「バイオものづくり」という言葉を聞いたことはあるだろうか? 古くは発酵と呼ばれ、お酒、チーズ、パン、納豆など、人類が先史時代から行ってきたものづくり手法の発展形だ。新時代のバイオものづくりは、幅広い産業分野へ活用でき、カーボンニュートラルの実現といった環境問題の解決と、持続的な経済成長の達成との二兎を追える道として期待されている。可能性に満ちたバイオものづくりの世界とは?

お酒やパンも、バイオものづくりの仲間

バイオものづくりは、我々の身近に溢れているものづくりだ。代表例として、ビール、日本酒、醤油、味噌、ヨーグルト、チーズなどの発酵食品がある。こうした伝統的な発酵食品は、微生物(酵母、乳酸菌、カビなど)の力を借りて小麦やお米などの植物を発酵させ、生産される。

バイオものづくりでつくられる物質は食品だけに限らない。たとえば、トウモロコシやサトウキビをアルコール発酵させ、手指消毒剤として利用されているエタノールをつくることができる。この植物由来のエタノールは、環境に配慮した原料としてコンビニのレジ袋などにも使われている。

発酵食品に代表される伝統的なバイオものづくりでは、自然界に存在する酵母などの微生物が生来持つ機能を活用し、原料を食品に加工する。これに対して最新のバイオものづくりは、まず目的の物質をつくれるようにバイオテクノロジーなどによって機能を改変した微生物をつくり、それを活用して生産を行う。機能をデザインすることで、食品はもちろん化粧品素材、バイオ燃料、タイヤゴム素材、医薬品原料など、さまざまなものをつくることができる。

新時代のバイオものづくりは、生物由来の"環境にやさしいものづくり"です

新時代のバイオものづくりのメリットは、石油、石炭、天然ガスなどの化石燃料を原料とせずに、物質の生産を行えることだ。化石燃料は埋蔵量が限られており、将来的になくなるとされている。また、化石燃料を使ったものづくりは高温高圧下で行われるが、バイオものづくりは常温常圧の自然条件下で行われるため、製造の過程において多くのエネルギーを必要とせず、CO2排出量も低いのが特徴だ。

さらに微生物にはCO2を吸収したり廃棄物を分解できるものが多く存在する。この機能を利用することで、CO2や廃棄物を原料としたものづくりが可能となる。カーボンニュートラルを実現するための方法として、大きな可能性を秘めているのだ。

一方で、新時代のバイオものづくりには、これまで大きな課題があった。大量生産に成功するまでの研究開発に膨大な「時間」と「コスト」を費やしていたことだ。しかし、急速に進歩したバイオテクノロジーとさまざまな領域の最新テクノロジーが融合することで、それが解決されつつある。

新時代のバイオものづくりのアイコン、人工微生物「スマートセル」

新時代のバイオものづくりは、自然界には存在しなかった微生物を人工的にバイオテクノロジーを用いて生み出すところから始まる。その人工微生物は「スマートセル」と呼ばれ、スマートセルが物質の生産を行いる。スマートセルをつくる際には、遺伝子組換え技術(DNA合成)やゲノム編集技術などのバイオテクノロジーが重要な役割を果たす。

新時代のバイオものづくりが急速に発展したのは、バイオテクノロジーにデジタル、ロボティクスといった複数の先端テクノロジーが融合しつつあることが背景にある。

スマートセルは、微生物が持つ物質生産能力をデジタル技術や最先端のバイオテクノロジーを用いて高度にデザインし、機能を最大限に引き出すことでつくられる。
POINT① スマートセルの生産プロセスにおいては、物質を生産する微生物のDNA配列を設計する「Design」、そのDNA配列に合わせて実際に微生物を構築する「Build」、つくり出した微生物の生産能力を評価する「Test」、実験データを学習する「Learn」の4つの工程「DBTLサイクル」が行われている。
POINT② DBTLサイクルによりつくり出されたスマートセルは、生物由来の物質(バイオマス)やCO2などを原料として、バイオ燃料やバイオ化学品といった有用物質を効率よく製造することができる。

新時代のバイオものづくりを支える3つの先端テクノロジー

新時代のバイオものづくりを支える技術について、もう少し詳しく説明しよう。代表的な技術としては、「バイオテクノロジー(DNA合成・ゲノム編集)」、「デジタル(AI・IoT)」、「ロボティクス」の3つがあげられる。これらの技術を融合させ、人類と地球環境の共存と経済成長を両立させることが、バイオものづくりの醍醐味だ。

バイオテクノロジー(DNA合成・ゲノム編集)

DNA合成は、DNAをゼロから人工的につくりだす技術だ。これにより、スマートセルがより自在に生み出せるようになった。近年までは、長いDNAをつくるには技術的な限界があり、スマートセルの設計にも制約があった。しかし、神戸大学発のベンチャーであるシンプロジェンは、枯草菌を利用してDNA合成を行う手法を開発し、従来は困難だった長いDNAの合成を実現。これにより、生み出されるスマートセルはより多種多様となることが期待される。

ゲノム編集は、微生物のDNAを任意の場所で切断する技術だ。2012年に「CRISPR-Cas9(クリスパー・キャスナイン)」というゲノム編集ツールが登場したことで、従来よりも誰でも簡便にスマートセルをつくれるようになった。近年では既製のツールや簡単な自作キットが試薬メーカーから売り出され、基礎知識があれば誰でも扱えるほど身近な技術となっている。

デジタル(AI・IoT)

デジタル技術の進歩は、DNAを解析する作業をより安価かつ高速で行うことを可能にした。人間のDNAは2003年に解読が完了したが、当時は一から解読を行おうとした場合、10年の歳月と1億ドルの資金が必要だった。それが現在では、わずか1日と1,000ドルで解読できるようになっている。また、今後は深層学習や機械学習がいっそう進展することで、最適なスマートセルのデザインを導き出す作業をより短期間で効率的に行うことが可能になると期待されている。

ロボティクス

現代では、ロボットアーム技術の進歩などにより、スマートセルを構築する作業を、たとえば24時間体制でミスなく均一な質で再現できるようになった。

人と自然の共生と持続的な経済成長を叶える「バイオエコノミー」

バイオテクノロジーは既に私たちの生活に深く関わり始めている。とりわけ注目されているのが、医薬品分野だ。

新型コロナウイルスに対する効果で知名度を上げた「メッセンジャーRNAワクチン」は、ターゲットとなるウイルスのDNAを解析して設計し、バイオテクノロジーを用いて製造したものだ。その他にも、バイオものづくりでつくられた物質が、これまで治せなかった病気に対するワクチンや治療薬となって、既に市場に多く流通している。

一方で工業分野では、化石燃料でつくられていた物質や製品をバイオものづくりで代替するためには、顧客の求める品質を維持しつつ、低コストで大量生産することが商業上の大きな課題だった。しかし近年では、いままで越えられなかったハードルを越えて、実用化に成功したバイオものづくり製品が続々と登場している。

たとえばカネカは、植物油脂を原料とし、スマートセルが直接つくりだす生分解性バイオプラスチックを開発した。土壌中はもちろん、海水中でも生分解されるのが特長だ。「カネカ生分解性バイオポリマー Green Planet®」のブランド名で、ストローやスプーン、エコバッグなどさまざまな製品に使われている。

また、山形県鶴岡市のバイオベンチャーであるSpiberは2013年、スマートセルの活用により、細くて高強度なタンパク質素材であるクモの糸を人工的に量産化することに成功した。ゴールドウインとの共同開発によって、この素材を採用したアウトドアウエアがザ・ノース・フェイスから発売されている。

水素細菌による革新的なものづくり技術の開発

脱炭素関連で注目のバイオものづくりのトピックがある。日本政府は、2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにするという「2050年カーボンニュートラル目標」を宣言している。目標達成のため、2兆円の「グリーンイノベーション基金」が国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)に創設され、2023年3月、同基金事業として「バイオものづくり技術によるCO2を直接原料としたカーボンリサイクルの推進」プロジェクトが採択された。

このプロジェクトには、双日、電力中央研究所、Green Earth Institute、DIC、東レ、ダイセルが共同で提案した「水素細菌によるCO2とH2を原料とする革新的なものづくり技術の開発」が研究開発項目として含まれている。水素細菌という微生物は自然界に存在しており、CO2とH2を吸収する特徴を持っている。この微生物を基にスマートセルを生み出すことで、CO2とH2を使ったプラスチック、インクや塗料、繊維、化粧品など、身の回りのさまざまな用途に使われるものの原料を生産することができると期待されている。

このように、化石燃料に依存してきた工業分野では、スマートセルを活用することで、サステナブルなものづくりへの道が開けることとなるだろう。

スマートセルを製造プロセスの中に組み込んだ産業群を「スマートセルインダストリー」と呼ぶ。スマートセルを用いて製造される高機能物質は幅広い領域で活用することができ、バイオテクノロジーを基盤とした経済圏が生まれる。

医薬品や化粧品に飲食物、建築資材や樹脂材料、燃料など、幅広い分野においてバイオものづくりが開拓する新たな産業領域、およびそれに伴う経済活動を「バイオエコノミー」と呼ぶ。この概念を提唱した経済協力開発機構(OECD)は、バイオエコノミーの世界市場について、2030年にはOECD加盟国の全GDPの2.7%、約200兆円まで成長すると試算している。

産業の競争力の強化のみならず、地球環境課題を解決する手段としても期待されている、バイオものづくり。活用が見込まれる産業が幅広いだけに、分野を横断して世の中のニーズを開拓し、そこに関わる人と人をつなぐ総合商社の果たし得る役割は非常に大きいと言える。



幅広いテーマで現代に生きるすべての探求者に新たな気づきを届けるメディア「caravan」では、関連記事『元ラグビー日本代表主将・廣瀬俊朗さんと考える「バイオものづくり」がひらく未来』も掲載中。

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