JR留萌本線の大部分が廃止となり、主要公共交通が路線バスに替わった昨今。経路の都合上、深川〜留萌を直通するバスが立ち寄らない元駅跡が2つほどあるが、そこをカバーしている代替交通があるのか、と言えば……!?

文・写真:中山修一
(JR留萌本線をとりまく代替交通と現地の写真つき記事はバスマガジンWebもしくはベストカーWebをご覧ください)

■終点の駅から出ている代替バス

深川駅で発車待ちの石狩沼田行き普通列車

 北海道のJR留萌本線のうち、2016年に留萌〜増毛間、2023年に留萌〜石狩沼田間が廃止され、2024年8月現在も営業を続けているのは深川〜石狩沼田14.4kmの区間だ。

 深川方面から留萌へ行こうとする場合、深川駅近くのバス停を通る沿岸バスの「留萌旭川線」を利用する形となるが、このバスは廃止区間にあった全部の駅は経由しない。

 留萌旭川線が通らない駅跡は「真布(まっぷ)」と「恵比島(えびしま)」の2箇所。とはいえ、これらの場所が公共交通機関空白地帯になってしまったのでは決してなく、最低限バスが用意されている。

 真布や恵比島を経由するバスは、現在のJR留萌本線の終点になっている石狩沼田駅すぐ近くのバス停を通る。

 石狩沼田駅のある沼田町の周辺と、駅から12kmほど離れた幌新温泉を結ぶ「沼田町営バス 幌新線」が、前述の留萌旭川線が通らないエリアの鉄道代替バスを兼任している。

 元々は沼田周辺〜恵比島駅〜幌新温泉間のバスで、真布駅は通らなかった。その後の廃線にともない、既存の恵比島経由便に加えて、真布経由便が2023年4月に新設された。1本で真布と恵比島両方を通るバスは現状ない。

■ドラマのロケ地になりました

 これら2つの廃止駅がどんな所だったか。まず、石狩沼田の次だった真布駅であるが、国鉄の時代は駅未満の仮乗降場扱いだった。

クラシカルな板張りのホームが味わい深かった真布駅

 それもあって、駅に昇格したJR化後〜廃線まで、木の板でできた短いホームに、木造の小さな待合室を組み合わせた至極シンプルな設備が置かれていた。2021年度の1日あたりの乗車人員は平均2.2人。

 一方の恵比島駅は、1990年代の終わり頃に公共放送局の連続ドラマのロケ地に選ばれ、劇中の設定である「明日萌(あしもい)駅」という“芸名”を持っている。

明日萌駅としてドラマに出演した恵比島駅

 撮影に使われたセットが今も観光用に残り、駅には建物が2つ並んでいるが、立派な作りをした木造駅舎のほうがセットで、劇中では便所になっていた小屋が本物の駅舎(車掌車改造の待合所)であるところがポイント。

 恵比島駅は観光スポット化した場所ゆえ、鉄道現役時代はそれなりに利用も多かったのかと思いきや、統計データを見ると2021年度は1日あたり1.6人と、晩年は真布より少なかったらしい。

■観光地へのアクセス手段

 そんな真布と恵比島をサポートする沼田町営バス。行き先が幌新「温泉」となれば、観光地へのアクセスに使えるバスなのではと想像できる。

 その名の通り幌新温泉には、日帰り入浴もできる温泉宿泊施設が1軒営業している。周辺に民家はほとんどなく、実質的には温泉施設のためだけにバスが走っていると言えそう。

幌新温泉行き沼田町営バス。車種は日野リエッセ

 バスは1日上下6本ずつ。その中で、夕方の5時頃着いて翌10時くらいに出られる、ちゃんと泊まりがけに対応したダイヤが組まれていて嬉しい。

 幌新温泉にはクルマを運転して泊まりに行ったことが2〜3回あったものの、バスを使った訪問は未経験。

 JR代替バスの役割を持ったことだし、物は試しにと幌新温泉の宿を予約しつつ、JR留萌本線に乗って石狩沼田駅へと向かった。

 夕方5時頃に幌新温泉に着く宿泊対応便(恵比島経由)を使う場合、JR線を降りて8分くらいの待ち時間でバスに繋がる。

 町営バスは地元民だけでなく誰でも利用できる。ただ、もしかするとこのバス、どの便のどの席に誰が座るかが毎日ほぼ決まっているのかもしれない。というのも、バスがちょっと遅れてやってきて、乗り込もうとしたところ……

……「このへんじゃ見ねえツラだな」のような、常連客しかいない飲み屋にうっかり入っちまって全員にガン見される時に近い妖気が、乗客の皆様にとどまらず運転手さんからも漂い出して少々焦った。

訪問時は2ケタナンバーの日野レインボーRRも合わせて使われていた

 一応、観光スポットが終点のバスな気がしなくもないですが、よそ者が使うのはマズかったかしら?? 所要時間は約20分、町営だけに運賃100円と格安。地元の方を除いて、他に観光目的の利用者はいなかった。

■すごいものが置いてある!

恵比島のランドマーク的廃墟、元留萌鉄道本社にして日本ケミカルコート社屋跡

 民家のない場所に温泉施設がポツンと有る不思議なオーラを放つ幌新温泉。今はそういう場所になっているが、実はこのエリア、その昔に炭鉱があった。

 「昭和炭鉱」と呼ばれ、全盛期には一つの炭鉱町が作られて大変賑わったそうだ。現在の幌新温泉よりも数キロ離れた先には、コンクリート造りのアパート群や、天候に左右されないトンネルの中に商店街を広げた「隧道マーケット」なる変わった施設まであった。

 1960年代に入ると、エネルギーが石炭から石油へとシフトしていく時代の渦に飲まれ、北海道の炭鉱としては比較的早い1969年に昭和炭鉱は閉山している。

町営バスの終点である幌新温泉とその施設

 また、恵比島〜幌新〜昭和間17.6kmには、当時唯一の交通手段であった鉄道線の留萌鉄道が閉山まで営業していた。

 現在のバスの通り道に近い経路で線路が敷かれていたようで、町営バスで幌新温泉に向かいつつ車窓を眺めると、大勢の人々が行き来したであろう昔の炭鉱ロマンにちょっと浸れるかも。

 今も炭鉱時代の面影を色濃く残す遺産が幌新温泉にある。1931〜67年にかけて昭和炭鉱で活躍、当時の東横線でも使っていた時期があったと伝えられる、ドイツ製の蒸気機関車クラウス15号がそれで、5〜10月の間に一般公開されている。

沼田町指定文化財、準鉄道記念物、日本遺産「炭鉄港」構成文化財の肩書きを持つクラウス15号

 1889年製造と、国内で使われ現存している小型蒸気機関車の中でも最古と言われる。それを見に行くだけでも価値の高い場所だ。

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