2013年3月31日、R35 GT-R開発責任者である水野和敏さんが日産を退社された。ベストカーは翌4月1日に水野さんとお会いし90分にわたって話を聞くことができた。思いはすでに「次のクルマ創り」に向かっているようだった(本稿は「ベストカー」2013年5月10日号に掲載した記事の再録版となります)。

写真:日産、ベストカー編集部

■R36GT-Rはアタマの中でしっかりとカタチになっていました

退社の翌日にもかかわらずインタビューに応じてくれた水野氏。これからのこと、これまでのこと…存分に語ってくれた

【ベストカー(以下BC)】水野さんこんにちは。長い間お疲れさまでした。昨日いっぱいで日産から離れられたんですけど、何か気持ちの変化はありますか?

【水野(以下敬称略)】まったくないですよ。もともと俺は日産で働いているという意識はできるだけ持たないようにしてきたからね。これまでいろんなクルマを作ってきたけれど、あえて日産という会社、つまりインナースケールの軸を外して、アウタースケールで、クルマづくりを考えてきたから、だいたい社内(インナースケール)4割、社外(アウタースケール)6割という割合で考えてきましたから。

【BC】それじゃ質問を変えて、水野さんの中でもうGT-Rは作らないんだということについては、どうお考えですか?

【水野】意識の中にある最も虚しいことは、お客様に対してとにかく申し訳ないということ。つい先日までは「GT-Rはまだまだ進化する余地があり、俺の頭の中にはいっぱいメニューがあって、それを数年以内に見せます」といってきたのに、それが実現できなくなったこと。それだけは心底申し訳ないと思っています。

【BC】水野さんの頭の中ではR35の完成型があったと思うんですが……。

【水野】もちろん、R36までありましたよ。

【BC】つまり、R36のためにR35が役割を果たし、バトンタッチするところがR35の完成型だったんですか?

【水野】世界のマーケットで1000万円以上もするクルマ(日本以外の各国でGT-Rはほとんどが1000万円超)がブランドとして定着するには1代じゃダメなんです。2代目が大事なんです。1代だけ注目されたことがありました。P10(プリメーラ)もR32(スカイライン)もV35(スカイライン)もベンチマークと営業要望で次は別の普通のクルマになっちゃった。

日産の中で一番悩んで苦しんできたのは、それらのことでしたから、2代目を考えてスタートしなきゃダメなんだと思ったんです。だから、10年前、R35を始めた時からR35とR36の役割が頭の中にはっきりとあったんですよ。

【BC】えっそれは具体的にはどういうことですか?

【水野】例えばR35はスーパーカーの基本である速さという軸で世界一のものを作っているけれど、R36で俺がやりたかったことは、もしかしたら速さじゃないんだよ。R35とR36、2つが合わさって初めてブランドになり得る完成型ができるんだよ。つまり対になる連続性が必要なんだ。

【BC】速さだけじゃないGT-Rですか?

【水野】R35でトコトン速いクルマを作っておいてR36も同じ方向性に行ってもユーザーはもうおなかいっぱいなわけですよ。だから、もうひとつ別の顔が必要なんですよ。それがないと1000万円オーバーのスーパーカーのトップブランドにはなれないんですよ。

R35をテーブルに例えてみましょうか。R35が年々進化を遂げ、最高のテーブルになった時、簡単にいえばこれ以上必要ないくらい速いクルマになった時に、R36という最高の椅子を提供したらどうです。R35とR36で最高のリビングだと皆が思うでしょう。それが最高のブランドというものです。これが私個人の思いとして日産という会社に贈る「最高のプレゼントメッセージ」です。

【BC】今回日産を離れられた理由が、後進に道を譲られるということですが、どのくらい前から考えていらしたのですか?

【水野】どこかの“有名”な自動車雑誌(BC)が俺のことをGT-Rのエコ性能で会社と衝突して辞めるんだ、みたいなことを書いていたけれど、全然そんなことないからね。

【BC】まったくけしからんですね。ほんとうにすみません。

【水野】実は3年前、ゴーンCEOがルノーのCEOになった時にお忙しいこともあって、GT-RのプロジェクトはゴーンCEO直轄から外れたんだよ。ご存じのとおり、2003年末にR35のプロジェクトを任せてもらった時に、100万円のスーパーカーを作るという発想やマーケットは日本の自動車会社の中にはなかった。だから、ゴーンCEOと俺はまったく別のやり方でスタートしたんだ。これまでのやり方じゃダメで、ゴーンCEO直轄にする必要があったんだ。

だからこそ俺は本気でやってきたし、「ゴーンCEOがいるから私はGT-Rをやっている」と公言してきたんだ。そのゴーンCEO直轄でなくなるということは、当然、日産の一般解化(他のクルマと同様になること)の流れに乗ることだから、いずれR35から離れることになるなと少しずつ意識してきたんだ。

【BC】ゴーンCEOが水野さんに言った、世にいう「ミスターGT-R、君にすべて任せる」ということはお互いがわかっていたからの会話なんですね。

【水野】そう、だけど俺は会社から権限もらって好き放題やったわけじゃない。「人、モノ、金、時間、みんな普通のクルマの半分でいい。その代わり人を鍛えて商品を進化させないとマーケットは存在しないよ」そう言ったんだ。人材だってエリート引っぱったんじゃない。むしろアウトローばっかりだったよ。今までの会社の伝統と価値観とやり方に、どっぷりつかって今やっていることに疑問を持たない人には、この新しいマーケットのクルマの創造はできないんだ。

会社内の価値観でしかものを考えられないことを俺はインナースケールと呼び、逆に本質でものを考えられることをアウタースケールと呼ぶんだけれど、R35のチームには、アウタースケールで物事を考えることを要求し、それが実を結んでR35が生まれたんだ。

毎年秋の進化が楽しみだったR35 GT-R。水野さんの元でR35がどう進化していくのか? 見てみたかった気がする

■3年あれば今のGT-Rを超えるクルマを作ってみせますよ

【BC】水野さん、今後もクルマ作りに携わっていかれると思いますが、もう青写真とか、おありなんですか?

【水野】もちろんありますよ。すべてのカテゴリーを今後どう作り替えていくかって一年中考えていますよ。私はプロのエンジニア、つまりお客様の要求と夢に責任を持っているから。

【BC】最も変わらないカテゴリーが軽自動車だと思うんですが、軽自動車を作ることもあるんですか?

【水野】ロールスロイスと軽自動車は何が違いますか? 大きさだけでしょう? 5000万円と100万円で基本構成と作り方が同じというのはおかしくないですか? もし俺が作るとすれば軽自動車の構造の本質をかえちゃうよ。軽自動車は値段が高すぎると思います。それはロールスと同じ手法で作るから高くなるんですよ。アウタースケールで考えると、それがおかしいと気づくわけです。

【BC】えっ! 頭の中にもうあるんですか?

【水野】ありますよ。すぐにでも始められますよ。どの技術を持ってきて、乗り心地や操安だ、燃費はどうだ、衝突安全性……すぐに出せますよ。GT-Rの開発で軽自動車やコンパクトカーにも応用できる技術開発部分を持っているんですよ。

【BC】例えば、どこかのメーカーから、GT-Rを超えるクルマを作れというオーダーがきたら作れますか?

【水野】カンタン、3年で作れます。R35のチームの人に聞いてもらえば誇張でもなんでもないことがわかると思います。

【BC】それはどのメーカーだと可能ですか?

【水野】トヨタさんのレクサスレベルの技術と精度があれば3年くらいでものにしますよ。

【BC】レクサスですか? 水野さんがレクサスで1000万円のスポーツカー作ってGT-Rをぶち抜くって超面白い!

【水野】ベストカーから推薦してみてよ。いや、それは冗談だけど、何でトヨタかっていうと、俺の究極の目標は「ドイツ車」というナショナリティブランドがあるように、日本という価値あるナショナリティブランドのためにクルマ作りをしたいし、それが最後は力を持つんですよ。同じ価値観、同じ思想でもの創りができる強さがあるからです。

【BC】なるほど、確かにトヨタは他社に比べると日本にこだわって、技術や人を大事にしていますよね。

【水野】日本という国のブランド作りをしながら世界でトップ争いをしている、それが今後の真のグローバル戦略なんです。これはごくごく個人的な思いなんだけど、今どこで仕事をしたいかって聞かれると、レクサスが最も近いかな。あそこでメルセデスやBMWやポルシェを完全に超える世界最高のブランド作りができると思うのは、エンジニアとしては自然な気持ちだと思うよ!!

【BC】水野さん、FA宣言ですか!?

【水野】これは言ってみればプロ野球の選手がゆくゆくは巨人で野球やりたいという気持ちと共通したものかもしれない、世界一を目指そうとすればね!! もちろん実現するかしないかは別の話だけれどね。

【BC】ベストカーとしては、2年半後、2015年の東京モーターショーで水野さんが作ったレクサスのスーパーカーと日産のR36GT-Rがともに出展されることを期待したいですね。水野さん、お忙しいところ本当にありがとうございました。

アタマはクルマ作りのことでいっぱいだという。水野さんが軽自動車を作ったらどんなクルマができ上がるのだろう?

■取材を終えて

 水野さんがGT-Rの開発から外れ、水野さんの作ったR36が見られなかったことは残念だが、きっと数年後には水野さんが作ったクルマが再び世に出てくるはず。

 水野さんの話は示唆に富んでいたが、これを機会に今後クルマ作りをどうすべきかや自動車業界がどうあるべきかについて、ジャーナリストやエンジニアが読者の皆さんと直接討論する企画をやりたいと思います。もちろん水野さんにもご登場願おうと思います。御期待ください。

◆水野和敏(みずのかずとし)……1952年長野県生まれ。1972年日産自動車に入社し、P10プリメーラやR32スカイライン等のパッケージングの設計を担当し、V35スカイラインではCVE(車両開発主管)を務める。R35GT-Rの車両開発責任者として全権をまかされ、日本車として初めて世界に通用するスーパーカーの地位を手に入れた。2013年3月31日をもって日産自動車を退社。

(写真、内容はすべてベストカー本誌掲載時のものです)

水野さん直筆サイン

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。