティをつくっています。やはり土をいじって野菜を育てて食べるのはすごく基本的なことです。

幼くても大人でも関係なく、みんながつながるきっかけとして、ファームという農的な活動が中心にあるのはすごく大事で、なんか本当に人がつながるきっかけをいろいろなところに作りたいです。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。