高級住宅街のイメージが強い田園調布。そんな田園調布でかつて活躍していた往年のバスたちを、当時の写真とともに振り返る!!

文・写真:橋爪智之
構成:中山修一
(平成初期の田園調布バス事情の写真付き記事はバスマガジンWEBもしくはベストカーWEBをご覧ください)

■噂のハイソな東京の街

駅前ロータリーで並んだ園01と園02。後方の建物は現在も同じだが、パン屋は閉店してしまった

 田園調布と言えば、日本でも有数の高級住宅街としてあまりにも有名だ。著名人のお屋敷が建ち並ぶ、田園調布にはそんなイメージがよく似合う。

 西口と東口では少々様子が異なり、私たちが連想する「超高級住宅街」たる田園調布は、どちらかと言えば西口側を指す。

 では東口側はどうかというと、こぢんまりとした商店が立ち並ぶ、一見すると庶民的な商店街を見ることができるが、そこは田園調布。こちらも奥へ進めば、立派な邸宅が多く建ち並ぶ街並みが現れる。

 元東京都知事の故石原慎太郎氏の邸宅もあり、選挙に出ていた当時は石原軍団の俳優たちと共に、よく駅前で演説を行っていた。

■案外こぢんまり? 最近のバス事情

 そんな田園調布は、駅の東西に路線網が形成されており、かつてはそれぞれに停留所が設けられていたが、東横線/目黒線の地下化が完了したあと、その上に人工地盤が設けられ、現在は東西のバス停を集約したバスターミナルが建設された。

 広々としたバスターミナルはきれいで快適だが、一部路線の廃止により、現在は東急バスによる渋谷駅行きの渋11系統、千歳船橋行きの園01系統、蒲田駅行きの蒲12系統と、実質的にはこの3路線だけとかなり寂しくなってしまった。

 1路線は土曜日に1本だけ運行される中町5丁目行きだが、これは瀬田営業所への入庫用か、はたまた免許維持路線か、いずれにせよ路線としてカウントをして良いのか迷うところだ。

■東と西に乗り場が分かれていた

 これが昭和末期〜平成初期の頃はどうだったか。筆者がバスの撮影をしていた小学校〜高校の頃は、まだバスターミナルが無く、東西それぞれの停留所から発着していた時代だ。

東横線/目蒲線の複々線化工事が進められていた当時のロータリー。駅目の前に園02の停留所があった

 当時は上記の3路線のほか、西口側からは世田谷区民会館行きの園02系統、成城学園前駅行きの園03系統が加わり、東口側の大森駅行き森10系統と京浜急行電鉄バスの羽田空港行き園11系統と合わせて、計7路線も乗り入れていたのだ。

 今やすっかり寒々しい感じとなったバスターミナルだが、かつて7路線(森10はターミナル完成前に廃止されたがそれでも6路線)が乗り入れていたのならば、当初この広さで設計されたのも頷ける。

■バスが“具沢山”だったあの頃

 乗り入れていたバス路線のうち、園01と園03、渋11は東急バス瀬田営業所の管轄で、園02は弦巻営業所、蒲12と森10は池上営業所、園11は京浜急行電鉄バス羽田営業所が担当していた。

 かつては営業所ごとにバスメーカーが固定されていたが、4つの営業所から乗り入れていたため、日野以外のメーカーは全て見ることができた。中でも、扱っている営業所の関係で、三菱ふそうの車両が一番多く見られた。

環八から田園調布駅前のロータリーへ向かうエアロスター。終点直前のため、方向幕は千歳船橋行きとなっている

 この田園調布発着の路線の中でも、特に異色の存在は、やはり羽田空港から遠路はるばるやって来る、京浜急行電鉄バスの園11だろう。田園調布を出ると、そのまま真っ直ぐ環八を進むわけでもなく、洗足池や池上駅、大森駅と大きく迂回……

……平和島を抜けて羽田空港へ至るという、わざと大田区内を周遊しているのではないかと思わせるほど、ぐるりと回って結んでいた。東急バスばかりの地域に、青い車体の京急の車両が来る、というだけで子供心に興奮した。

■運転のプロが見せる華麗な技

 それよりいつも感動していたのが、田園調布界隈の狭隘区間をギリギリ通過する、運転手の超絶テクニックである。

 東急バスは、いわゆる短尺(K/三菱ふそう車ではホイールベース4.8m)ボディを標準で採用していて、こうした狭隘区間はお手の物だが、それでも車幅の広い大型車は電信柱ギリギリのところを通過していつもスリルがあった。

田園調布駅東口から出発する京浜急行電鉄バス。東急バスより長い標準M尺のため、狭隘区間では接触すれすれで走行していた

 京浜急行電鉄バスの場合は、東急バスよりボディが長い標準尺(M/ホイールベース5.3m)を採用しており、よりギリギリ度が増して、ほとんど接触寸前だった。圧巻は、横羽線兼用車の長尺エアロスターP-MP218Pで、ホイールベースは6m。

 田園調布駅前を出発して一方通行へ進入したあと、最初の三叉路では民家のブロック塀の上を助手席側サイドミラーが通過するという、もはや曲芸のような運転で、おそらくそのブロック塀もミラーの高さに合わせて作られていたのではないだろうか。

 今でもこの区間は蒲12が通過しており、相変わらず素晴らしいテクニックであることには違いないのだが、現在は短尺で幅の狭い中型車によって運行されており、あの当時のような信じがたいテクニックというのは必要なくなってしまった。

 路線バスの運転は競技でもエンターテインメントでもないのだから、運転しやすい方が良いに決まっているのだが、単なるバスマニアの気持ちとしては、あの超絶テクニックがもう見られないと思うと、少々残念な気持ちになってしまった。

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